『やっぱりおまえの言った通りだったよ、若島津』
「何がだ」
疲れ切ったような若林の言葉に、若島津はこちらもおっくうそうに応じた。郵便配達車で
の長旅が終わったばかりだったのだ。問題のオイレンベルク家の前で下ろしてもらって、窮
屈なシートと郵便屋の兄さんのおしゃべりからようやく解放された若島津は、全身のストレ
ッチにかかる。
『さっき、ほんの少しだけ森崎と話ができたんだ。なんでも嫁さんと引き離されたとこだっ
たらしくてな。急に周波数が合ったんだ、これが。ところが、嫁さんの話になった途端、ま
た通じなくなってそれきりだ』
「で、それ以外に何がわかった?」
若林の嘆きには関心を示さず、若島津は先を促した。
『聞いて驚くな。マリーの家出先はなんとここだったんだ。この家の結婚式を邪魔しに、は
るばるやってきたって言うんだが。森崎たちはそれを手助けしようと追って来たらしい』
若林の口調にまた別の戸惑いが加わったのを若島津は聞き逃さなかった。
「シュナイダーの妹と結婚式がどう関係あるんだ」
『いや、それが…恋人が無理に結婚させられることになって、そいつを奪い返しに来た、と
か何とか――』
「恋人、ね…」
若島津は肩をすくめる。こちらの嘆きにも興味はないらしい。
「郵便屋の噂話を延々聞き続けてな、ここのお家事情なんかもいろいろわかったぜ。先代の
当主が日系人なんだとか、ケルンに持ってる会社の後継者がどうなるかで最近もめてるんだ
とか、な」
会話は放置して、若島津はさっさと門から敷地内に入って行った。そこに、騒ぎが聞こえ
てくる。車寄せ付近まで来たあたりだった。
「なんだ?」
結婚式と聞いたばかりである。こういう騒々しい光景は場違いではないか…と、若島津は
いつもの冷静すぎる目で眺めた。
屋敷の前に停めてある車の前で、礼服姿の男たち数人が争っている様子だ。その側に見え
る女の子は、あれは…?
若島津はここでようやくその現場に近づいて行った。
「おい、ちょっと聞くが…」
ハンドルの奪い合いをしているらしい男たちに向かって声をかける。しかも日本語で。も
ちろん、彼らはぽかんと振り返った。
「あ、あなた、日本のチームの…」
そんな中で顔を輝かせて反応したのはマリーだけだった。
「ゲンゾーの親友ね!」
「誰がだ!!」
相手が女の子なのも一瞬忘れて若島津が声を上げる。しかし、怒鳴ると同時に、その勢い
でこちらの男たちの一人に向かって蹴りを決めてみせた。
「お願い、助けて!」
きれいな顔と裏腹のその過激さに目を丸くしながらマリーは叫ぶ。若島津は無表情のまま
うなづいた。
「花婿略奪か。なるほど」
ようやく奪い返した車に乗り込んでベルンハルトが車をスタートさせた時には、地面には
さっきの男たちが全員転がされていた。
「す、すごいのね、あなた」
助手席からマリーが振り返り、若島津を改めて見つめる。
「あんたもその若さで結婚式を襲うとは、兄さんとは似ていないようだな」
「そういうことじゃないの」
マリーはちらりと隣の男に目をやってからまた向き直った。
「私はね、煮え切らないこのベルントの本音を聞くために来たのよ。本気で別の人と結婚す
るつもりなのか、って」
「ごめんよ、マリー。僕が悪かったんだ。つい弱気になってしまって。大叔父がこっそり逃
げるように勧めてくれてたんだけど、カテリナの両親からもうちの親族にも反対されて、彼
女を幸せにできるのか自信がなくなってたんだ」
マリーの視線に応じるように、それまで黙っていたベルンハルト君が口を開いた。若島津
のことも意識して、後半は英語での説明になる。
「ちょっと待て。何だそのカテリナって」
「私の親友よ。ベルントと恋人同士だったの。なのにこんなことになって、ショックで体ま
で壊して実家にこもったままなのよね。もっともお父さんたちが許さないのも事実だけど」
「……」
若島津は眉をしかめて黙り込んだ。
「どうも話が違うな。森崎たちはあんたが自分の恋人を追って来たんだと思ってるぞ」
「えっ、そうなの? それは全然違うわ」
驚いた顔をしてから、マリーは考え込むように窓の外に目をやった。流れていくぶどう畑
の丘をじっと見つめている。
「私、家族と一緒に暮らせたら、っていつも思ってきたの。寄宿舎の友達はみんな戻って行
く家がある。でも私の家族は何年もバラバラのままで、帰る場所もないのよ。両親も、カー
ルも、みんなそのことを悲しんでいて、そのくせどうにもならないって知っていて。…そん
なのって悲しすぎる! 私、カテリナにそんな悲しい目にあってほしくなかっただけなの」
「親の反対を押し切って駆け落ちなんてしたら、やっぱり戻る所をなくすんじゃないの
か?」
「違うわ。本当に愛する人と一緒なら、自分の新しい家庭になるんじゃない。家族になれる
のよ、そこで」
「うーん」
自分も長い間寄宿生をやって家族と離れて暮らす立場であるだけに、その少女らしい一途
な言葉に若島津は思わず苦笑する。
「そういうことなら、俺も協力するしかないな」
「え?」
「森崎のほうはやつら自身でなんとかするだろう。俺はこっちを守る役に徹することにする
ぜ。――なあ、若林」
日本語での独り言に怪訝そうにしていたマリーは最後の名前にちょっと目を見開いたが、
若島津はそのことには知らん顔をしていた。
さて、若林の返答はどうだったか。
もちろん、それを聞いたのは若島津だけだったのだが。
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