COUNTDOWN O'CLOCK










「おっちゃん、頼むわ。追いついて、な!」
「あああ、離される〜!」
 夜の繁華街をカーチェイス、という映画のような場面にはならないあた り、このコンビの宿命を象徴している。
「これもなんかの縁やし、絶対頼むで!」
「まあ、そう騒がないで」
 と、あくまで韓国語で応じる笑顔の運ちゃん。そう、夕方に彼らを選手村 から運んでくれたあの乗り合い大好きタクシーのおっちゃんであった。
 追跡を始めてこれが2台目のタクシーになっていた。新堂監督と一緒に佐 倉さんを迎えに行ったタクシーは、現場からそのまま追跡を始めたものの、 そちらは不運にもスピード違反で警官に止められてしまったのである。
 もちろんそこで一緒に足止めを食っている余裕のなかった彼らは、そこか らさらにタクシーを乗り継ごうとして、なんと見覚えのある運転手に出くわ したというわけだった。この大騒ぎの追跡は、そこからさらに続いているの だ。
「一体、何をそんなに追いかけなくちゃいかんのかねえ」
 当の運ちゃんは事情はまるでわかっていないのだが、乗り継いだ時に最初 のタクシーの運転手が一声掛けてくれたので、追うべき車の特徴はわかって いる。
「まあ、若いもんはどこのも元気が有り余ってるもんだ」
 などと一人でつぶやきながら、しかしベテランなりの腕で追い続けてくれ るあたりはさすがプロ。
「けど、なんでこんなことになんのや〜? 返してくれるて話やったのに」 「ボクら、騙されたんかなぁ。けど、連れて来てたクルマの人らと、乗せて ったあのクルマの人らと、もめてたやん。殴られたりして。仲間割れかもし れんで」
「かなわんなぁ、そんなん別のトコでやってもらわんと」
 黒塗りのその高級車は、繁華街からどんどん離れる方向へと走り続けてい く。既に市の中心を離れ、緑の多い高台の高級住宅地域にさしかかったよう だ。
「あ、あれえ〜?」
 間の悪いことに信号にこちらだけが引っ掛かってしまう。赤信号の間に向 こうは坂をどんどん上がって行って、カーブの先へと見えなくなってしまっ た。
「う〜ん、こりゃ参ったねえ」
 青になってすぐに追ったものの、その先は道が複雑に分かれていてどっち に行ったものか、まさに行き詰まり状態でタクシーは立ち往生となった。
「どーしよ、ひーやん」
「弱ったなあ。いっぺん降りて、このへん探してみるか? なんか手掛かり でもあらへんか」
 2人は運賃を払ってタクシーを降りる。運ちゃんはすまなそうな心配そう な顔をしていたが、礼を言って行こうとする2人を窓越しに手招きした。
「え、なんや、おっちゃん」
「ボクら、コトバわからへんねんけどなあ」
 身振りでそう伝えるのだが、運ちゃんも熱心に何事かを言おうとしてい る。2人が困り果てているそこへ、背後から声がかかった。
「どうかなさいました? 日本語が通じないみたいですけれど」
 おっとりとした女性の声に驚いて振り向くと、着物姿の2人の女性が坂道 をゆっくりと下りて来るところだった。
「韓国語はわからないんですね? ちょっと待っていてくださいな」
 2人のうち年配のほうの小柄な女性がタクシーに近づいて運ちゃんと何か 話をする。
「乗り換える前のタクシーの方に連絡をしておいたほうがいいのか、とおっ しゃってます。ここで降りたことなどを」
「あっ、そうやったんや。それなら、ぜひお願いします。あのタクシーは監 督がチャーターしたやつやったし、そうしてもろたらそっちにも連絡が回る やろうから」
「はい、ではそうお伝えします」
 女性からそう聞いた運ちゃんは、笑顔を残して走り去っていった。二人は 感動して見送る。
「ああ、ええおっちゃんやなあ。ええ人や」
「あ、ほんまに助かりました、ありがとうございます!」
 そして助け舟を出してくれたこちらの二人連れにも礼を言う。改めて見て みると、一人は少し線の細いおっとりとした感じのご婦人で、もう一人は背 筋のしゃんとした、無表情で落ち着き払った年配の女性だった。
「黒くて大きな乗用車? 奥様、さっきすれ違ったあの車でしょうか」
「ああ、そうかもしれないわねえ。ずいぶんスピードを出していましたもの ねえ」
「あ、それです、きっと! どっちの方へ行ったか、わかりませんか? ボ クら、あのタクシーで追いかけて来たんです」
 勢い込んで尋ねる樫と大江の説明をじっくり聞いてから、年配のほうの女 性が坂の上を手で示した。
「この上の大きな松の木がある角を右に折れると、ちょっと一度下りになっ てその先は長い塀が続いていたと思います。私たちがすれ違ったのがそのあ たりでしたが、車はその先ですぐにスピードを落としていましたから、もし かすると目的の場所に着こうとしていたのかもしれませんね」
「うわ、そんな詳しいわかります? 助かりました、行ってみます!」
 頭を下げる2人に、その女性は静かに微笑み返した。
「これで助けになるなら何よりです。どうぞお気をつけて」
「はい、ありがとうございましたー!」
 大きな声で最後に礼を言って、あとはどんどん駆け上がっていく。
「いやあ、助かったわ、ほんま。ようあんなとこで日本人に会えたもんや な」
「なんや変わった感じの人らやったけどな」
「ボクらのこと知ってはらへんかってよかったぁ。また余計なタイムロスも 困るしな」
「うん。あ、あっこ。松の木や! よーし」
 などと声を掛け合いながら走って行く二人はもちろん知らないことだった が、こちらではこんな会話が交わされていたりする。
「私たちも道に迷っているのに、人に教えてあげるなんて面白いわね」
「申し訳ありません、奥様。わたくしがおりました頃とは様子が違っている ようで、たぶんこの下あたりかと…」
「いいのよ、幸さん。急ぐわけじゃないし。おかげであの有名な樫くんと大 江くんにばったり出会えるなんて幸運に遭えたのよ。うふふ、可愛かったわ ねえ、ちっちゃくて」
「同じ高校生でらっしゃいますよ、可愛いだなんて」
「あら、淳も光さんも可愛いわよ。でもやっぱり、あの2人って可愛いんで すもの。応援してあげないとね」
「――あ、たぶんこの家です、奥様。わたくしの女学校時代の友人の家は」  年甲斐もない会話をしつつ、今回招待してもらったホームステイ先に到着 した彼女たちだったが、それはさておいて。
 こちらの2人もどうやら目的の場所を見つけたようだった。
「わー、えっらいでかい家やん。ホンマにここやろか」
「あ、見てみ、ガレージここや」
 そーっと近づいて、足は止めないままさりげなくシャッターの隙間を覗き 見る。
「やっぱり間違いない。あのクルマや」
「どうする? いきなりごめんください言うて訪ねるわけにいかんやろし」 「そらそや」
 2人は警戒しながら家の前をそのまま歩き続け、その正門の前も通り過ぎ た。御影石造りの立派な門構えだったが、やはり手掛かりになりそうなもの は何も見当たらない。2人はがっかりする。
「せめてここの名前くらいわかるかと思たのに…」
「表札もないて、どうなってんのや。よっぽどヤバイことやってる家ちゃう か?」
「まあ、出てたところで、あの字ぃはボクらには読めへんけどな」
 そう言って大江がちらっと背後を見た。エンジン音が聞こえたような気が したのだ。
「うわ、クルマや、もう一台来たで」
 ヘッドライトが届く前にあわてて反対側に身を隠す。そこからそっと覗い ていると、現われた高級車はガレージの前は通り過ぎて門の前で停車した。 同時に門扉が自動的に開いて、中から使用人らしき男たちが飛び出して来 た。
 使用人が開いたドアからゆっくりと降りて来た立派なスーツ姿の紳士が、 彼らに何か声を掛けながら門の中へと入って行く。
「ご主人〜いう感じやな、まさに」
「やーさん映画みたいやったな、すごいわ」
「えらい家に連れて来られて、先輩――どうしたらええかな」
 しばしの沈黙が流れ、そして2人同時に顔を見合わせる。
『まあ、なんとなるわ〜』
 それはもう、誰も文句の付けようのないくらい、そういうコンビなのだっ た。









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