COUNTDOWN O'CLOCK










「いいかい、別々にホテルを出るよ」
「なんで?」
「理由はすぐにわかるよ」
 それだけ言ってさっさと先にエレベーターに乗って行ってしまう。反町は ふてくされた顔で減っていく階数表示の数字を睨んでいたが、しかたなく回 れ右をして階段室に向かった。
 と、その途中の廊下で制服のホテルスタッフと行き合う。反町を見てにっ こりと会釈して行ったので、何だ?と首をひねっていると、今度は客室のド アが開き、出て来た白人の老夫婦が反町に目を見張る。
「いいパーティでしたわね」
 奥さんのほうがそう気さくに声を掛けるのでびっくりしていると、ご主人 のほうも、
「お連れは先にお帰りですか? 綺麗な衣装が似合ってましたね」
 などと話しかける。適当にうなづいて別れたのだが、なんだなんだと思う うちにまた下のロビーで数人の韓国人の紳士たちに呼び止められてしまっ た。
「やあ、君たちはずいぶん人気だったねえ。彼女によろしく! 韓服(ハン ボック)、可愛かったってね」
「は、はあぁ?」
 ここに来て反町はやっとのみこめたらしい。
 同じパーティに出ていた彼らは、反町を話題のカップルの男のほうだと思 っているのだ。まあ、無理はないが。
「それで淳のやつ…」
 おそらく彼は彼のほうで同じように声を掛けられているに違いない。なる ほど2人で一緒にいないほうが無難なのは間違いないだろう。
 ホテルの正面に出ると、ちょっと先で待っていたタクシーから三杉が手を 振っている。
「おまえ、ちょっと人が悪いぞ。そもそも俺を見世物にしてカムフラージュ に利用したくせに」
「いいじゃないか、あれだけ好評だったんだから」
 くすくすと笑う三杉はやはり人が悪いと言われてもしかたがないようだ。 「あ、そうだ、田島さん」
「連絡つくかな」
 思い出して車内から携帯をかけてみる。
「ダメだ、話し中。てゆーか、データ通信中かな。じゃあ、こっちで」
 デイバッグを引き寄せてまたパソコンを用意する。
「ああ、やっぱりメールで来てる。えーとまずこの2通の脅迫状はもう内容 知ってるからパス、しといて…。ああ、これだ、さっきの電話の後に来たヤ ツね」
 三杉も一緒に覗き込む。
「『通報に基づいて警察が過激派の拠点に踏み込んだが既に空になってお り、逃げられた模様。また、引き渡しの指定場所だった工事現場から、アル バイトだった学生が事件後に消えている。身元は架空の履歴書で判明せず …』か」
「犯行に使われた車両は警察が押収して調べているんだね。指紋でも残って ないかな。岬くんのものか光のものか、わかるのに」
「そこに引っ掛かってるわけね。でも、岬なら指紋なんてそんな基本を忘れ るわけないと思うよ。なにしろどんな痕跡も残さないのがあいつの主義だも んね」
 三杉はため息でそれに答えた。そう、その主義のせいでどれほど振り回さ れていることか。
「ねーねー、これ何かな。写真週刊誌の契約カメラマンが市内繁華街で体操 コンビに遭遇か!? ってのあるけど。あの2人が言ってた、アレかな」
「証拠写真は撮れていないし、いわゆるガセネタ扱いにはなっているね。彼 らの説明だと、光の足取りはここが最後の確認場所になるわけだ」
「じゃ、行ってみる? 蚕室大橋じゃなく」
 タクシーの運転手に声を掛け、行き先変更を告げる。聞いていた地下鉄駅 近くへ。
「腹が減って動けなくなったってことは、その先向かうのは食べ物に決まっ てるよな」
 互いの傾向と対策には抜かりがないようだ。
 しかし、レストランを始めとしてその関係の場所が多すぎ、特定は非常に 難しいことがわかった。
「じゃあ、聞き込みだね」
「てゆーか、俺も腹ぺこなんだよなー。パーティじゃ飲み物ばっかりでさ」 「わかった。君のその空腹な嗅覚に従って動いてみよう」
「なんだよ、今度は警察犬にする気?」
 大通りは避けて、飲食街を目指す。反町がくんくんと犬の真似をしてみせ ながら歩いていると、その鼻先に、本物の犬がいきなり現われる。
「うわ〜、びっくりしたぁ! 大きな犬じゃん」
 黒いその犬は、しかしワンとも言わずに2人をじっと見ている。いや、嗅 いでいるらしかった。
「ハク!」
 と、そこへ少年が走り出て来る。犬を呼んでいるようだったが、二人の前 に来てびっくりして固まる。
「ん、何? 僕たちを知ってるのかな?」
 三杉が屈んでにっこり微笑むと、少年はその顔と隣の反町の顔を交互に見 て何かを言った。少々怯えているようでもあったが、とにかくその行き先に ついて行く。彼が向かった先は、市場の中の小さな食堂の並ぶ路地だった。 「いい匂いだあ〜」
 反町がうっとりしている。
「これは間違いなく光のテリトリーだな。ついでに、俺も!」
「はいはい、食事は後。先に話を聞かないと」
 三杉はあくまで最初の目的を忘れていない。
 少年はその通りの店の一つに入った。アジュンマ!と声を掛けている。
「おや、まあ!」
 顔を出したアジュンマは、さっきの少年と同じように目を丸くした。
「また戻って来たのかと思ったよ。何、あんたたちはあの子の兄弟なの?」 「そんな感じです」
 込み入った話はとりあえずおいておいて。
「僕たち彼を探してるんです。今日この町ではぐれてしまったものですか ら。このお店に来たんですね?」
「そうそう。あんなにおいしそうに食べてくれる客はめったにいないよ。代 金がわりにって手伝いまでしてくれて、お行儀のいい子だったよ」
「そうですか。ご迷惑をかけていなければいいんですが」
「迷惑なわけないよ。――ああ、でもあの後で」
 アジュンマの顔がちょっと曇った。少年に何か話しかけて確認をしてから また2人に答える。
「この裏手のアパートに住んでる大学生と一緒にどこかへ行ったんだけど ね、そのすぐ後に見たことのない男たちが来て、その学生の部屋をなんだか 調べて行ったそうなんだよ。この子が見てたらしいんだけど」
「鍵は勝手に開けたんじゃなくて、アパートの大家さんがついて来てたよ。 でも警察でもなかったみたい」
 アジュンマの通訳で少年の証言も聞いてみる。
「で、その大学生って、どういう人なんですか?」
「真面目でいい兄さんだよ。アパートはよく空けてたけどね。研究が忙しい とかで」
「名前はなんとおっしゃるんでしょうか」
「ハ・ジュソン」
「ハは河のハですね」
 三杉はそう確認を取ると、反町を振り返った。
「光が一緒だったっていうその大学生にちょっと心当たりがありそうだ。行 こう」
「え、行こうって、ゴハンはぁ?」
 反町は既にテーブルについてわくわくとアジュンマを待っていたのだが、 三杉のその言葉に思い切り不満そうな声を上げた。
「残念だけど、急いだほうがよさそうだよ」
「やだー!」
 子供のように駄々をこねる反町であった。パーティでの一件をよほど恨ん でいると見える。
「ほら、これを持って行きなさい。うちの饅頭(マンドウ)。熱々だよ」
「えっ、うわ、いい匂い!」
 横から差し出されたビニールの包みに、反町はぱっと顔を輝かせた。アジ ュンマがにこにことうなづいている。
「あ、すみません。代金を…」
「いいよ。あんたたちが喜んでくれれば」
 三杉が出そうとした代金をアジュンマは大きく手を振って押しとどめる。 三杉は苦笑したが、ふと思いついて別のものを取り出した。
「オリンピックのチケットなんです。2枚余ってるので使ってください。サ ッカーのですけど」
「おやまあ…」
 アジュンマは側のユンギくんにそれを見せた。少年は目をまん丸にしてそ れを見つめ、そして歓声を上げる。
「ありがとう。ほんとにすまないね。この子、サッカーが大好きで」
「僕も使っていただければ嬉しいですよ。では、色々ありがとうございまし た」
「アジュンマ、ありがとう!」
 反町も元気よく手を振り回す。
「顔はそっくりだけど、ずいぶん違うんだねえ、それぞれ。まあ、あんな日 本人には初めて会ったよ」
 2人を見送ると、アジュンマはまだ呆然とチケットを抱きしめているユン ギくんの頭をぽんぽんとなでた。
「待ってよー、淳。なんでそんなに急ぐわけ?」
 こちらではほとんど飛ぶように歩く2人がいた。
「早く確認しないといけないからだよ」
「何を? さっき言ってた心当たりってやつ?」
「そう」
 大通りまで出ると三杉は手を上げてタクシーをつかまえた。
「選手村に戻ろう。本部の役員を直接捕まえる」
「いいの? 暴力に訴えたりしてさ」
 はぐはぐと饅頭をぱくつきながら反町が目だけを上げる。
「暴力なんかじゃないさ。もっと効果的な方法だ」
「や〜ん、こわ〜い、淳が煮詰まってるー」
 と、ふざけた反町の手から、突然饅頭が1個消えた。
「あっ、何すんだ、おまえさんざんゴハンのおあずけ食わせといて!」
「知ってると思うけど、僕も食事はまだなんだよ、一樹」
 こちらはもう少しお行儀よく、しかし熱いものは熱いのでやはりはぐはぐ と食べている。車内に充満したいい匂いに、運転手さんがちょっと困った顔 をしていたりしたが。
「でもよかったの、あのチケット」
「本当に余ってたんだ。両親が来るかもしれないと思ってキープしておいた んだけど、あのパーティの時に言ってた通り、父は別の海外出張と重なっ て、母はもちろん一人で来られるわけがないし、どうせ使い道はなかったか らね」
「ああ、そう言えば俺もだなあ」
 オリンピック前に、協会のほうからチケットの無料配布が受けられるとい う案内があったのだが、反町はそもそも両親が来る当てもなく、結局妹の分 だけになってしまった。
「葉月がすごい執念燃やしてたよなあ。岬クンが出ないなんてことになった ら、こわいよ〜」
「大丈夫。絶対来てくれるよ。すぐ側にいるに違いないんだ」
 そう、すぐ側に。
 三杉はもう一度心の中で繰り返して、そして最後の一口を口に放り込んだ のだった。









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