<U>
◆
「へえ、これが効いたんだ」
男は言われるままにベッドに足を投げ出し、乾いてぱりぱりになった大き
な葉をミューラーが一枚ずつ剥がしていくのを見ていた。
小屋の近くで採ってきた新しいジギタリスの葉を重ねながら腫れた足首に
貼り付ける。そのままではなく、少しだけ火にあぶってあるのがミソだ。
「熱を取ってくれるからな。薬はないけど、こういう草ならいくらでもある
から」
「すごいな」
男は感動した顔でミューラーの手元を見つめている。確かに一晩で腫れは
かなり引いて挫いた痛みも和らいできたように思う。
「その歳でよくそこまでいろいろ知ってるもんだ。山の子供は都会っ子とは
生活力が違うんだなあ」
奇妙な発言をいちいち気にしていてもしかたがない、とついに開き直った
のか、ミューラーは黙って立ち上がった。
「じゃあ、俺は村に行って来る。このまま足は動かすな」
「わかった。おとなしくしてるよ」
ベッドの上から男は手を振ってミューラーを見送る。
外に出ると朝のひんやりした空気が彼を迎えた。昨日のような雨模様では
ないが、薄い霧が相変わらず森をぼんやりと包んでいる。
――妙なことになったなあ。
シュナイダーと名乗る何だか知らないが逃亡中らしい男。身の上話もいろ
いろ聞かされたものの、どこまで本当かは確かめる術もない。何しろミュー
ラーのことを小さな子供だと思い込んでいるあたり、普通じゃないのだ。
しかし怪我人を放り出すわけにいかない、というのがミューラーには最優
先だった。人間を拾ったのは初めてだったが、森では小鳥のヒナや野生の動
物たちが弱っていたり傷ついていたりするのを見つけるたびに面倒を見てや
ってきた彼なのだ。
しかも故障に苦しむサッカー選手というのが事実なら、ミューラーにとっ
てもある意味身内になる。
しかもシュナイダーという名前。同姓の人間などいくらでもいるとは言え
…。
――気になるのは気になるよなあ…。
あれこれ考えながら、昨日登って来た山道をどんどん降りて行く。車が駄
目なのはもちろんオフロードのバイクでさえ無理、という細い山道だ。もっ
ともここを使うのはミューラーと姉のフリーダくらいだからそれで特に支障
はなかった。年にほんの数回くらいの割で郵便屋さんに苦労をかけるのが例
外だったくらいで。
そんな山道の途中で、谷のほうからふと聞き慣れない音が響いた気がして
ミューラーは足を止めた。だが、耳を澄ませてもそれ以上の気配はなく、結
局そのまま村まで下りてきてしまった。
シュバルツバルト地方の典型的な村であるここは、鉄道駅がある以外は特
に他と変わったところもない小さな集落だ。この地方独特の大きな三角屋根
の家が並び、昔ながらの静かな時間が流れている。
「あれ…?」
しかしミューラーは気がついた。
どこか変だった。
何が、と具体的に言えないものの、村の様子にほんのわずかずつ感覚を裏
切るものがある。久し振りに帰って来たから…とも違う、そもそも昨日着い
た時に見た村の風景とも何か違うのだ。道沿いの農家の生垣の形とか、それ
とも教会の鐘楼の崩れ具合とか、そんな些細なことではあるのだが。
「おや、デューター、一人か。今日は姉ちゃんは一緒じゃないのか」
「え?」
いぶかりながら歩いているところで声をかけられて、ミューラーは振り向
いた。肉屋の主人のザーツスがにこにことこちらを見ている。やめたと言っ
て自慢していたパイプをくわえて、しかも姉ちゃんがどうしたって?
「一人でお使いとはえらいぞ、デューター。そういえばおまえも秋には学校
じゃなかったっけなあ」
「ちょ、ちょっと、何言ってるんだ! 俺がなんで…」
あせるミューラーにさらに追い討ちをかけるかのように、隣から丸顔の老
人が顔を出した。村でただ一軒の宿屋を兼ねた居酒屋のハンスじいさんだ。
「なんだ、デューターだったのか。相変わらず元気もんじゃなあ。小さいく
せにあんな山の中から平気で下りて来るんだから」
昨日は確かに白髪だった頭が赤毛に戻っているのを呆然と見つめながら、
ミューラーは思わず後退りした。
「ああ、そうだそうだ。ゆうべうちに客があってな。おまえの家のあたりの
ことをあれこれ尋ねておったよ。山越えの道とかな。知り合いだったのか
ね、あれは」
しかし続くハンスじいさんの言葉がミューラーをはっとさせた。
「えらく立派な車だったなあ。でも車じゃ無理だって言ったら今朝早く出て
行ってな。どこかですれ違ったりしなかったかね?」
「……あ」
|