COUNTDOWN O'CLOCK










「何をやってるんだ、君たちは…」
 漢江の南岸地区にある新興住宅地の古ビル。地下の駐車フロアに、過激派 の学生たちの拠点の一つがある。そこに、外出先からリーダーが戻って来た のだ。
「あっ、先輩! ――いや、その」
 数台のコンピュータの並ぶ部屋で作業をしていたメンバーたちがその声に あわてた。
「実は、さっきやばかったんです。例の口座のほうへ資金を動かそうとした ら、向こうのアラームプログラムに引っ掛かっちまって」
「どうやらブラックリストに載せられてる口座だったようなんです。もう少 しで身元を押さえられそうになったところを、この子が解除してくれて」
 メンバーたちに囲まれていた顔が振り向く。
「お帰り。犯行声明は無事に発信できた?」
「……」
 リーダーが驚くのは当然だった。人質だったはずの部外者がちゃっかりと 仲間たちの中に混じっていたのだから。
「君が、ここで何をしてるんだ」
 今度は英語で、ゆっくりと質問を返す。岬に対してというよりも、自分自 身に確認を取るかのように。
「ボランティアだよ」
 しかしその返事は明快かつ素直なものだった。逆にリーダーの声が低くな る。
「――説明してもらおうか」
「この時期に合わせた特別警戒システムが銀行のオンライン口座に仕掛けて あったんだ。アクセスと当時にそれが作動してこちらのデータを読み取り始 めたんで、ボクがちょっと手伝ったってわけ」
「君のおかげで回避できたと仲間は言ってる。一体どうやったんだ」
 仲間たちの緊張した顔を視線で示して、さらに先を促す。
「痕跡は残さなかったと思うよ。たまたま知ってた専用のプログラムがあっ たから呼び出して対応させたんだ。こういうのに詳しい友達がいて、見よう 見まねで覚えただけだけどね」
 リーダーは黙って岬を見た。嘘を並べているのではないが、本当のことも 何一つ語っていない。しかもそれをあえて隠さないでいるという、相変わら ずの態度だった。
「なぜそんな協力をしてくれるのか、聞きたいね。君にどんなメリットがあ るのか」
「なぜ? ボクが人質だからだよ。逆らうとどうなるかわからないんだよ? だったら身の安全が第一だし」
「――ほう」
 今度は明らかに嘘だった。表情がはっきりとそう告げている。リーダー は、岬が自分の態度を測ろうとしていることを、この時はっきりと確信し た。
「では協力には感謝しよう。だが、人質である以上、自由に振る舞ってもら っては困る。戻りたまえ。それに、会ってもらう人があるんでね」
「ふーん、誰?」
 岬はリーダーに続いてコンピュータ室のブースを離れた。フロアの一角の ガラス張りの部屋から、冷たいコンクリートの打ちっぱなしの空間に出る。  岬はそこでリーダーの背中に声を掛けた。
「犯行声明を発信するのにわざわざここじゃない所まで出向いてくなんて、 ずいぶん手間をかけるんだね。発信元を伏せたいだけならここからでも可能 なのに」
 リーダーは足を止めて振り向いた。
「何を言いたいんだ」
「他の用事があったのかな、って思っただけだよ。たとえば仲間には知られ たくないプライベートな用事とか」
「……」
 答えがないので、岬は話題を別方向に向けた。
「君たちの資金源はいわゆるベンチャービジネスみたいだね。韓国のネット 社会はかなり急激な成長をしたって聞いてたけど、過激派にまで貢献するほ どとは、予想以上だなあ」
「言ってる意味がわからないね」
 リーダーはようやく低く答えた。その固い表情に向かって、岬はにっこり と笑顔を見せる。
「今ここで探って見つけたわけじゃないから安心して。ボクも少しは予習し てきたんだ。一般論を当てはめてみただけだよ」
 岬はガラス張りのブースの向こうを指差した。スタッフたちはコンピュー タに向かって作業を再開しており、こちらの会話にはもちろん気づいていな い。
「今、この国の電子ビジネスは急速に発達しているところだから、大企業や 政府機関よりも小回りのきく個人単位のベンチャーのほうが鍵を握ってる、 ってね。システムエンジニアリングから始まって、ビジネス仕様の様々なソ フトの開発と展開、それに金融ルートの仲介サービス…。ビジネスチャンス って、どこを掘り当てるかのアイディア次第ってことだよね」
 リーダーは無言でその場に立っている。岬はさらに続けた。
「学生が在学中に大きなビジネスを手がけたりすることも多いって聞いてた のは本当だったんだ。それなら、資金も危険は非合法な方法を頼らなくて済 むもんね。あと、君の場合、別口の個人的な資金源があるのかもしれないけ ど」
 今度こそリーダーの表情が動いた。じろりと目を上げ、それから大きくた め息をつく。
「――呆れたな、君は。スパイか何かじゃないだろうな」
「だったらすごいけど、ただの大学生だよ、君たちと同じに。今の立場は正 反対だけどね」
「大学生? その歳でか?」
 どうやら18才には見てもらえなかったらしい。
「わざわざ捕まろうなんて考えないさ、病人を抱えてる時なんかに。ボクが ソウルに来たのはちゃんと目的があるんだから」
「なら、その目的の仲間なのか、あの面会人は」
 岬は顔を上げた。そしてその視線の先をたどって、出入口のほうを見る。  シャッターの下りたそこに、積んだタイヤの上に腰掛けて所在なげに足を ぶらぶらさせている姿があった。
「松山じゃない、どうしたの?」
 意外そうではあったが、あまり驚いている声でもなかった。そこで目が合 った相手のほうも、感動の再会になだれ込む気はなさそうである。
「おう、岬。おまえがあんまり遅いんで、翼が切れちまう前に迎えに来てや ったんだよ、まったく」
 その「まったく」にすべての想いを込めて松山はぼやく。
「その兄ちゃんがおまえの居所を知ってるって言うから、ついてきたんだ。 ま、半分無理やりに、だけどな」
「そんなことだろうと思ったよ。この人、人見知り激しいはずなのに」
 岬が自分を振り返ったのを見て、リーダーも歩み寄って来た。日本語の会 話はわからなくても、話の流れは察したようだ。
「まったく、あんまり似ているから君が抜け出したのかと驚いたよ。君たち は兄弟か何かか?」
「まさか、他人の空似だよ」
 岬はきっぱりと否定した。松山に恨みはないが、兄弟という言葉の先に存 在する彼の「義理の双子」のことは何が何でも切り離しておきたい。
「顔だけじゃなく、強引なところもそっくりだと思うがね」
 真面目なエリート大学生の顔と過激派のリーダーの顔を使い分けてきたこ の男でも、松山の強引な粘りには手こずったようだ。松山のほうはしかしこ の状況はまったく飲み込めていないらしく。岬とリーダーの会話を交互に見 ながら不思議そうにしている。
「おまえさ、こんな所で何やってんだ? 例の体操の女の子は一緒なの か?」
「佐倉さんなら、そこの車の中だよ。体調が悪くって、空港からボクがずっ と付き添ってたんだ」
「おいおい」
 さすがに松山には岬のレトリックは筒抜けである。
「かわいそうなことすんなよ。選手村じゃえらい騒ぎになっちまってるぞ、 おまえのせいで行方不明だってな。下手したら誘拐犯扱いだぞ、今頃」
「ひどいなあ、ボクは助けてあげただけなのに」
 岬はリーダーのほうを目で示した。
「選手村までヒッチハイクするつもりが、寄り道のままここで足止めになっ ちゃったんだ。このお兄さんたちが、オリンピックを潰すんだって」
 かなり割り引いた表現だったが、松山も言われてはじめて周囲の装備に目 をやり、納得したらしかった。
「ふーん、ひょっとして例の爆弾好きな連中ってやつか――おい、まさかお まえも仲間に入ってるなんてことはないよな」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。ボクは脅されて無理やりここにいるだ け」
 日本語がわからないと思って当事者の前でずいぶんな説明をしている。も ちろん松山が全面的に信じたはずもないが。
 岬はここでリーダー、つまりソウル大学の学生、ハ・ジュソンを振り返っ て英語に切り替える。
「で、なんで彼をここに連れて来たのか、教えてくれますか? 人質はこれ 以上必要じゃないでしょ。て言うか、ボクら人質って言うより厄介者なはず だし」
 ちゃんとわかっているじゃないか。
「あの女の子――と言うのは失礼だな。オリンピック選手を引き取ってもら う役目だよ」
 簡潔に、そしてきっぱりとリーダーは答えた。駆け引きはするだけ無駄だ と悟ったらしい。
「君の言う通り、厄介事は抱えたくない。我々の計画の中に外国選手の誘拐 は含まれていないのでね。彼女には早く選手村に帰ってもらうしかない。そ れをこちらの彼に任せることにした」
「ボクの代わりに、か」
 岬はちらりと松山を見やった。思った通り、松山は不服そうである。
「なんだよ。俺は佐倉さんじゃなく、こいつを迎えに来たんだ。ああ、そり ゃ彼女も連れて帰るけどよ、こいつを置いて行くわけにはいかないからな」 「…って言ってるけど」
「君は帰すわけにはいかないよ、ミサキくん」
 リーダーの表情は、どちらかと言うと脅迫者のそれではなく、むしろその 逆だった。
「当面は、彼女にしゃべってもらっては困ることがたっぷりとあるからね、 君を担保として預かっておく」
「おい、悪いことは言わねえから、こいつは早く追い払ったほうがいいぞ。 関われば関わるほど自分たちの首を絞めるだけだからな。俺が保証してや る」
「え?」
 いきなり口をはさんだ松山を、リーダーと岬が同時に見る。
「俺みたいな慣れてる人間じゃないと、こいつは扱い切れねえんだ。犠牲に なるのは俺や、チームのやつらだけでいい」
「あのねえ、松山…」
 岬に睨まれても、もちろん松山は気になどしていない。
「だってよ、気の毒だろうが、この兄ちゃんたちが。おまえに振り回される よりも警察にでも捕まったほうが幸せってもんだ」
「そこまで言う?」
 内輪もめの横で、リーダーが一人怪訝な顔をしていた。
「チーム、だって?」
「なんだ、話してないのか、おまえもオリンピックに出るんだって」
「体操選手じゃない、とは言ったけど、サッカー選手だとは言い忘れてたか もね」
 かもね、どころか完全に確信犯である。
「…サッカー、の選手? 2人とも?」
 リーダーが呆然としているのはとりあえず無視されたまま会話が続く。
「俺だってオリンピックをテロなんかでつぶされるのは困るけどな、おまえ のこった、それよりも先に自分の目的に利用するくらいのつもりでここにわ ざわざ居残ってるんだろうが」
「――ほんとにすごい言われようだな。悲しいよ、ボクは。松山、誰かにボ クの悪口をいつも吹き込まれてるんでしょ、普段から、さんざん」
「吹き込まれてるのはおまえだ。俺は淳みたいにおまえを甘やかしたりしね えからな」
「何、それ、どういう意味!」
 岬の声が跳ね上がりかけるところで、リーダーがついに割って入った。本 題が逸れまくりなのだ。
「とにかく、彼女は帰す。日本選手団にもそう伝えてある。さっきこっちの 彼に会った後すぐにな」
「へえ、そうなんだ」
 目を丸くしてから、岬は松山を振り返った。
「てわけだから、頼むね。ボクは開会式は欠席するけど」
「試合に間に合えばいいってもんじゃないぞ。わかってんだろうな」
「翼くんによろしく言っといて」
 その松山の厳しい視線も、岬は笑顔で跳ね返した。
「自分で言え。俺は命が惜しい」
「ふうん、そんなに煮詰まってるの、翼くん」
「当たり前だろ。待たせ過ぎだ」
「――だよね」
 今度はちょっぴり声を落とした岬だった。が、すぐに顔を上げてリーダー に歩み寄る。
「向こうに連絡を取ったってことは、結局自分から誘拐犯を名乗ったんです ね。どうやって彼女を帰してくれるんですか?」
「要はカムフラージュができればいいんだ。ここや他の拠点から目をそっち に向けてくれればな」
「そっか、開会式爆破計画じゃなく、外国選手誘拐未遂事件にすり替えて見 せるってことか。…でも、それも別のカムフラージュだったりして」
 リーダーは答えなかった。大きく一息入れて、代わりに松山に話しかけ る。
「面会は以上だ。あとは女性のエスコートを頼む」
「しょうがねえな」
 これが松山の答えだった。
「こいつはあんたに任せるか。ある意味あんたたちの同類みたいなもんだか らな。精神的テロが専門の」
「それ以上、かもしれないね」
 妙なところで納得し合うものがあったようで、実感がずっしりとこもった リーダーの言葉であった。









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