COUNTDOWN O'CLOCK






V










「お帰り、一樹」
 何か違和感もある挨拶で迎えながら、三杉はさっそくノートパソコンの前 に招き寄せた。
「日向の御機嫌はどうだった?」
「心配ないよ。下で今、翼と激論中」
「…?」
 今回のオリンピック代表のキャプテンである日向は、言ってみれば故障で 不在だった翼の代役を務めていたことになるわけだが、いよいよ本番となっ てそのキャプテンの座を巡る衝突でも始まったと言うのだろうか。
「ついさっきは審判の服が黒より黄色がいいかどうかって大騒ぎしてたな。 最初はグラウンドの芝生の縞模様がどうとか言ってもめてたんだけど」
「どうせ久しぶりに会えたのが嬉しいだけだろ」
「ひかる〜、そんな身もフタもないことを…」
 反町はにやにやと笑った。
「ま、ともかく俺がこうしてウロウロしてても大丈夫な程度には御機嫌だ よ」
「それなら安心だ」
 三杉としては多少引っ掛かるものがなきにしもあらずだったが、そういう 個人的な感情を口に出すような大人げない真似はしない。
「例のメールだけど、一つ検索にかかった項目があったよ。今回の日本選手 団の名簿に、岬くんがアクセスした形跡があるんだ」
「うー、やっぱりそれか」
 反町が思わぬ大声を上げたので、三杉も松山も驚いて目をみはった。
「『その子』だよ! あれ、誰のことかわかったんだ」
 さっき田島が怒鳴り込んで来た(未遂)件を二人に説明する。岬との関連 が疑われていることも含めて。
「体操女子の佐倉苑子さん、か。岬くんのファンっていうだけならまだし も、岬くんのほうでも彼女を知っている可能性があるとなると――」
「それ、めちゃめちゃマズイんじゃねえのか? 田島さんが思い込んでるだ けならいいけど、体操のチームとしてもこのままにしないはずだし」
 松山が渋い顔をする。三杉もうなづいた。
「相手が女性だと余計にね。たとえ数時間でも行き先がつかめない状態とい うのは危険だ」
「体操チームはどこの宿舎だ? ここじゃないんだろ」
「うん、えーとね、ちょっと待って」
 日本選手団のサイトにある体操チームのデータを確認しながら松山に答え る。
「俺たちは新館だけどー、ああ、体操チームは東館だ。敷地の、もっと入り 口に近いほう」
「ドーム屋根の付いている建物だね。日本選手団の本部もあそこにあるか ら、各競技の大半が泊まってるんじゃないかな」
「サッカーだけなんで離してあるんだろ」
 反町が一人でぶつぶつ悩んでいる間に、松山は窓から外を確認していた。 そのドーム屋根が木立ちの向こうに見えていて、直線距離でなら案外近いこ とがわかる。
「行ってみねえか?」
 指差す先を、こちらの二人も顔を上げて見やった。
「今、練習中じゃないの? 田島さんは体育館って言ってたし、みんな宿舎 にはいないと思うけど」
「近いんだから行くだけ行ってみりゃいいだろ。さ、さ!」
 パソコンにかじりついているより外に出たいのだ。それが顔にはっきりと 出ている松山を見て、三杉は苦笑した。
「わかった。どちらにせよ僕らも外出許可が必要だね。誰かスタッフに言っ ておこう。でないと今度は僕らが捜索隊を出されてしまう」
 IDカードがちゃんと交付されていることを確認した上で身支度をする。 ここ選手村では徹底したセキュリティが敷かれているから、安全を保証され る分、自分たちできちんとそのシステムに合わせなくてはならない。
「今はまだ自由時間だけど、今夜この後で僕らは入村レセプションに出るこ とになってるから、それには遅れないようにしないと」
「またJOCのおっさんたちにイヤミ言われたくねえしな」
「あんなのはパーティにはつきものの余興だから、気にしてないよ」
 今回の高校生ばかりの代表を組むにあたって、JOC、日本オリンピック 協会は終始反対の姿勢を崩さないままだった。もっとも、これは堅苦しい前 例はどんどんとっぱらえ、というサッカー協会のやり方をもともと快く思っ ていなかったところへ、さらに溝を深くしただけのこと、今に始まった話で はない。サッカー協会の仕事に一部関わっている三杉も一度そのあおりを食 い、東京での選手団結団式で露骨な皮肉を言われたのだが、それを松山のほ うが根に持っていまだに腹を立てていたりする。
「それより、体操の人たちも僕らも、パーティどころじゃない、なんてこと にならないように願うよ」
 同じ階にあるコーチの部屋に寄って口頭で届けを出してから、3人は宿舎 を出た。
 午後も遅くなると選手村の人の行き来は一気に活発になる。練習先から戻 って来る選手たちで混み始めるのだ。
「あら? あれ何だ?」
 少し先のほうで何やら喚声が上がっている、その中心に何があるのかは見 えないが、そこを目がけてさらに人が押し寄せようとしているようだ。
「今日の騒ぎを思い出させるような…」
「その類いだろうね」
 三杉は苦笑している。フラッシュが続けさまに光っているところを見れ ば、また取材対象となる誰かが犠牲になっているのだろう。
 入村式などのセレモニーは、コミュニティ広場と呼ばれるこの一角を中心 に行なわれる。公式なもの以外でも何かと人が集まる場所だけに、取材スポ ットとなるのも必然だった。
「あのへんは近づかないのが一番だな」
 3人はさりげなく方向を変えて、もう少し地味なルートを抜けて行くこと にした。コンビニなどの簡易店舗が集まっている隣にメディカルセンター、 さらに管理棟と続く。
「なんだかんだ言っても、オリンピックとコマーシャリズムはもう切り離せ ない関係になっているからね。ああいう形で選手や競技を商品扱いする風潮 は簡単には排除できないだろうな」
 広場のほうをちらっと振り返りながら三杉が言った。
「そんなん、こっちがええ迷惑やわ」
「え?」
 3人の足が止まる。どこから声がしたのか。間違いなく日本語、それもバ リバリの大阪弁である。
「あっ、こっち見んと! 知らん顔して壁のほうに来てくれへん?」
「……?」
 言われる通りに向きを変えると、その壁の先、外階段の陰にそっとこちら を窺っている顔が見えた。それも2つ。
「うわあ、もしかして――」
「しーっ、あかんて言うてるのに」
 声を上げそうになった反町にあわてて手を振ってみせて、彼らに立ち位置 を指示する。それでようやく死角ができたと判断したのか、ごそごそと姿を 現わした。
「やっぱり、あの体操の!」
「…なんとまあ」
 目を丸くする彼らの前に立ったジャージ姿の二人は、ぺこっと屈託なく頭 を下げた。
「ども、樫です〜」
「大江です〜」
 高校生と言うより漫才師のような挨拶をして、男子体操の人気者二人は照 れ笑いを見せた。









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