◆第1章◆
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夢の風景は重く闇に閉ざされていた。
声は微かな振動となって直接伝わってくる。遠くからではない。すぐ、ここ
から。
知っている声、そんな気がした。
「……」
だが、応えようとして、自分は動けないことに気づく。声も上げられない。
もがくように力を入れようとして、その途端視界が明るく開けた。
「………」
「――起きた? 健ちゃん」
いつもの、自分のベッドだった。目の前に不思議そうな表情をした反町が立
っている。
「遅刻するぜ。うなされてる場合じゃないんじゃない?」
その反町はというと、ジャージ姿でチームのドラムバッグを担ぎ上げてい
る。
「――うなされてたか、俺」
「俺だったらさ、日向さんがいる時のほうがうなされるな、きっと。いない時
にうなされるなんてやっぱさすが健ちゃんってゆーか」
「反町」
ぬっと腕が伸びて反町は身動きが取れなくなる。寝起きの若島津の機嫌の悪
さはよく知っているとは言え、やっぱり怖いものは怖いのであった。
「――今、何時だ」
「だ、だから遅刻するって言ってんじゃん。起こしに来てやったのにこの仕打
ちはないだろ?」
頭をごしごしとかき混ぜながら、若島津は机の上の時計を見やった。反町を
ぽい、と投げ捨てるように放してベッドを出る。
「バスが出るの、30分後だからね。朝メシ、おばちゃんに頼んでおまえの分
キープしてもらってっから、ほら急いで!」
「メシはいい」
若島津は窓の外をぼーっと眺めている。今日が東邦学園大サッカー部夏の遠
征ツアー出発日だということを忘れたのだろうか、と反町は訝り始めた。
日向はレギュラー組のスケジュールで一足先に出発している。同じ1年生で
も、やはり特別扱いなのだ。
「ねえ、もしかしてどこか具合でも悪い?」
反町はそーっと首を伸ばした。
「合宿前の健康診断あっただろ。あれ、何か異常あるとか言われたわけ?」
「――ないよ、そんなのは」
陽に当たって解凍が進んだのか、若島津はようやく窓から離れて振り返っ
た。
「俺、何か言ってたか?」
「えっ、さっきのこと? 俺が部屋に来た時は唸ってただけだったけど」
若島津はまた考え込む顔になってジャージの袖にしゅっと腕を通した。
――あの声、なんて言ってた…?
頭の中で懸命に夢の断片を手繰り寄せようとする。
――タスケテ…。
「助けて?」
思わず声に出して、そうして自分で驚く。これも予知夢だと言うのだろう
か。
「ん? なんか言った?」
先を歩く反町が振り返る。寮の廊下はまさに朝のラッシュアワー。夏休み中
のほうがむしろ本業とばかりに燃えている体育会系の学生たちだけに、それは
もう賑やかである。
「いや…。やっぱりメシ食うかな」
「おいおい、あと10分だぜー」
反町はあきれ顔をしたが、これは無理やりにでも食べておいて正解だった。
これを最後に、しばらくまともな食事ができなくなることになる若島津だった
のである。
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