COUNTDOWN O'CLOCK |
広い到着ロビーは、乗降客や職員たちでいよいよ混み合ってきていた。い ったん閉鎖された滑走路が部分的に再開されて着陸を受け入れるようになっ たのはいいのだが、空港から市内への道路、交通機関が制限されているた め、流れ込むばかりで出て行けない状態なのだ。 「まさに足止めだね。いつまでこうしていればいいのかな」 「いや〜、ケータイがあってよかったぁ」 そのロビーの片隅で、しかし反町は余裕の表情を浮かべている。壁にもた れて床に足を投げ出し、その膝の上のノートパソコンをさっきから操作して いるのだ。携帯電話と接続してネット上の最新情報をどんどん仕入れていっ て、現場にいながら何もわからずにいるこの状況を少しでも把握しようとし ているらしい。 「テレビのニュースよりこっちのほうが早いようだね」 「そ。それに情報量も多いしぃ」 反町はあるニュースサイトを三杉に示して見せた。空港の見取り図付きで 解説を載せている英文ニュースだった。 「ほらな、ここが今いる第一ターミナルだろ。爆発はここ、この貨物用ゲー ト付近で起きたんだな。ここはいわゆる関係者以外は入れないエリアだけ ど、輸送関係とか管理関係の人間やクルマが頻繁に出入りする場所なもんだ から、限定されてるわりに逆に特定できないらしいんだよね」 「時限装置の分析から、犯行時間はある程度割り出せてるようだね」 屈み込んで三杉も画面の文字を追う。 「おや? その直前にそこのゲートを使って到着した政府要人なんていうの もあるね」 「ああ、これね。一般の到着便とは別に特別扱いの入国にここはよく使うん だって。でも確かにこのへん危ないよね。この本人が関わってなくたって、 同行の関係者に出迎えの関係者、それに警備や報道や、そりゃどっさり人が 動くもんなあ、こういう場合。犯行のチャンスだって山ほどあるよね」 「まあ、犯人捜しは僕たちがやってもしかたないよ。問題は岬くんと佐倉さ んが今どうしてるかだ。あの2人がここに一緒にいたらしいっていう以上は ね」 三杉は背筋を伸ばして周囲を見渡した。自分たちが選手団で到着したのと ほぼ同じ頃に岬もここに来ていたのだ。そう思うと、そのニアミスにもある 種の感慨がある。 「去年の9月以来か。本番直前になってやっと顔を見せるんだから。丸一年 も姿を見せずにいるなんて、岬くんも待たせてくれるよ」 「織姫と彦星!」 言わなくていいことをわざわざ口にする奴もいる。もちろん三杉は無視し たが。 「翼くんのトラブルをなんとかしたいのは僕たちだって同じなんだ。何も合 流を遅らせてまで単独行動を貫こうだなんて」 「照れてんじゃない? いろいろワガママ言ったのが恥ずかしくってさ」 「そんなかわいい性格だっけ?」 三杉はにっこりと笑顔を見せた。それはもう、ありとあらゆる想いを込め て。 「まあまあ、それ言っちゃおしまいでしょ」 反町は苦笑で応じた。 「俺の見る限り、翼の問題はありゃ大義名分化してるよ。つまり言い訳がほ しいんだな、岬クンは」 「言い訳?」 「わかるだろ? ワガママが言えるってのはイコール甘えられる相手だって ことだよ。それが恥ずかしいんじゃない?」 「誰に?」 「おまえに」 反町はにんまりと笑った。 「おまえの言う通り、岬クンは『そんな性格じゃない』くせにうっかり甘え ちまったわけだ。いい子ぶりっこを解除して、ワガママっ子全開になって。 恥ずかしいじゃ済まないくらいだと思うよ、俺は」 三杉の眉がわずかに動いたようだった。 「――素を出してるって言うなら、君や光にだって同じじゃないか」 「わかってるくせに。一番、素を見られたくない相手っているだろ? お互 いさまってやつ」 「僕は別に…!」 珍しくむきになって三杉が反論しようとした時、遠くから彼らの名を呼ぶ 声が聞こえてきた。関西弁の、聞き覚えのある声だった。 「――あ〜、よかったぁ。ホンマに三杉くんや。反町くんも。見つかってよ かったヮ」 「あれっ、2人だけ? 光は?」 |
息を切らして反町の横に滑り込むように座り込んだ樫と大江は、そう訊か
れるとすまなそうに互いに顔を見合わせた。
「はぐれてしもてん、途中で」 「ボクら逃がすから言うて、自分だけ残ってくれはって」 2人はカメラに追いかけられたいきさつを話した。反町は目を丸くして三 杉を振り仰ぐ。 「急に動けなくなったって、何それ。ケガじゃないよねえ」 「たぶんガス欠だな。光は昼食を食べていなかったから…」 集合時間に遅れそうになって泣く泣く食事を抜いた松山を思い出して、三 杉は断言した。機内でも軽いオヤツ程度しか出してもらえずにこぼしていた ことも含めて。 「けど、地下鉄でよく来られたねえ。空港と市内間の交通は制限されてるは ずだよ」 「これこれ」 樫が首に下げている紐を引っ張った。出てきたのは選手村のIDカードで ある。 「これ見せたらにこにこして通してくれてな。な?」 「水戸黄門の印籠みたいやったな。松山くんもこれがあったら、ちゃんと来 られるはずやねんけど」 「いざとなれば電話してくる…かな? 韓国の公衆電話のかけ方って、あい つにレクチャーしといた、淳?」 「一応はね」 三杉は軽くため息をついた。 「でも一樹、君がそうやってモバイルに使ってる間はその携帯はつながらな いと思うよ」 「あ、そっか!」 反町は思い切り元気よく手を打つ。 「んじゃ、早くこっちの作業を切り上げて光からの連絡を待ってみますか」 「これで何やってたん?」 2人も興味深げに覗いている。 「今はここの爆弾テロのこと調べてて中断してんだけど、つまり岬クンの立 ち回り先をチェックして居所を突き止めようってがんばってたわけ」 「わかんの、そんなんで?」 「岬くんに発信機とか付けたんの?」 樫の言葉に苦笑したのは三杉だ。 「だったら助かるんだけどね。渡り鳥も目じゃないくらいの動き方だから。 でもこの一樹がある意味発信機の役目をやってくれてるから、やる気にさえ なってくれれば大丈夫なんだ。ねえ、一樹?」 「あああ、背筋が寒いよぉ。太郎ちゃんからは脅されて、淳からはつつかれ て、俺ばっかり働きづめ…」 泣き言を並べつつ、手はしっかり動いている。次々とコンテンツを展開し ていくその様子を、樫と大江はひたすら驚きの目で見つめていた。 「はいはい、いいから急ぐ!」 もちろん三杉のほうはそんなものに一切耳を貸すつもりはない。 「岬くんが接触した形跡のある相手は、それだけかい?」 「全部なんてわかりっこないけどさ」 こればかりは正直に反町は言った。 「翼に一番積極的に移籍話を持ちかけてたエージェントが、バックに大口の スポンサーをつけてて、太郎ちゃんはそれを順番に洗ってたんだ。土地転が しじゃないけど、話の動かし方ひとつで値段は自由に釣り上げていけるんだ よね」 「日本の、どこかに、さらに繋がってるルート?」 三杉の言葉に、反町ははっと反応して顔を上げた。 「淳、おまえも調べてたんだ?」 「翼くんを助けたいのは同じだ、って言ったはずだよ。もっとも僕は企業よ りも、身内の組織のほうを当たってるんだけどね。スポーツ界のバックの、 そのさらに上のほう」 三杉はもう一度画面に目を落とした。そこに呼び出されているリストは、 いわゆる世界規模の大企業ばかりである。今やオリンピックは経済界から見 て紛れもなくビッグビジネスの場である。スポンサーは資金を提供する分だ けの見返りを計算し、そして要求する。 |
「なに、なに? なんかイタイ話みたいやけど…」
きなくさい会話に、こちらの2人も興味を持ったようだった。何より、似 たようにスポーツ以外の雑音にさらされている立場なだけに。 「ブラジルのクラブチームからヨーロッパのどこかのリーグへ、って移籍の 話なんだ。まあ、噂だけなら毎年のことなんだけど、今回はこのオリンピッ クのせいで向こうもマジらしくってさ。ちょっと手段を選ばない感じで動い てるんだよね。おかげで、岬クンは本番直前になっても出て来てくんないん だ」 「――なあ、素朴なギモンで悪いんやけどな。自分ら、何してるヒト? 同 じ高校生やのに、サッカーの選手、だけて思えへん」 反町の説明に、大江がおずおずと口をはさんだ。同じく樫も不思議そうに 三杉を振り返り、しばし沈黙が流れる。 最初に笑いをもらしたのは三杉だった。 「僕たちはただの高校生でただのサッカー選手なだけ、だよ。岬くんはまあ 別格かもしれないけど。彼は大学でこの手の研究をしているから」 「えー、けど、こんなパソコン持ち歩いて、こんなことやら色々やってはる やん。オリンピックに来た選手が、競技以外のこと、こんなんして調べまわ ったり、する?」 「ああ、これはね、趣味」 反町はあっさりと宣言する。 「俺も淳も、パソコン好きなんだ。気分転換にいいしー」 「コンディション調整も選手の仕事のうち、だよね。チームがベストコンデ ィションで大会に臨めるように、翼くんやチームに邪魔になる要素を取り除 きたいってことだよ」 「趣味ってなあ…」 樫と大江は腑に落ちない様子で声を揃えた。 「サッカーって、そこまで自分で何もかもやらなやってけんトコなん? コ ーチやら協会やらには任せておけんの?」 「自主独立の精神はサッカーの伝統かもしれないね」 笑顔で言われても、それは自慢できることではないのでは。 「とにかく、スポーツをスポーツ以外の利害関係で動かそうとする連中に翼 くんが振り回されている。翼くん本人にも、僕たちチーム全体にも大迷惑 だ。こんなトラブルは根っこから取り除かないと、っていう、それだけなん だ」 「そうそう、それだけ」 反町はそこまで笑顔で言って、それから急に肩を落とす。 「それだけなのに、なんでこんなに疲れるかなー。あ〜あ、パシリは辛い」 「ああ、それはもうわかったから、続きを急いで、一樹」 容赦のないエールを送っておいて、三杉は2人への説明を続けた。 「サッカーの場合、移籍の時はクラブからクラブへ大きな金が動くんだ。時 には数十億の単位でね。移籍金というのが禁止されてからは、複数年契約を あえて結んだ上で、その契約期間中の移籍という形にして特例の違約金を引 き出す方法をとるようになってね。本来は選手のためにそういう交渉や手続 きを代行する代理人としてのエージェントがどんどん表裏を使い分けるよう になって来たってわけだ。オリンピックも、ワールドカップも、まさにその 競り市になってしまっててね」 「うわ〜、こわっ。想像できん世界やな」 三杉は反町の横に動いて画面を指し示した。 「選手個人につくスポンサー、クラブにもスポンサー、そしてオリンピック にも開催自治体にもスポンサー。翼くんに圧力をかけているのは、そのうち のどこか、あるいは全部かもしれない。故障明けで出場が微妙だって読みが あるんだろうね。出ろ出るな、いつからにしろ、誰と組め――監督より細か い指示を契約条件に入れて来るんだから。彼らは商品価値を高めるためには 何だってやるんだ」 「ついでに俺たち代表チームもこそこそ監視したりね。俺に来たメールまで 盗み見してるんだぜ」 「そらまたホンマ、無茶しよるなあ、呆れるわ」 樫が素直に憤っている。 |
「でー、そんなことができる人間って絞ってくとさ、どうも選手団の内部、
ずっと上のほうに行き着きそうなんだよ」
「うっそー!」 「嘘であってほしいけど、いろいろ状況証拠もあってね」 実はこのあたりは反町とは別口の調査の結果である。目をまん丸にした反 町と視線を合わせて、三杉はにこっと笑いを返した。 「僕の調査と、岬くんのデータをできるだけ早く照合してみたいんだ。もち ろん彼自身が出て来てくれれば話は早いんだけど、一樹、だから君の協力が 不可欠だってことさ」 「あのねえ…!」 絶句していた反町がせめてもの反論をする。 「もういくら絞ったってなーんにも出ないよ。あとは岬クンの持ってくるデ ータが届かない限り、俺だけで動かせるのはここが限界。この先のドアは押 しても引いても合鍵を持ってきたって開けられないからね!」 反町は画面に出ているコンテンツの中から一つを選んでサーチを実行して みせる。 「『NOT FOUND』か。なるほどね。岬くんの企業秘密はそう簡単に 明かしてもらえないわけだ」 「あいつ、今回は肝心なとこは全部オフラインで、って言ったんだ。どんな ネットワーク通信より、自分自身が信用できるってさ。最後のファイルはた ぶんヒコーキの手荷物に入れて来たんじゃない?」 「彼らしいね」 三杉はうなづいた。 「手がないならしかたない。自力で作り出すまでだな」 「うわ、淳っ、なにすんのー!」 いきなり横から手を出してきた三杉に、さすがにおののく。指が素早くキ ーボードをたたいて、画面に別のウィンドウが開いた。 「さあ、一樹、あとはパスワードだ。入力して」 「これって…」 反町は困った顔で頭をかいた。三杉は構わずに立ち上がる。 「そう、岬くんのダミー回線に使われてるサーバー。君がジャカルタでうろ うろしてた時に岬くんとの『会話』に使わせてもらってたものさ」 アジア最終予選の時に反町が行方不明になっていた間、三杉は松山と共に 反町のパソコンを勝手に使って、岬の居所を必死に探していたのだった。 「あの時はゲームの形をしていたから、帰国した後で自分で翻訳しておいた んだ、ゲームからね。ただパスワードは変更されていたからそれ以上は何も できなかったけどね。まあ、こんなこともあるかと思って、バックアップを 取っておいてよかったよ」 「やれやれ、岬クンのこととなると見境ないんだから…」 反町は呆れたように首を振って、最新のパスワードを入力した。 「こんなことさせられて、俺、あいつの共犯者扱いじゃん。自白だよ、これ じゃ」 「みたい、じゃなくて、そのものだろう」 世界各地のネットワークを時にはその裏道を利用してデータの収集と解析 を続ける岬だけあって、アリバイ工作は常に欠かせない。。現在位置を偽装 するためにも、ダミーのアドレス、ダミーのサーバーをフル活用しているの だ。 「あららら」 反町が妙な声を上げた。中継サーバーのとある場所に、新しいメールを発 見したのだ。 「それは?」 「JOCに来るメールをチェックするためのニセの郵便箱。勝手にコピーし て保存してくれるんだ。ほら、俺宛てのメールを盗聴されたお返しに仕掛け ておいたんだ」 「一樹、それは完全に犯罪行為だよ。報復ならなおさらレッドカードものだ な」 「よく言うよ。盗品と知っててそれを利用するのも犯罪だからねっ」 「――なあ、ひーやん。このヒトら、やっぱり…」 横でひそひそと囁き合う2人がいた。 |
「他人や。ボクら、あくまで他人や。聞かんかったことにしよな」
「うんうん」 しかし現実逃避にも限界があった。そのメールの内容が、彼らに大いに関 わりのあるものだったのだ。 「ねーねー、ちょっとヤバイよ。これって、テロの犯行声明と同じ発信元だ よー。RRAって!」 「本当に同じかな。ニュースを見た人間なら、組織の名前をかたることは可 能だよ」 「でもさ、見てよ」 反町が文面を拡大して見せる。三杉も――そして体操コンビもこわごわと ――それを覗き込んだ。 「『日本選手団の女子選手を預かっている。引き渡しの条件は追って連絡す る。このことを外部には漏らすな。――RRA』」 「嘘や嘘や、なんやねん、それは!」 英文を訳しながら読み上げる三杉の声はすぐにかき消された。パニックに なりかけている2人を、反町は必死になだめようとする。なにしろ周囲の目 というものがあるだけに。 「静かに静かに〜! ダメだって、目立ったら」 「そんなん言うたかて、先輩やん、これ絶対先輩や!」 「そうだろうね、おそらく」 「こら、淳、火に油注ぐなってば!」 反町の抗議は聞き流して、三杉は冷静に続ける。 「便乗犯、愉快犯の類いなら、佐倉さんの件を知っているはずがない。JO C本部にだってまだ連絡が行っていないかもしれないくらいなのに。女子選 手としか言っていないから、適当なことを言ってまぐれ当たりしている可能 性もなくはないが、まず間違いはなさそうだ」 「そ、そんな。どーしよ。どーしたらええのやろ」 しゃがみ込んでしまった樫が一人でぶつぶつとつぶやき、大江は立ったま ま青い顔で黙り込んでいる。 「このメール、本部でももう読んでるとこだよね。どうする気だろ」 「体操チームから佐倉さんの失踪が報告されていたかどうかにかかってくる ね。まだなら、この『女子選手』が誰のことなのかさえ彼らにはわからない わけだから」 「たぶん、いや、絶対まだやと思う」 大江がゆっくりと口を開いた。 「監督はまっ先に探しに行ってはるし、その出掛ける時に、報告はまだ待 て、て女子コーチに指示してはったから。ただの迷子くらいで本部に言うて たら余計な騒ぎになるし言うて」 「ただの迷子でいてほしかったなぁ」 反町は深くため息をついた。 「てことは、事情を一番把握してるのは俺たちってこと? あー、どうする よ、ほんと」 「困ったね。岬くんにも」 三杉が腕を組んだ。ぼやいていた反町がぱっと顔を上げる。目はまん丸 だ。 「佐倉さんと関わりを持つ時点で、彼女にこういう迷惑をかけることは予測 しておくべきだったんだ。過激派の手に渡してしまったのなら大きな失策だ し、彼自身が過激派なら、もう僕たちの手には負えないってことになる」 「やめようよ〜、淳、そんなリアルなジョークは」 泣きつく反町を、三杉は黙って見下ろした。その真顔のままでしばらく考 え、それから静かに宣言する。 「こうなった以上、僕もそろそろ実力行使に出るとするよ。もちろん手伝っ てくれるよね、一樹」 その笑顔の迫力は、まさに有無を言わせないものであった。 |