COUNTDOWN O'CLOCK |
相談の結果、体操コンビは再び地下鉄で選手村に向かうこととなった。乗 り換えが1回必要だが、ソウルの地下鉄にはもう慣れたと2人は自信満々だ った。 「分かりやすいように作ったぁるし、どうしてもてなったら筆談や、な?」 「それよりこっちのほうが分かりよいやろ」 大江が例のIDカードを示す。 「選手が選手村行こうとしてる、て看板や」 「で、俺たちはどっち行くわけ? 俺たちも地下鉄?」 反町は携帯を尻ポケットに突っ込んでノートパソコンをデイバッグにしま おうとしているところだった。 「いや、僕たちはもっと簡単だよ。ホテル直行のリムジンバスさ。その前に 停まってるだろ」 「ホテル、なわけ?」 反町は納得していたようだった。 「いきなり乗り込んでいくのかぁ。おまえにしちゃストレートなやり方だよ ね」 「僕は気短かな人間だよ、もともと。でなきゃ、こんな心臓と付き合ってら れないよ」 「淳、過激な発言はよそーよ、こんな時に」 わざと大きなため息をついて、反町はバッグを肩に掛けた。携帯を出して 画面をじっと眺める。 「光のやつ、連絡して来ないなあ。まだ食事にありつけてないとか?」 「その心配はいらないだろう。彼のサバイバル能力は本能みたいなものだか らね。僕が心配なのは市民の皆さんに迷惑かけていないかってことだ」 空港の混乱もわずかずつだが収まって来ているようだった。4人はそれぞ れの行き先に向けて、ここで別れる。 「佐倉さん、無事に戻って来られるといいね」 「うん、いろいろおおきに。後で会おな」 ターミナルの外に出ると、タクシー乗り場の並びにリムジンバスの発着場 所がある。順に覗いていってとうとう2人は目的のホテルのバスを見つけ た。いわゆる高級ホテルのサービスとして運行されているものだ。海外から の観光客やビジネス客が、座席にめいめい座ってやや落ち着かない表情で出 発を待っている。ソウルに着いた早々に騒ぎに巻き込まれた不運な人たちと いうわけだ。 三杉と反町は空席を見つけてさっそく乗り込んだ。 「しっかしおまえの実力行使って、まさかいきなりホテルのレセプションパ ーティ襲撃だなんてなあ」 「言葉を選びたまえ。日本語が通じる人も少なくないようだしね。僕はごく まともに正面突破するだけだ」 今夜このホテルで開かれるパーティは、そのホテルグループのオーナーで もある韓国財界のビッグ4の一つが主催する大規模なもので、内外の有力者 が多数出席することになっている。三杉が今回接触しようとしている人物も その中に含まれていることを、反町は既に知っていた。 「えっ、正面突破って、おまえまさか…」 「そうだねえ。他に方法がないとなると…」 「嘘だろ、おい!」 反町はがばっと身を起こした。振り向いた三杉がにっこり笑顔で左の胸元 を指しているのを見て顔をこわばらせる。 「な、何をするわけ?」 「これを使うしかないね。父がもらった招待状」 |
胸ポケットから、ちらりと白い封筒を覗かせる。反町はがくっとうなだれ
た。
「おまえねー。心臓に悪いっての。こっちのねっ!」 「そうかい?」 三杉は座席の背にもたれた。バスが出発する。 「でもどうせなら、30分後にそれを言ったほうがいいかもしれないよ、一 樹」 「――おい」 本当に30分後、反町は思い切り声のトーンを落として三杉を睨んでい た。 「協力って、こんなことさせるために連れて来たわけっ!?」 「仕方ないだろう。父に来た招待状だと言ったはずだよ。とすれば婦人同伴 が条件になるんだから」 そう言って一歩下がり、三杉は感心したようにため息をついた。目の前 に、見事なチマチョゴリ姿の反町がいる。 「それにしても、君って何にでも化けられる便利な体質をしてるんだねえ。 感動するよ」 「化けるって言うなー。おまえ、絶対悪趣味だぞ! 青葉さんにチクってや る! うぅ〜」 べそをかく真似をしたかと思ったら、反町は三杉にぐっと顔を寄せた。 「じゃなくてだな、よりによってこんな目立つカッコさせることないだろ、 ってゆーの! 第一こんなデカイ女の子、不自然だって!」 「そうでもないよ。モデルさんとか、これくらいの身長は珍しくないし。そ れに女性の衣装で体型をごまかせるのってこれしかなかったんだ」 そう応じる三杉のほうは当然のようにスーツで決めている。ホテルの式場 のレンタル衣装を手回しよく予約してあったらしい。 着付けはもちろん自分ではできないのでスタッフの女性にやってもらった のだが、面白がってメイクまで完璧にやってくれたため、ピンクのチマと白 地に金糸入りのチョゴリで大層きらびやかないでたちが完成してしまったの だ。 「物好きな観光客の記念写真用だって思ってたみたいだけど、ちょっとやり すぎだって、これ!」 「大丈夫、同じ服装の女性だらけで逆に目立たないよ」 艶やかな赤い唇が目の前に迫るのを、なんとか笑いをこらえて見ている三 杉だった。なにしろ、反町は性格も口調もライトなわりに、声だけは渋めの バリトンなのだ。 「黙ってさえいれば完璧ばれないから」 「もう〜、無責任!」 パーティは予想以上に盛況だった。主賓級の大物はまだ姿を現わしていな いが、出席者は続々と増え続けて、一企業のプライベートなパーティとは思 えないくらいである。 「で、どこで集まんの、そのトップのやつら」 裾がひらひらとまとわりつくのを足先で振りほどきながら反町は囁く。声 を近くの人に聞かれないように、必要以上に三杉にくっついてなければなら ない。 「この上の2101号室。最上階のペントハウスだ。8時ちょうどに会合が 始まる。パーティを中座する形で彼らだけが密かに集まるんだ。で、君には ちょっと時間稼ぎをしてもらうよ」 カクテルパーティの形で、時折スピーチがはさまれる。軽い食事は続き部 屋のほうで立食形式で用意されている。これなら、この人数の中、誰がどこ で何をしているか、また、その場にいたかいなかったか、確かに確認しづら いだろう。 「あらー、可愛いカップルだこと」 黒髪を高く結い上げたマダムがそこへ近づいて来た。反町のチマチョゴリ に目を細めて満足そうな笑顔を浮かべている。 「まあ、日本の方? なのにこれを着てらっしゃるなんて、素敵だわ。よく お似合いだし」 「あら、奥様、こちらの方たちお知り合いでしたの? 私にもご紹介くださ いな」 また来た…、と反町が心の中で冷汗をかく中、2人のマダムが両側から彼 らをはさんでしまった。 「いえ、知り合いではないんですけど、あんまり可愛いものだからつい声を 掛けたところでしたの」 後から来たほうの青いドレス姿のマダムを目で示して、三杉は反町の耳元 に囁いた。 「投資信託銀行の頭取夫人だよ。今日の裏会合の出席者の一人だ」 「――じゃあ、この人をターゲットに?」 「うん、頼むよ」 ひそひそと短く打ち合わせをしてから、三杉は澄ましてマダムたちに向き 直った。 「日本の三杉グループの者ですが、父の代理なので勝手がわからずにいるん です。ちょっと連れをご案内くださると嬉しいんですが。僕はあちらで挨拶 をしてきますので」 「ええ、私たちに任せてちょうだい。さ、お嬢さん、あちらで何か飲みまし ょう」 |
笑い声と共に女性陣が去って行くのを見送っておいて三杉は腕時計に目を
落とした。8時15分前。ちょうどいいタイミングだ。
「すみません。最上階へ行くエレベーターはこちらですか?」 「はい?」 スタッフの中でもチーフらしき服装の一人を見つけ出して、三杉は近づい た。 「失礼ですが、おっしゃる意味がわかりかねます」 スタッフは用心深く三杉を観察してそう答えた。 「日本オリンピック委員会の延井がこちらに来ているはずなんですが、見当 たらなくて困っているんです。選手団のほうから急ぎでことづかってきたも のがあるのですぐに渡したいんです。そちらのほうで集まりがあると伝えら れていたものですから」 名前を出すと、チーフの態度はがらりと変わった。 「ノベイ様…。はい、それでしたらこちらへどうぞ。つい先ほど向かわれた ところですので、今でしたらホールで追いつけるでしょう」 「どうもありがとう」 正面の出入り口ではなく、横手の目立たないドアの先へ案内される。その 廊下の突き当りが小さいホールになっていて、エレベーターが一基だけそこ にあるのが見える。三杉が近づいていくと、そこにいた人物がぎょっとした ように振り向いた。 「な、なんだね、君は!?」 「延井さん、初めてお目にかかります。選手団の三杉と言います」 「三杉? サッカーの、三杉くんか? 何だ、何打というんだ、こんな所に 押し掛けたりして。それに、その格好…。まさか、ここのパーティに出席し ているのか?」 「ちゃんと招待をいただいて来ていますからご心配なく。それより、こんな 大変な時によく延井さんこそいらっしゃいましたね。確か、体操の女子選手 が誘拐云々の騒ぎになっているはずなのに」 IOC役員の延井栄一郎は、その言葉に劇的に反応した。 「ど、どうしてそれを…! 極秘のはずだぞ。それに、それに私はどうして も外せない用事でやむなく来ているんだ。そちらの対処はきちんと任せてあ る以上、批判される覚えはない」 「そうですね。今日選手村にわざわざ招いていた賓客が今度はあなたを招い たわけですからね。これでいよいよ本題の交渉がここで始まるわけですか、 この上階で」 延井氏の顔が一気に赤黒く変化した。選手村のレストランに呼び出された 翼が韓国大手企業社長と面会させられていた場に同席していた、あの役員が 延井氏だったのだが、それを今指摘されるとは思ってもいなかったようだ。 「知らん、そんなことは一切知らん。今日、大空くんとの会談にそんな人物 は来ていなかった。君の言っていることに、何か根拠があるのかね!」 「そうですか。僕の思い違いでしたか」 三杉は静かに微笑んで見せた。 「それならいいんです。お騒がせしてすみませんでした」 「あ、ああ」 素直に頭を下げて去って行く三杉に、とりあえずほっと息をついた延井氏 だったが、そこに携帯の着信音が響いてびくっとする。 『まだですか、延井さん。もうほぼ全員揃っていますから、どうぞいらして ください』 「あっ、はい、すみません。ちょうど今エレベーターに乗るところですの で、すぐに今。――それで」 さっきの少年がもたらした不吉な兆候を招待主に伝えようか迷ったのだっ たが、電話は既に切れていた。そこへちょうどエレベーターが到着して扉が 開く。 「あ、ごめんなさい、待っていただけます?」 ぱたぱたと足音が響いて、女性の声が背に投げられる。延井は振り返って 表情を緩めた。 「ああ、あなたもまだでしたか。投資信託銀行の…」 「私としたことがついおしゃべりに夢中になってしまってて。――どうも、 失礼」 青いドレス姿の頭取夫人は、エレベーターに駆け込むと息を整えてからホ ホホと笑ってみせた。その耳に光る緑のヒスイが、照明を鈍く反射して、扉 が閉まる。 |