COUNTDOWN O'CLOCK










「闇雲に飛び出してもさ、決定的な手掛かりがあるわけじゃないし――」
「時間も限られていることだしね」
 そう反町に同意しながら、三杉は棚のドリンクをふと手に取った。小さな 紙パック入りで、他のオレンジやブドウのジュースに混じって並んでいたの だが、パッケージに描かれているのはマツボックリの絵である。まさか、マ ツボックリのジュース…? 三杉は見なかったことにしてそれをそっと棚に 戻した。
「こっそり動くとしても、俺たちメンが割れてる立場としちゃ綱渡りだよ な、どうしても」
 別の陳列棚の向こうからも声が上がる。
「でもさ、選手村ってどっちみても代表選手ばかりじゃん。これなら俺たち もある意味目立たない存在だって言えない?」
「なわけねーだろ」
 さっきまで見えなかった松山の頭が棚の向こうにぴょこんと飛び出し、ま たすぐに引っ込んだ。
 ここはなんと選手村内のコンビニエンスストア。選手村ではゲームセンタ ーに次いで人気のスポットとなっていて、今日も各国の選手たちが店内のそ こここで賑やかに買い物をしている。なるほど、競技を離れて息抜きをする 分には普通の若者なのだ。
 木を隠すなら森、の精神で、彼らも隠れ場所に迷った挙句にここに飛び込 んだのだった。
「どっちにしろ、自由に行動できるわけではないってことだね」
「ほな、今からボクら、空港行くのん無理やろか」
 こちらの3人とは背中合わせにわざと他人のふりをしながら、1列離れた 棚に向かって大江がつぶやいた。
 気休め程度でも、カムフラージュをしないよりはましだろう。
「バスや地下鉄もあるけれど、タクシーが妥当かな。個人で乗れるって意味 で。でもその前に、どうやって選手村を出るかが難題だね」
「そんな〜!」
 思わず樫がこちらに向き直って叫んだ。と、その横でしゃがんで商品を観 察していた松山が、下から樫のジャージのすそをぐいっと引き戻す。
「あ、ごめん…」
 肩をすぼめた樫だったが、松山の意図はそれではなかった。インスタント 麺の並ぶ棚を目をきらきらさせて凝視している。
「これ見ろよ。めちゃくちゃ辛そーだろ。スープが真っ赤っ赤、メンが染ま っちまってるぞ」
「――う、うん、そやな」
 カムフラージュを通り越して、会議の本題が頭から飛んでしまっているの か。
「光ってインスタント麺マニアだもんな。新製品は全部試すんだぜ」
 それをこちら側から見ながら、反町が大江に耳打ちしたが、その大江は全 然別のことに気を取られていた。
「な、それ、何? カバンえらい重そーやん」
 視線の先は反町の背の3WAYバッグだった。上から触って大江はその怪 しげな重量感に目を丸くしている。
「これ、ノートパソコン!? なんでそんなモン持ち歩いてんの、自分!」
「あ、俺、これがないと落ち着かなくて」
「…うっそぉ」
 こうなっては作戦会議どころかカムフラージュさえ危なくなってきている ような。
 一人別にいた三杉がこちらで声を上げた。
「あれ、相河さん。お買い物ですか?」
「え?」
 レジの列に並んでいた無闇に長身の男が呼び掛けられてびっくりしたよう に振り返る。男子バレーボールチームのエースアタッカー、相河だった。
「やあ、君、サッカーチームの子だったよね」
 手に持っていた本をレジに出してから、相河は三杉に向かって照れてみせ た。本には『Seoul Night Life Guide』の文字がある。
「悪い大人を真似しちゃ駄目だよ、君みたいな高校生は」
 目くばせで誤魔化そうとするあたり、たしかに悪い見本と言えそうだ。
「いえそれが、ぜひ見習おうって、ちょうどチャンスを待っていたところな んです、僕たち」
「僕たち? ――あ、うっわ〜!」
 体が大きいとアクションも数倍大きくなる。三杉のその背後からぴょこぴ ょこっと出て来た高校生選手たちに驚いて、相河はその長い腕を派手に振り 回した。
「サッカーと、それに体操の…!? なんだなんだ、君たち。5人も揃って、 まさか同級生とか?」
 …じゃなかったよなあ、と一人でぶつぶつと突っ込みを入れながら、相河 は少し平静さを取り戻したようだった。
「でもさ、こんなとこでつるんで、本当に遊びに抜け出す気なのか? 体操 の監督ってめちゃくちゃ厳しいって話だろ」
「バレーの監督だってそうじゃないんですか? まあもっとも僕たちサッカ ーは監督や役員さんたちよりチームのキャプテンが一番厳しいんですけど」  微妙な立場にいる体操コンビが発言できない代わりに、三杉がそう答え る。その背後で同じ顔が二つ、もっともらしくうなづいてひそひそと内緒話 を始めた。
「まあ、ありゃ厳しいってより、ヒステリーだな。俺たちをまるで狂犬病の 犬みたいに思い込んでるんだ、あいつは」
「てゆーか、八つ当たり入ってるよね。自分のほんとの心配ごとを認めたく ないからってさ」
 話が見えないどころか、まだこの状況がまったく飲み込めていない相河の ために、三杉は先に立ってレジを離れた。
「この選手村って陸の孤島ですよね。僕たち、なかなか自由に行動できなく て困ってるんです。特に、出掛けようと思ってもこれが大変で――」
「それは無理もないよ。それに君たちは特にそうだよね。僕も去年のアジア 大会の時は自由に動くのに苦労したけど、君たちってちょっと騒ぎが度を越 してるからなあ。ま、ここの監視のきつさは相当だけどね。なにしろ警備が 警察じゃなくて軍隊だし」
「へえ〜、道理で恐そうな顔の人ばっかりやと思ったわ」
「でも、実績は一番積んでるって、噂になってますよ〜、相河さん?」
「なあに、それほどでもないけどね」
 謙遜になっていないのは、さすがにエース選手の貫禄か。
「ボクら、時間ないんです。どうしても早いこと行かなあかんのに…」
「今から?」
 大江の必死な表情に、相河は怪訝そうに振り向いた。
「まだ明るいよ?」
「いやその…」
 詳しい事情は話せないが、誤解だけは最低限でも解いておかないと。
「金浦空港に急ぎの用事があるんです。ただし、無断外出で」
「夜の壮行パーティまでには帰ってこなあかんので…」
「ふうん」
 三杉と大江の説明を聞いて、相河はちょっと首を傾げた。
「パーティだけど、なんか、延期かもしれないって、そんな話を聞いたよ、 ついさっきだけど」
「えっ、そーなんですか?」
 反町がなぜかあわてた。情報収集には自信があっただけに、出し抜かれた のが少々ショックだったのか。
「とにかく裏技スポットを教えるから、やってみれば? 健闘を祈るよ」
「ありがとうございます、相河さん」
 コンビニのあるショッピング棟を抜けた所で、彼らは相河と別れた。
「くれぐれも目立たないようにね!」
 最後に手を振って大きな声を上げる相河に、5人は苦笑してしまった。体 だけでここまで目立っている人に言われては立場がない。
「けどまだ連絡もないやなんて、先輩、やっぱりなんかあったんかなあ…」 「太郎ちゃんのファンだなんてねえ、そりゃあ色んな意味で心配しちゃうよ ねえ」
「人ごとじゃねえだろ、一樹」
 松山が肩をたたく。
「第一、佐倉さんておまえのファンでもあるんだぜ」
「違うってばー。人違いなの!」
 必死の抵抗もここでは空しかった。









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