COUNTDOWN O'CLOCK |
「朝になっちまったな」 しかも快晴。無風。絶好のリハーサル日和だった。 帰って来なかった相方のことを考えながら窓の外を眺めていた松山が物音 に振り返ると、そこには反町が立っている。 「なんか連絡あったのか?」 「岬クンからはね」 そう答えて自分の部屋を指差す。 「来て」 日向はもう出て行った後らしい。反町は部屋の床にぺたんと座り込んだ。 「あの過激派の兄ちゃんのこと、名前を聞いてわかったんだな、淳は。その 財閥の一人息子だって」 「うん、淳はあの南龍グループを最初からマークしてたからね。太郎ちゃん のリストから一番にピックアップして。当主の名前くらいは下調べしてたは ずだよ」 岬の用意していたリスト。そこから新たな推論へとその先に進んだ三杉。 パソコンにはその両方の結果が残されて、そして当人たちの姿はない。 「一樹、念のために聞くが、おまえ両方にそれぞれに協力してたってことな のか。別々に」 「どうかなっ」 あくまでとぼける。 「でも、光ってすごいね。その野性の勘。別々に、ってとこがさ」 「誰が野性だ。これくらいいつもの様子を見てりゃわかる! おまえ、やば いことだけはさせるなよ、あいつらに」 「ええー、させられてんのは俺のほうだよぉ。言っとくけど、淳くんも太郎 ちゃんも一番やばいことは自分でやらないんだから。あ〜、俺ってかわいそ う…」 泣き真似を始めた反町はあっさりと見捨てて松山は立ち上がった。 「さあ、朝メシ朝メシ、と」 「今日の練習は蚕室のサブグラウンドでやるから時間厳守で行けよ!」 朝食の後、コーチから指示が出る。 「それって、オリンピックスタジアムと同じ敷地にあるやつだよね」 「て言うか、すぐ隣」 選手用のハンドブックを拡げて松山が確認する。トレイを持った日向が、 テーブルの横をすり抜けながらそれを睨みつけた。 「おい、おまえら、くれぐれも妙な真似はするなよ!」 「はーい!」 元気よく手を挙げた反町に、呆れた表情を向ける松山である。 「ま、無事に揃えばそれでいいんだけどな」 松山の願いは果たして…? |
蚕室のオリンピック総合運動場は、メインスタジアムを中心に体育館をは じめとするいくつかの競技施設を合わせた複合施設だ。 これまでに何度となく重ねられてきた合同練習とリハーサルだが、今日は 最後の最後の仕上げリハーサルということになる。なにしろ一般国民から集 められた出演者の数は1万数千人、ボランティアスタッフだけでも数千人が 招集されているだから、リハーサルと言えど並大抵の規模ではない。早朝か ら敷地内には大型バスが人々をピストン輸送して、もうそれだけで大変な騒 ぎとなっていた。 「本番まで極秘で通すもの以外は全部やるって。すごいねえ」 「それより、開会式の出演者の半分が高校生なんだって。もう学校の勉強ど ころじゃなかったんじゃないの?」 などと、すっかり野次馬気分で窓の外を見ている選手たちだったが、すぐ に大声が飛んで来て駆け出す羽目になる。公式練習は各国チームが順に行な うため、スケジュールを狂わせるわけにはいかないのだ。 「おい、おまえはいいのか」 時間が来てグラウンドに散った選手たちが、ウォーミングアップからしっ かりこなした後でミニゲーム形式で実戦練習を始めた。トラックに群がった プレスのカメラマンたちが、ボールが過ぎるたびにシャッター音を響かせて いる。特に、久々に代表でプレイする翼にはカメラが集中しているようだっ た。 「やあ、田島さん」 ピッチから外れたアンツーカーの所で一人座って練習を見ていたのが反町 だった。田島はゆっくりと歩み寄って来て、それを見下ろす。 「俺、ちょっと体調悪いんで、見学してまーす」 「嘘くせー」 ソウル到着のその瞬間から振り回してくれた張本人――のうちの一人であ る。田島が不審の目で見るのは当然だった。 「どうだ、翼くんは。一緒にやるのはずいぶん久しぶりだろう」 「まだ無理してるかな。特にメンタル面で」 9月の陽射しはまだ結構強く、2人はボールを追って顔を上げるたびに目 を細めなければならなかった。 「そんなにダメージ大きいのか、岬くんの不在は」 「そりゃあ」 なぜか一息、間が空く。 「大事な相方ですもん」 「……」 田島は黙る。黙って反町のそんな態度を分析している。 「それより田島さんもけっこーやつれてますよ。クマ作っちゃって」 「全部おまえらのせいじゃないか! あの誘拐騒ぎで俺たちは徹夜態勢だっ たんだからな」 「そんなぁ、連帯責任ですかぁ? 今どき」 「じゃあ聞くが、三杉くんがいないのはなぜだ。昨日は元気に動き回ってた んだろう?」 「俺と同じく、心身ともに過労気味なんで、しかたないんですよね」 「そうですよ、田島さん、反町も三杉もそりゃ疲れて当然のことをやってま すから」 もう一人、関係者として入場を許可されている男、山本が笑顔で歩いて来 た。 「岬を見つけるために涙ぐましい苦労をしてるんです。昨夜だって――」 「きゃーっ、先生、ダメったらダメ!」 いきなり飛び上がって叫ぶ反町を山本はちらっと見やり、不敵な笑みを浮 かべる。 「おまえにはさんざん迷惑受けてるしなあ」 「もうしません、しませんったら! だから、内密に〜!」 あまりの慌てっぷりに、田島までが突っつき始める。 「ふ〜ん、じゃあ、これからは秘密主義はやめて情報公開を心掛けるか、反 町?」 「うんっ、公開しますします! 山本先生には小泉さんのトップシークレッ ト教えちゃいますから、昨日のことは忘れて、ねっ!」 「よし、じゃあ、言ってみろ。そのトップシークレットを」 「えー、いいんですか、田島さんが一緒でも。これでマスコミに流れちゃい ますよ」 「いいから言えって」 「――あのね、小泉さんの香水は昼間はアルマーニのアクア・ディ・ジオで 夜だけラクリマ・フィオーレなんでーす」 「…反町」 身をかがめて耳まで貸していた山本氏の目に不穏な光が浮かび上がる。 「なんでおまえがそういうことを知ってるんだ!!」 「俺、鼻いいですもん。警察犬もやれちゃうくらい」 「…あ〜あ、これじゃラチがあかないな」 田島はため息をつきながら、ふと反町の足元に目をやった。グラウンドま ではあまり持ち込まないデイバッグがあって、開いた口からノートパソコン が覗いているではないか。 |
「反町、これはどういうことだ?」
「へ?」 山本に組み伏せられていた格好で反町は顔だけ振り向ける。遠目にはスト レッチでもやっているような姿勢に器用にもなっているあたりはすごい。 「練習先にこういうものは持って来ないよな、普通」 「あー、そうですか? うち、父親の遺言でジャーナリストたるもの常に何 かの通信ツールを手放すな、って」 「こら、親父さんを殺すな。しかも、おまえはジャーナリストじゃないだろ うが」 「まわりが寄ってたかって俺にそういう役目を押し付けてくるんですよぉ。 俺の意思なんてお構いなしに」 抵抗を諦めたのか反町は手を伸ばしてパソコンを開いた。ちょうどメール 作成中になっている。 「岬に、返信してたんです。今日はあいつからの連絡待ちなんですよね」 「へえ、岬くんが?」 田島が興味を持ったようだ。反町が呼び出した昨夜のメールを顔を近づけ て読んでいる。 「今日、ここに来る、ってことか? こりゃいいニュースじゃないか。練習 時間中かな」 「それがわからないから、こうして待ってんです」 「なーるほど」 納得してもらったところで、田島記者に質問。 「でー、ここでは蚕室総合運動場、って言い方をしてるでしょ? 岬クンは 今日俺たちがこっちのグラウンドを使うとは思わずに書いてきた可能性があ るから、ここのコンプレックスの中のどの場所に来るか、確証がないんで す。どこだと思います? もしかしたらリハーサルやってるあそことか?」 「メインスタジアムか? まあ、それこそメインの場所だから可能性も高い かもな」 「じゃあ、取材班、向こうにも送ってますよね、東都の。中継カメラも?」 「ああ、もちろん」 「ねえねえ田島さん、この後でいいですから、俺、なんとか覗けないっすか ねえ、あっち」 「えー? どうかなあ。大体俺にそんな権限ないしな。最初からリハーサル 取材から外されてんだから」 田島は少し考えてから、どこかに連絡を取った。 「あー、じゃ笠元さんには俺から言っとくから、そっち頼むな。うん、あり がと」 「何ですか、今の」 「うちの中継チームに割り当ての技術センターのスペースがあるんだ。同期 の仲のいいのがそこのスタッフだから頼んでみたらOKだって。少しでも近 いほうがいいんだろ。そこへ行こうぜ」 「あっ、ありがとう! 田島さん、ほんとありがとう!」 体調が悪いはずの反町がさっきから騒いでいるのでコーチングスタッフが しきりに睨んでいるが、そんなことを気にする反町ではない。 「後と言わず今行きましょ。さ!」 「あのな、反町。俺はサッカーの取材に来てるんだ。カメラマン一人残して 消えるわけにいかないだろ!」 風に乗って途切れ途切れに聞こえてくるリハーサルの音楽や音響が反町を そわそわさせ始める。 「ね、ね、反町くん!」 「わっ、翼!?」 ラインを割ったボールを追いかけついでに翼がいきなり覗き込んできた。 「岬くん、まだ?」 「あら、バレてた? 連絡はまだだよ。時間がわかったら教えるから」 翼はにこっとうなづいて駆け戻って行った。ラインまで戻って、そこでも う一度振り返る。 「仮病、がんばってね!」 「おいおい」 ばったりと倒れた反町を見下ろして山本が呆れてみせた。 「こいつらの情報公開なんて、当てにしちゃ駄目だな。ね、田島さん」 「ですねえ」 晴れていた空に、西のほうから雲が出てきたように見える。リハーサルは ここから波乱含みとなって行くのであった。 |