COUNTDOWN O'CLOCK










 ノックの音があった。岬が顔を上げると、後部ドアが開いてリーダーの男 が顔を見せる。
「やあ、ヒッチハイカー君。薬と毛布を持って来たよ」
「ああ、どうも」
 手を伸ばしてその両方を受け取る。岬のパーカーを肩に掛けて佐倉さんは さっきからうとうとと眠っていた。薬は後にして毛布をそっと掛ける。
「熱が下がらなくてね。大会が無事に開かれても中止になっても、コンディ ションは大切だろ?」
 そう言って顔を上げた岬を、リーダーの男は複雑な思いで眺めた。
 怯えない、パニックにならない、抵抗しない、しかし屈服もしていない。 冷静で大胆で、そしてつかみどころがない。
 こういう人間を、彼はこれまで見たことがなかった。しかもまだ十代の少 年だというのが信じられないくらいの確かな存在感がある。そのくせ外観的 に派手な印象はまったくなく、おとなしげでどこにでも紛れそうな普通っぽ い雰囲気を持っている。
 地下活動を長くやってきた経験からも、これは要注意人物だ、とささやく 声がある一方で、何か惹き付けれられる力を感じずにはいられない。リーダ ーはさっきからそんなジレンマに陥っていた。
「ミサキくん、その代わりと言ってはなんだが、こちらから頼みたいことが ある」
「いいよ。ギブアンドテイクってことなら」
 あっさりと岬は承諾した。まだその内容も聞いていないうちに。
「さっきの君のフランス語は驚いたよ。頼みと言うのはそのフランス語で書 いてほしいものがあるんだ」
「IOC宛てに?」
 岬の言葉にリーダーはわずかにたじろぐ。
「驚いたな。その通りだよ。僕たちの犯行声明文をフランス語に訳してもら いたいんだ」
「犯行声明。てことはさっそくもう何かやっちゃったってわけか。あ、この 中継車が空港に行ってた理由って、それ?」
 図星すぎて答えられないということもある。リーダーはただあいまいにう なづくしかなかった。
 一度引っ込んで、リーダーは一枚の紙を手渡した。自分たちが用意した英 文の声明である。しかしIOCはフランス人クーベルタン男爵による創立以 来フランス語と英語を公用語としているため、もう1通添えようと考えたよ うだ。
「すぐにかかれるか? 夜のニュースには間に合ってもらいたいんでね」
「じゃあ、ちょっと待ってて。やってみるから」
 岬はその声明文に目を通しながらうなづいた。そんなものをそんなに気楽 に引き受けてしまっていいのか。
 リーダーがその場で見守る中、岬はもらった紙にすらすらと文字を連ねて いく。
「妙な真似だけはやめろよ。一応僕もフランス語はわかるんだ。チェックは 入れるぞ」
「誤字脱字もチェックしてくれるなら嬉しいな。でも心配は要らないよ。ボ クも次はゴハンを頼みたいから。交換条件は守らないとね」
 いかにも少年っぽい笑顔である。
 しかしその奥にやっぱり何か不吉なものを感じずにいられない。リーダー は密かに唾をごくりと飲んだ。しかし名より実。利用すべきは利用する、と いう鉄則を今は敢えて優先するしかなかったのだった。









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