COUNTDOWN O'CLOCK |
「こら、田島! おまえどこウロウロしてたんだ」 笠元主任の大声を浴びても、田島の反応はどうも鈍かった。ぼそぼそと謝 罪の言葉をつぶやき、そして大人しく自分の席に着く。歩き回り過ぎて疲れ たのか?…と笠元が考えたくらいに。 「壮行会のパーティはやっぱり延期だ。さっき選手団本部から公式に伝えて きた。原因がどうもはっきりしないんだが」 「はあ、そうですね」 声まで小さい田島である。まさに心ここにあらず、という感じであった。 「ああ、それでな、東京からおまえに電話があったぞ。社会部の、ほら、反 町女史。あの人の息子も出場選手だもんな。おまえのサッカーの」 おまえの、と言われてしまうようでは困るのだが。とにかく田島はその名 前を聞いてようやくこちらを見た。 「とりあえず伝言を頼まれたんだが、意味がわからないんだよな。自分で掛 け直してくれないか」 「なんて伝言です」 笠元は渋い顔をした。記憶をたどる時の彼の癖なのだが。 「息子が妙なところをうろついてるのを見た、って言ったかな。もうこっち に来てるはずなのに、見たなんて変だとは思うんだが」 「妙なところ? まさか…」 田島はがたんと音を立てて椅子から立ち上がった。 「主任のご主人が以前ドアチャイムを仕掛けておいたって話を聞いたことが ある――息子が悪さをしそうな場所に、って」 「なんだ、そいつは?」 そんな田島のリアクションに怪訝な顔を向ける笠元だったが、もちろん彼 には通じなくてもしかたがない。 去年、中米に駐在中だった反町の父親は、現地のクーデター事件に遭遇し てまさに危機一髪の経験をしている。その時のレポート記事は危ないスクー プも含んでかなりの話題を呼んだりもしたのだが、事件の裏には未だ謎の部 分も多く残されていて、反町氏はその一端に自分の息子が関わっていたので はという疑いを持ち続けていた。 悪さ、という言葉を反町夫妻は使っていたが、それがどういう類いのもの であるかは、田島も不本意ながら気づいている。なにしろ、去年のその事件 の記憶も新しいうちに今度はインドネシアのジャカルタでまたも謎の多い事 件が起こっているのだ。反町一樹はその一味と共にまたもや現場に居合わせ たというではないか。親として息子の行状を気にするのは当然で、それがド アチャイム――あるいは猫の首に鈴、それとも定点監視カメラに例えてもい いが――とでも言うべき対策に発展しても無理はない。 「やっぱり動いてるんだ、やつら。もしかして思いっきりヤバイ場所で」 「何をぶつぶつ言ってるんだ、田島。どういう意味なんだ?」 「あ、いえ。とりあえず電話します、東京に」 「ああ、そうしてくれ。――あ、でもさっさとすませろよ。壮行会の件で今 調べてるんだが、手が足りなくてみんな目を回しそうになってるからな」 「はい!」 何か、急に目を覚ましたかのようにテンションを上げた田島だった。 |
『ああ、田島くん。よかった、やっと戻ったのね』
出先らしいので、本人の携帯電話に掛ける。 「え、今、議員会館ですか。取材…じゃないですよねえ」 『東邦の、ほら、小泉理事を探しに来たのよ。情報交換に』 国際通話は日本海をはさんだ向こう側からとは思えない鮮明な音声を届け てくれる。反町デスクの声に潜む微妙なニュアンスも消すことなく。 『ダンナがね、去年の事件で焦点になってたネット回線のゲートに罠を仕掛 けてたの。それに接触があったのよ、この間。どこを繋ぐものかははっきり しないけど、同じドメインからのアクセスでね、つまり同一犯の可能性大っ てことね』 子が子なら親も負けてはいないようだ。田島は少しだけ、その熾烈な状況 に意識が遠くなりかける。 『なにしろこのタイミングでしょう? オリンピック本番だってのに、もし あの子たちなら叱り飛ばしてやんないと』 「じゃないと……いいですね」 そう答えるしかない。反町デスクは、こちらソウルでの出来事は一切知ら ないでここまで言っているのだ。 「で、小泉さんとは会えました? 何の情報交換です」 『ええ、ついさっき。あの子たちが首を突っ込みそうなポイントに心当たり がないかを聞いたんだけど、あの方も別ルートで一つ要チェックな件がある んですって。案の定ってとこね」 一人のはずの息子がさっきから当然のように複数形になっているが、田島 もそこは突っ込まないことにする。 「そう言えば、僕も東邦の山本さんに会いましたよ、今日。ソウルに着いた ばかりで、小泉さんの代理ってことだそうです」 田島は現在ひたひたと進行中の騒ぎについてはとぼけておいて、さりげな く話題を変える。 『ああ、それは聞いたわ。親善大使の顔をしたスパイだ…って、小泉さんた ら』 「――はぁ?」 思い切り妙な声を上げたので、部屋の向こう側にいた笠元までが振り返っ ている。 『本人から聞いてないの? 彼、選手団本部の一部に怪しい動きを見せてる 人物がいるみたいだからって、それを探る役なのよ。ああ、もちろんお行儀 の悪い子供たちのしつけ役も兼ねてだけど』 「そ、そのぉ、政府与党内の派閥争いがこんな場所まで、って意味ですか? それとも――」 通話を終えた後、田島はしばらく黙って考え込んでしまった。彼女の説明 では、今の時点ではそれ以上のことはわからないとのことだったが、しかし 小泉さん側も現在の疑惑を全て明かしたわけではなさそうだった。 この先、事態がどう動くか、それにかかっているということになる。 「もう、動き始めてるんだ、確実に」 しかも、複雑に。 田島は席に戻るとパソコンの前に座った。情報は目に見えるものばかりで はない。しかし、道標はあちらこちらにさりげなく立っているものなのだ。 それを見極める報道の人間の嗅覚を、田島は信じなければならなかった。 |