ザ・プロミスト・ランド










「ダカ、ダカタ、タッ、ダカダカ…」
 運転手はやけに上機嫌だった。都心へと向かう幹線道路を快調に飛ばしなが らずっと何かのリズムを口ずさんでいる。
「なんだよ、それ。ユキヒロ」
「昨日の曲の中パートだよ。ここの変拍子、いいだろ」
 ハンドルを握るのは短髪を突っ立てた小柄な男、助手席には肩幅のがっちり したサングラスの男。そうしてバックシートには若島津が一人で座っていた。 「それより、すんなり君が来てくれて助かったよ、弟くん」
「あれをすんなりって言いますかね」
 東邦のロゴの入ったジャージ姿のまま、若島津は無愛想にただそう答えた。 「いや、この際誘拐もやむなしだったんだ、時間がなくて。都合を聞いてたら いつになるかわからないしな」
 いきなり学校の敷地に乗りつけて有無を言わせずに車に乗せてしまったのだ から、居合わせたチームの面々が誘拐かと考えて騒いだとしても無理はないと ころだ。若島津はうんざりしながらそう考えた。余計な誤解はそうでなくても 避けたいというのに。
「都合はともかく、よく一目見て俺たちのことわかったよな。身元証明に関し ては延々説明しないと無理だろうって思ってたから」
 サングラスの男はそのサングラスに触りながら苦笑した。よくあるように有 名人のカムフラージュのつもりはなく、単に実用品なのを自嘲気味に思い出し たのである。
「あんたたち、とっくに引退したんじゃなかったんですか、元・剛'S クルーの 皆さん」
「引退はひどいなあ。解散はしたけど、俺たち、ちゃんと卒業するのを優先さ せただけだぜ。ま、あれきり中退しちまった奴もいるけどな」
 若島津の兄、剛は、大学時代に酔狂が高じて約2年間プロとして音楽活動を していたことがある。よりによってアイドル人気が出てしまったのが間違いの 元。本来はジャズ研の部員でしかなかった6人の大学生たちはひょんなことか ら剛'S クルーの名で芸能界のライトを浴びることとなってしまったのだ。
 ほんの4年前のこと――と言ってもこういう世界では忘れられるのもまたあ っという間である。突然の解散をした時にはあれこれ騒がれもしたが、その騒 ぎの張本人である剛が海外逃亡をしたせいもあってほとぼりの冷めるのもまた 早かった。
 そうして注目度が一気に下がったその陰で、彼らはめいめいに本来の方向に 向かっていたということらしい。
「その剛が帰って来たとなると、俺たちもじっとはしてられないだろう?」
「…帰って、来た?」
 若島津の声にあからさまな不快感が混じる。運転中のユキヒロこと裄広勇雄 は、その顔を窺うようにミラーに目をやった。
「そう、なのにあいつ、どこに行っちまったのか、つかめないんだ。君なら知 ってると思ってね」
 その言葉も終わらないうちに背後から大きな手が伸びる。
「なんで俺がそんな期待されなきゃいけないんです…」
「あ…ううう、待ってくれ、い…いたっ……」
 急ブレーキがかかった。ユキヒロ氏は鬼のような握力で両肩をつかまれて悲 鳴を上げる。誘拐については不問だったのに話題がここに至ると突然凶暴化し たこの綺麗げな顔の弟に、2人のミュージシャンはまさに震え上がった。
「…なんでって、君、剛と噂になって…」
「その先は言わないほうがいいですよ」
 仲間を助けようと手を出しかけたベーシストの加賀美伸之のほうも、殺気立 った眼光に射られてこくこくとうなづくばかりとなる。
「――いやあ、それが2週間前のことなんだ」
 さて、都内のレコーディングスタジオで仲間の帰りを待っていたリードギタ ー担当の遠野は、その恐怖の報告を聞いてから改めて説明を始めた。
「一緒に帰国した勢至は九州の実家にとりあえず帰ってるんだが、剛のほうは 親元にも戻ってないし、俺たちや他の友人連中にも何の連絡もない。地味にど っかに隠れてられるような奴じゃないしなあ、俺たちも心当たりを全部当たっ た上でのことなんだよ」
「それで?」
 スタジオの一室。ミキシングコンソールの前に突っ立っている若島津のジャ ージ姿はいかにもこの場にそぐわない。遠野はその無表情な相手を椅子から見 上げながら小さくため息をついた。
「勢至が心配してるんだ。あいつ、ヨーロッパでも最後のほうは勢至のマネー ジャー役に徹するばかりで自分のほうは何もやろうとしなかったらしい。最初 のうちは2人でライブの助っ人やスタジオサポートの仕事なんかしてたのに」
 それは単なるサボリなのでは…と、現地で兄の仕事ぶりを目撃したことのあ る弟は心の中で考えた。
「成田に着いて、これからどうする、って話になったはずみに、あいつ、勢至 に自分のパスポートを預けて行ってしまったって言うんだ。これは逃げ道だか ら、とか言って」
「つまりあんたたちは、またぞろ再結成でも考えてるってことですか」
「いや、ちょっと違うんだけどさ」
 まだ引きつり気味の裄広が、こわごわ口をはさんだ。
「俺たち今ではそれぞれが自分のやりたいことをやって、互いに土俵も違って きてる。フヒトみたいにアメリカで成功してるのを気軽に引っ張ってくること もできないしな」
 フヒトというのは元キーボード担当だった斧野史のことで、念願だったジャ ズピアニストとしての道をアメリカで切り開いて、今ではその堅実な人気が逆 輸入の形で伝わって来ている。確かに、そこからまたアイドルグループに戻る などありえない話だ。
「この遠野は大物シンガーからほやほやのアイドル系まで曲提供して名前が売 れてきてるし、俺はスタジオミュージシャンとアレンジなんかをやってる。加 賀美はベースの講師やりながらあちこちのユニットに顔を出したりして旅の生 活だ」
「商売繁盛でけっこうですね」
 若島津はようやく椅子に腰を下ろした。スタジオ内に人がどんどん増えてき て動きが慌ただしくなったのを見て、邪魔にならないように、であった。
「剛がどういう道に進みたいにしろ、俺たちは口をはさむ気はないんだ。けど 剛'S クルーの名前に一番干渉されるのはあいつだ。それで身動きが取れないん だとしたら、俺たちがなんとかするのが筋ってもんだろ」
「そうでしょうかね」
 仕事仲間と、身内である自分と、剛に対する認識や評価が一致しないのはし かたがない。だがそれに気づいてもらえずにこうして協力を求められてもどう しようもないのだ。若島津はしかしそこまで説明する気はどうやらないよう で、ただ仏頂面で話を受け流していた。
「帰国する話を聞いて、一度は集まろうってのは決まってたんだ。どうせなら 1枚アルバムでもでっちあげて、昔の名前を派手にぶっ壊しておこうってね。 でも剛に何か顔を出せない理由があるんなら、いよいよこっちも本気で動かな いと、ってことさ」
「あ、そう言えば」
 そこで遠野が明るく話の腰を折った。
「フヒトが参加できるって電話が来たぜ。おまえらが出かけた後で。来週から 10日くらいならこっちにいられるんだと」
「そっか!」
「やったぜ!」
 3人のメンバーのみならずスタジオのスタッフたちまでガッツポーズの輪に なるに至って、若島津はとうとう席を立った。
「あ、ま、待ってくれよ、健くん! 君にはいてもらわないと駄目なんだ」
 遠野が腕を伸ばして若島津のジャージをつかんだ。中学生の頃から不本意な がらこのグループを取り巻く騒ぎに巻き込まれ続けてきただけに、初対面とは いえ顔や名前は一通り知っている。しかし、あくまで別世界のこと。この状況 であまり馴れ馴れしくしてほしくないのも事実だった。若島津は不機嫌な顔で その手をつまんで離す。
「俺に何をさせようってんですか。まさかアレの代役で歌えとか言うわけじゃ ないだろうし」
「いや、それは違うよ。――でも、歌う?」
「帰ります」
 本人たちの意図とは別のところで漫才になりかけていたその時、周囲から 「しーっ」という声が上がった。さっきまでのざわめきは消え、瞬時に静まり 返る。録音がスタンバイしていたのだ。
「リズムパートのトラック3、行きます」
 遠野は少し背を縮めて声をひそめた。
「この際だからぶっちゃけて言うとさ、俺たち、君を人質にしたいんだ」
「ほー」
 若島津はあくまで無感動である。
「つまり剛をおびき出すエサ、ね」
「確かにぶっちゃけた話ですね」
 2人はスタジオの一番出口側、つまり廊下に出るドアの前に後退して話を続 けた。
「俺たちも色々考えた。情報も集めたし。あいつが雲隠れしてる原因はいくつ か考えられるけど、その最有力が家庭問題でね」
「家業については、もう誰も兄貴に期待しちゃいませんよ」
「そうかもしれない。けど、剛のほうがそう思ってないとしたら?」
「…そんな殊勝な長男なら誰も苦労しませんがね」
「だから、君でないと。健くん」
「……」
 若島津が思わず遠野の顔を見返したその時だった。
 スタジオの照明がふっとダウンして、一瞬室内が闇に落ちる。悲鳴、とまで はいかないが声が上がった。録音機器にも当然支障があったはずだ。遠野はあ わてるエンジニアたちに駆け寄って行く。
「電圧が落ちちまったのか…?」
「――今の、ナシだ。リテイク、行けるか?」
「でも原因がわからないとなんとも。ちょっとそっち頼む!」
 ばたばたとスタジオのドアが何度も開け閉めされる。その慌ただしさに、若 島津は帰るタイミングを測りかねていた。
「変だぞ、他のスタジオは全然平気だってさ。落雷でもあったかと思ったくら いなのに」
「てことはキカイのトラブルかぁ?」
 録音ブースの向こう側にいる裄広と加賀美のリズムセクション2人も、楽器 を下ろして当惑した顔をこちらに向けていた。
「えっ?」
 その時、若島津は何かの気配を感じた。
 自分を呼ぶ声が聞こえた気がしたのだ。
――来て、くれた…。
 誰かに呼ばれている。姿は見えない。声すら声ではない。
 しかし、その切ないほどの強い想いが、確かに彼に向けられているのだ。
――きっと、来てくれるって、思ってた。
 何なんだろう、この奇妙な感覚は…。
 そう思った時、若島津ははっと今朝の夢を思い出した。間違いなく同じ感 覚、同じ気配ではなかったか。
「どうした、…健くん?」
 遠野の手が肩を揺するのがわかったが、若島津は動けなかった。夢に引きず り込まれる…、そんな印象がどこかにあった。スタジオの風景がにじむように 薄れていく。
 光のない、音のない、重さのない、時間のない空間。
 まさに、夢の中だ。
 そこに何かが見えた。
 初めはぼんやりと微かな光を集めているだけだったが、それが次第に人の形 を取り始める。無表情に、こちらを向いている人影。
 その目が、じっとこちらを見ていた。
 白っぽいワンピースを着た10才くらいの少女。
「誰だ…?」
 若島津には見覚えがなかった。
 なのに、わけもなく懐かしくさえ感じたのだ。








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