COUNTDOWN O'CLOCK










「あ、ここかな」
「そうみたいやな」
 先頭を歩いていた三杉と大江が目的の建物を見つけたようだ。
「ほんまや、タクシーがあんなに列作ってるワ」
「じゃあ、目指すのはこの向こう側ってことだね」
 選手村はもちろん各国選手団の居住区であるが、オリンピック後には宿舎 棟がそのまま分譲マンションとして市民に払い下げられることになっている ため、大会期間中でも一ヵ所だけ一般解放されている場所があった。敷地に 隣り合う庭園の展望台である。
 ここからは漢江も間近に望め、隣接する競技場や体育館群も見渡せる。大 会を前に盛り上がる地元市民や観光客の人気スポットとなるのは当然という わけだ。
 地下鉄やバスでも来られるが、タクシーを利用する人も少なくなく、客を 運んできたタクシー、帰りの客を乗せていくタクシーがそれこそオリンピッ ク景気を象徴するようにひっきりなしに行き来していた。相河が教えてくれ た秘密のスポットとは、そのタクシーが行きから帰りへと一方通行のまま方 向転換するために通る専用レーンだった。それがちょうど管理棟の1階部分 をくぐる形になっていて、時々流れが止まる時が狙い目だというのである。 「これは確かに死角ってとこだね」
「ほんま、よう見つけたなあ、こんなん」
「背ェ高こうて見晴らしがエエから、見つけられるんと違うか?」
「んなアホな」
 漫才が自然発生する2人組はともかく、ここで問題が一つあった。タクシ ー1台に5人は乗れないのだ。
「2人、3人で分かれることになるね」
「一樹は2人のほうだな。その背中のヤツで場所取るから」
「なんだよー、邪魔者扱いしないでくれる?」
 結局反町と三杉、松山と体操の2人、というふうに分かれて2台のタクシ ーをつかまえる。
「ミョンドン?」
「いえ、空港へお願いします」
 タクシーの運ちゃんが慣れたふうで一番の繁華街の名前を出したところを 見ると、この方法で選手村を抜け出す人間は珍しくないようで、相河のオリ ジナルというわけではないらしい。
「研究熱心なんだなあ、みんな。感動するよ」
「一流の選手は遊びも一流、なんてね。ウチの監督に聞かしたら卒倒しはる やろけど」
 2台目のタクシーの中でも同じ話題で盛り上がっている。
「そんなに厳しいのか、体操って」
「そらもう。自由時間までスケジュール組んだんねんもん」
「けど、どの種目かて似たようなもんと違う? まあ、バレーは知らんけ ど。サッカーってそんな特別に自由なん?」
「自由って言うかなあ。俺たちはあんまりよそと比べて、とか思ったことは なかったしなあ」
 共にオリンピック初参加の彼らは、他種目のチームと行動を共にする機会 自体が今までなかったことになる。
「けど学校の部活でもなんかサッカー部だけアタマとか好きにしてて、エエ なあって思うし、プロの選手見ててもあんな髪染めてたりピアスやらして、 よう怒られんもんやて思うもんな」
「ピアス言うたら、反町くん、してはるよなあ。あれ、学校で何も言われへ んのかな」
 ふと思い出したふうの樫の言葉に、松山はあっさりと答える。
「ああ、一樹のあのピアスはオシャレでやってんじゃないから。学校もそれ で大丈夫なんだろうな。あれは生まれつきってやつさ」
「う、生まれつき?」
 樫も大江も目を丸くする。
「あいつは生まれてすぐからもう国際テロリスト並の人生を歩んでるんだ。 あのピアスはその勲章みたいなもんだな」
「は、あ〜?」
「俺みたいに普通に生まれて普通に育った人間には、ちょっと理解できねえ な」
 普通の基準がどこにあるのかはともかく、松山は胸を張ってそう断言して みせた。
「――なぁんか、背後からや〜な気配がするなあ」
「くしゃみでもしたくなったかい?」
 三杉もちらっと後ろのタクシーに目をやった。
「光のやつ、あの2人に変なこと吹き込んでないだろーな」
「情報交換は必要だと思うよ。佐倉さんって人のことも僕らはほとんど知ら ないわけだし」
「情報交換ならあの2人よりも岬クンとやらなくちゃ。なんか今回、あいつ いつも以上に変だよ。何考えてんのか、捕まえて白状してもらわないと」
「それは永久に無理だねえ」
 三杉は微笑んだ。微妙な感情がそこに混じっている。
「彼が翼くんとの約束を守ってくれさえすればそれでいいとしなくちゃ」
「ほんとにそれでいいのかぁ? あいつ、絶対とんでもないトラブルを目い っぱい引き連れて来ちゃうぜー」
 そうこぼしながら反町は自分の3WAYバッグからノートパソコンを引っ 張り出した。
「これ、見てくれる? 今日JOCの資料をちょっと見て回ってる時に偶然 出て来たんだよね」
「偶然…ね」
 反町は画面のメニューを順に見ながら目当ての項目を呼び出す。まず英文 のタイトルがずらりと現われた。三杉は横目で反町を見る。
「とてもそうは思えないよ、一樹。これって完全に内部資料じゃないか。し かもプライベート関連の」
「だってさ、俺に来たメールだって覗かれてんだぜ。これで不公平なしって こと」
「覗かれてる?」
「そう」
 反町は画面に向かったまま自信ありげにうなづいた。そしてタイトルの一 つを選択してその本文を表示する。それは英文のメールだった。送信の日付 は今日である。
「ここだよ。俺宛ての例の岬クンからのメールが引用されてるだろ。俺たち が選手村入りするより数時間前にこれが書かれてるってことはどう解釈すれ ばいいと思う?」
「なるほど」
 三杉の顔に苦笑が浮かぶ。
「このメールを送った人物は岬くんの動向を知りたくてたまたま君の身辺を 見張ってたようだけど、その君こそが実は危険人物だってことは知らなかっ たんだね」
「あのね。ターゲットはあくまで岬クン。俺は、オマケなの! たまたまメ ールの受取人だっただけ」
「それはどうかな」
 抗議する反町にも、三杉は動じない。
「そもそも岬くんはなぜ君に直接メールを送らずに宿舎に宛てたのか。より 安全な方法をとらずに」
 画面の文字を一緒に目で追いながら、三杉は冷静に続けた。
「岬くんはあえて足跡を残して見せている。君はその協力者というわけだ」 「……」
「岬くんだけを警戒している時点で、その人物の判断ミスだ。本当にマーク すべき共犯者との強力な連携プレーを見落とすなんてね」
「――ほめ過ぎ、それ」
 自分のことなのにまったく悪びれることなく、反町はいきなり開き直っ た。まあ、どうせ三杉にばれることも計算のうちだったのだろう。
「岬クンってば例によって一方的に指令書を寄越してくるだけで、俺なんて 要するにパシリなのさ。共犯者なんてイイもんじゃ全然ないんだから」
「どんな指令書だい?」
 三杉ももちろんそんなはぐらかしには目も向けずに厳しく追い詰める。
「そ、それは〜」
 まあ、勝負はどうせ見えているのだが。
「あのー」
 と、そこに、割り込んだ声があった。
「このまままっすぐ空港に行きますかね。それとも…」
「え?」
 タクシーの運転手の言葉に2人は驚いて顔を上げる。
「後ろのタクシーもお連れでしょ? ほら、右折しようとしてますけど、構 わず行きますか?」
「なになになに〜!!」
 がばっと背後を振り返った反町が声を上げた。
 5人で分乗した2台のタクシーであるが、さっきまですぐ後ろを走ってい たはずの白いタクシーの姿がない。運転手さんの言葉であわてて確認する と、こっちが通過した交差点の中に残って右折して行くのが小さく見えた。 「どうしたっての、一体?」
「たぶん、途中で降ろす客がいたんでしょうな。市街のほうに。なに大丈 夫。ちゃんとお連れも空港に行けますよ」
 運転手さんは笑顔で説明して、まったくあわてた様子はない。きちんと蝶 ネクタイなどして、さっきから流暢に英語で応対していることから見ても信 頼できる感じはあるのだが、どうも言っていることの意味がわからない。
「あ〜あ、行っちゃったよ。どうすんの、淳」
「途中で降ろすというのは、どういう意味ですか、運転手さん。彼らは空港 に行くだけのはずですが」
 三杉が同じく英語で丁寧に尋ねた。
「お客さんたちを乗せた後で、どこか信号待ちの間にでも相乗りの客を新し く拾ったんでしょう。その客が降りるのがちょっと外れる場所だったんだと 思いますよ。最終的に間違いなく空港に行きますから心配はいりませんよ」 「相乗り、ですか…」
 さすがに三杉もあっけにとられる。
「ソウルのタクシーは相乗り制なんですか?」
「ああ、あっちは一般タクシーですからね。よくあることです。ソウルの渋 滞解消に少しくらいは役立ってるはずですけどね」
「何、一般タクシーって?」
 横から反町がささやく。
「そう言えば模範タクシーと一般タクシーの2種類があるって聞いたような 気がするよ。車種がちょっと違うと思ったら、僕たちだけ模範タクシーに乗 ってたみたいだね」
「大丈夫かなあ、あっち」
 伸び上がって心配そうにまた振り返る反町だったが、もちろん3人の乗っ たタクシーはもうとっくに川向こうの市街に行ってしまっている。
「空港でうまく合流できるといいけれど」
「やな予感するな、俺。あの3人ってどうも何かやらかしそうで」
「自重してくれることを祈るだけだね」
 傾向と対策には彼らも慣れているとは言え、松山の破壊的なまでの行動力 は不安材料以外の何物でもない。果たして初対面の2人と一緒で少しは大人 しくしていてくれるのか、それとも逆に突っ走ってしまうのか。
「いざとなれば迷子放送だね、空港の」
「うわ〜、やだなあ、それ」
 団体行動は難しい。海外では特に。そしてこの4つ子たちは特に。









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