ザ・プロミスト・ランド





◆第6章◆









 マスターテープには異状がないことが確認された。ディレクターの加西を筆 頭に一同はとりあえず胸をなでおろす。
「でもさ」
 しかし裄広の表情はどうも冴えなかった。
「誰が、何のつもりでこんなことやったんだ? イヤガラセか? 何かの妨害 活動なのか? それとも、またスタジオのユーレイ? …うわぁ」
 自分で自分の言葉に怖がっている。しかし遠野はあくまで前向きだった。
「まあ、わからないことを考えててもしかたないさ。テープに被害はなかった んだ。レコーディング、続けようぜ」
「おまえも気楽なヤツだよな」
 ほめられたのが嬉しかったのか、遠野はにこにこしながらスタジオの中を歩 き回り、手近なスタッフをつかまえてはスケジュール確認をし始めた。思わぬ ところで時間を食ってしまったが、レコーディングはまだ半ばにさしかかった ばかりである。余裕はないのだ。
「ねえ、俺が持って来た曲、あれアレンジに回してくれたっけ」
「おまえラジカセに入れたままにしてるんじゃないのか。そこにあるから見て みたら」
 作曲と言ってもいきなり譜面で作るのではなく、ギターで弾きながらそれを テープに入れるのが遠野のやり方だった。それを現場で手を入れながら楽譜に 起こしていくのである。
「ああ、裄広さん」
「えっ?」
 そんな遠野を目で追っていた裄広の背後から声がかかった。
「あの曲のことなんですが」
 スタジオの照明が逆光になって、長い髪が顔が隠れた角度の若島津がそこに 立っていた。これは裄広でなくてもぎょっとなるだろう。
「もう一度聴けますか、あの部屋で」
「ど、どういう意味?」
 うろたえた頭では余計に飲み込みにくいだろうが、もともと若島津は発言を 極力短く済ませようとする傾向があり、主語や目的語、あるいは述語や修飾語 ――つまり全部か――をどしどし省略してしまう。前後関係から落ち着いて判 断する必要があるのだ。
「『いなばやま』です」
 裄広は思い切って一度深呼吸をするタイミングを取り、それから答えた。
「またマスターテープに何かあるとマズイからな。歌入れまでは厳重保管って 言ってたけど。まあ、プロデューサーに断りを入れるなら、聴くくらいは大丈 夫だろ」
「お願いします」
「――どうしても、か?」
 裄広は思い切り情けない顔になった。
「はい、お願いします」
 が、不気味ではあっても礼儀正しい若島津に、裄広はそれ以上抵抗する気に なれなかったらしく、用祭プロデューサーに話をつけてくれた。
「いいかい、これはまだマスタリング作業に出すテープだから、まあバックア ップは取ってあるけど、そのつもりで無茶はしないようにな」
 と、用祭氏は念を押したが、実のところボツにされる可能性もなくはない、 いわく付きのテイクである。裄広も、またスタジオのエンジニアも、再生と聞 いてそれはもう表情が暗くなってしまっていた。
「どうしてもやるんスかぁ?」
「まあ、これっきりだからさ、なっ」
 と、2人でごそごそと話し合っている間、若島津のほうは録音ブースに一人 で入って下見らしきことをしている。
「あのーっ、じゃあ行くからねー」
「お願いします」
 と口が動いたのを合図に、エンジニアは恐る恐るテープをスタートさせた。
 ボーカル抜きの演奏だけのテイクである。ドラムも打ち込みで代用させつつ メロディが展開して淡々と流れていく。
 若島津はブースの中に突っ立って、特に何をするでもなく時々自分の周りを 見回しているだけだった。
 が、曲がいよいよ問題の箇所に差しかかろうかという時、その様子は一変し た。壁に駆け寄ってその防音加工のされた白い壁板に耳をつけてみたかと思っ たら、四方の壁を手で念入りに触ってみたりと動きが激しくなる。コンソール 室の2人はその様子に驚きつつも、あわてて耳を塞いだ。
 そう、あの「声」の箇所が来たのである。
「ユキヒロさん……」
 エンジニアが、まだぎゅっと耳を押さえたまま情けない声を出した。
「あいつ、何なんですか」
「俺に聞かないでくれ」
 2人の視線は、今度はじっと壁にもたれたまま目を閉じている若島津に向け られていた。しかも何かしきりにつぶやいている様子だ。
「言っとくけど、俺は反対したんだぜ、剛の人質として弟をここに連れて来る なんて」
 実行犯ではあるけれど。
「キレイ、てのは怖いものだったんですね」
「ああ、なんか、背筋の凍る美しさってやつだな」
 そろそろと手を離して、裄広はようやく息をついた。エンジニア氏もそれに 倣う。
「剛も相当変なヤツだと思ってたけど、やっぱりあいつの代わりは誰にもでき ないよ。弟は早くサッカーに戻してやってさ、適材適所なんだよ、それで」
 その言葉が聞こえたかのように、若島津がぱちっと目を開いた。
 立ち上がり、無表情なままゆっくりブースから出て来る。
「これでいいです。ありがとうございました」
 それ以上の説明は何もない。しかし質問するのも怖いので二人はそのまま若 島津を見送ってしまった。
「うーん、どうなってんだ?」
「――そうか!」
 ドアが閉まったのを振り返りながら、裄広がいきなり声を上げた。
「あれって、歌ってたんだ。さっきの」
「えっ?」
 エンジニアもつられてブースの中を振り返る。
「『まつとしきかば いまかへりこむ』だったんだ。
 作曲した本人として、動いていた口の形に今やっと思い当たったのだった。








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