礼拝堂の正面に何人かが立っていた。おばさんはそこへ近づいて行く。礼服を着た男たち
が数人。その中に一人、胸に花をつけた若い男がいる。花婿だ。ベルンハルト・オイレンベ
ルク。顔色がよくない。
「やっぱり、こんな結婚は嫌なんだ。もっと早くなんとかできなかったのかなあ」
森崎が見ていると、さっきのおばさんは花婿の付添い役の男たちと何かをやり取りしてい
る。この後の指示か何かを確認に来たのかもしれない。
「そうだ、今のうちに…」
結婚式のやり方はよくわからないが、確か教会のだと花嫁が後から入場して祭壇の前で花
婿が迎えるんじゃなかったっけ…と森崎はおぼろげな知識を引っぱり出しつつ、ドイツだし
宗派の違いとか家ごとのしきたりとかあるのかも、と頼りなく考える。
とにかく、自分はその一団を追い越して勝手に礼拝堂内に入ってしまうことにする。そっ
と横を通ったが、やはり誰も森崎に目を止める者はいなかった。幽霊状態であるのは間違い
ないようだ。
「おやあ、あんなところに、マリーが」
見渡すと、席についている20人ほどの親族たちは静かに式の開始を待っている様子だっ
た。ふわーっと浮き上がってその頭上を越えながら、森崎は一人で隠れている女の子を発見
する。祭壇の脇、燭台の乗った台の陰に、靴の先が見えたのだ。
『マリー』
「えっ…!?」
うずくまって身を潜めていたマリーが、ぴくっとする。
『動かなくていいよ。俺もしづさんを取り返しに来たんだ。俺が先に動くから、君はそのス
キを利用するんだ。それまでは何もしちゃいけないよ』
マリーはこくんとうなづいた。背後を振り返りたかったのだろうが、この状態ではじっと
しているしかない。もっとももし振り返っても声の主の姿はそこにはないのだが。
祭壇の反対側の脇に、黒い服の牧師が立っていた。落ち着いた顔つきで、手にした書類の
ようなものを読んでいる。森崎は知らなかったが、これはお役所に届ける婚姻誓約書であっ
た。提出後1週間、所定の場所に公開掲示され、その婚姻に異議を唱える者がいなければ無
事に受理される。しかし形式的な慣例とはいえ、そんなケースが本当にあるのだろうか。こ
んなに異議だらけの結婚でも成立するなら、意味はないように思えるが。
「あ…」
その牧師のさらに向こう、ステンドグラスの窓の下に、白いベールをすっぽりとかぶった
花嫁が座っていた。うつむいて何か祈っているようにも見えたが、顔が隠れていても森崎に
はそれが誰だかもちろんわかった。
そっと近づいて、椅子の背後に立つ。
『よかった、しづさん』
「有三さん?」
森崎は心底驚いた。声は出していない。一人でそう考えただけだったのだ。動きかけたし
づさんをあわてて止める。
『あの、今は動かないで、しづさん。見つかるといけないから』
「ええ」
しづさんはそのまま姿勢は崩さず、組んでいた指をそっと組み直した。動揺は見せず、ご
く小さな声で答える。
「来てくださってよかった。このまままさか神様に誓うわけにはいかないですもの」
『そ、そうですよね』
森崎も声をひそめ、自分は深呼吸する。体がなくても、ドキドキはするらしい。
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