COUNTDOWN O'CLOCK |
「おい、翼はどうした」 ドアを開けると同時に大きな声を出した若林に驚いて森崎が立ち上がっ た。若島津のほうは興味なさそうにベッドに座ったまま雑誌を読み続けてい る。 「どうかしたんですか、若林さん」 「部屋に行ってみたらいないんだ。知らないか?」 ホテルというよりは単身者用マンションといった造りの宿舎である。いず れはここがキッチンでここがリビングか、と想像できるレイアウトで、実 際、大会後は改装されてマンションとして分譲されることになっている。 サッカー代表チームはそこにポジション別に2人ずつ入っているわけだ が、翼は岬が必ず来ることを前提に相部屋を主張して、今はとりあえず一人 で入っている。 ちなみにこのチーム、FWが8人、DFが6人もいるのに対し、肝心の中 盤は4人しかいない。そのうち一人が遅刻というのは確かに大きいと言え る。 「俺も一人部屋だから、岬が来るまではどちらかの部屋で一緒に使うのはど うかと思ってな」 「…で、2人で一緒に日本語の練習でもするわけか」 そっぽを向いたままの若島津がぼそりとつぶやいた。思わずむっとしかけ た若林だが、その前に若島津がそれをさえぎる。 「翼はさっき出掛けた。JOCのエライ人から召集がかかったって言って な」 「ほう? こんな着いた早々にか」 それで、というように若林は相手の言葉を待ったが、若島津は知らん顔で 雑誌に目を戻し、またこれも肩すかしとなる。 「…おい?」 「あいつの移籍の噂、聞いたことあるか」 たっぷりとタイミングを外して再び若島津が口を開いた。どうにも悪意を 感じさせる時間差攻撃だ。 「それはまあ、デカイのから小さいのまで噂なら山ほど」 「そのデカイの、だ」 「――何が、なんだ!」 とうとう大声になってしまった若林だった。日本語に慣れているかいない かはさておいて、若島津の不親切な説明では、理解させる気があるのか確か に疑わしくなるだろう。 「あ、そうか」 と、こちらで、また別の意味でタイミングを外す声がのんきに上がった。 思わず脱力しつつ若林が振り向くと、森崎が何かを思い出したように手を打 っている。 「さっき日向がすごい勢いで出てくの見たんだ。それでだったんだな」 「何だって?」 |
若島津式の会話には既に慣れてしまっているのか、それとももともと気に
していないのか、森崎は森崎で若島津の説明をちゃんと理解していたらし
く、話を引き継ぐ。
「あれって、翼を追いかけてったこと?」 「そう、自分ではボディガードのつもりらしいな、翼の」 若林はその言葉を聞きとがめた。 「相手は選手団本部の人間なんだろ、ボディーガードがなんで必要なんだ」 「日向さんがそう判断したんだ。俺たちとは基準が違うんだろう」 「どういうことだ」 最初の若島津の話はここに繋がるらしい。若林の顔が厳しくなる。それを 見て、森崎が続けた。 「翼の周囲がうるさすぎるんです、ここんとこ。移籍に関してはクラブチー ム単位の接触だけじゃなくて、スポンサー企業から自治体まで、あれこれ言 ってきてて」 「なるほどな」 若林もここでようやく納得顔になった。 「まあ、その手の話はどこの選手もよく聞くが」 「こんな、オリンピックの場だし、しかも代表として来ているんだから、な んとか静かにしてもらえるようにならないか、って、翼も少し前から協会に 頼んだりしてたらしいですよ」 「で、その件で呼ばれたと――」 若林はつぶやいて腕を組んだ。 「なんとかって、協会でなんとかできるもんでもないだろうが」 「そこが怪しいってわけさ」 若島津がフン、と鼻であしらった。 「なんとかできるわけもないのになんとかする、って言っている奴らを信用 できるか…ってのが日向さんの言い分でな」 いつの間にか若島津はこちらにまっすぐ視線を向けていた。 「つまり、あの人が信用しているのは自分の勘と腕っぷしだけってことさ」 「やれやれ」 思わず苦笑が出る。 「相変わらずなんだな、あいつは」 いや、相変わらずなのは日向だけではなかったのだ。 |