ザ・プロミスト・ランド










 カーテンを開け、ベランダの窓を開き、光と新鮮な空気を入れる。とりあえ ずゴミ関係はみのりが手早く片付けてしまったので、なんとか3人の座る場所 は確保できた。
「ひょっとしたら、とは思ってたんだ。遠野から事情を聞いた時には。もちろ んキーの隠し場所くらい知ってたはずだから、あいつは」
 ドイツ、長崎の実家、と順に回って来た大きなバッグの横に座り込んで、勢 至はふう、とまた大きな息をついた。一年ぶりの我が家も、いきなりこの騒ぎ ではくつろぐのもままならないだろう。
「剛兄も健兄も、ほんとに何やってんのかしら。呆れちゃう。みんなに心配ば っかりかけて」
「いや、健くんはむしろ被害者の一人だと思うよ。剛の代わりにスタジオにい るって聞いたし」
「スタジオ?」
 日向の目がぎらりと光る。勢至は思わず背筋をぴんと伸ばしてしまった。噂 には聞いていたものの実物を前にするのは初めてなだけに、その全身から発散 される野生のオーラはなかなかに刺激的だったに違いない。
「い、いや、俺も詳しいことは知らないんだ。レコーディングはもう始まって るのに、剛だけまだ連絡もついてなくって、代わりに健くんに来てもらってる って話だったけど」
「代わりって、まさか健兄が演奏とか歌とかやるんですか?」
 みのりが身を乗り出した。
「いや、俺もそんなはずはないと思うんだけど…」
「まあいい! こんな所でああだこうだ言ってねえで、そこへ行けばすむこと だ」
 いきなりガバッと立ち上がって、日向は今にも出て行こうとする。じらされ るのが何より嫌いという性格となればしかたのないことだろう。
「ほら、あんたもさっさと案内しろ」
 居場所がわかった以上ぐずぐずしていられないというのはわかるが、年上の 人間に向かって態度が大きい。今朝早く起きて飛行機で飛んで来たばかりだと いうのに、ゆっくり休む暇も与えてもらえない勢至さんだった。
「あ、待って。剛兄またここに戻って来るかもしれないから、書き置きしてお く」
 電話のところのメモを1枚とって、急いで何やら書きつけている。それを冷 蔵庫のマグネットに止めてみのりは満足そうにうなづいた。
「さ、いいわ。行きましょう」
「何て書いたんだい?」
 ドアに鍵をかけながら勢至がこっそりささやいた。日向はひとり、エレベー ターに向かってどんどん先を歩いている。みのりはまた帽子をかぶり直すと勢 至をじっと見返した。
「鬼ごっこもいい加減にしなさい、私からは逃げられないわよ…って」
「そいつは…」
 なかなかに迫力ある書き置きと言うべきか。
「あらっ、何だろ」
 日向を追って一階のエントランスホールまで降りて来たみのりと勢至は、マ ンションの前で何かざわざわと人が集まっているのに気づいた。
「あっ、日向くんが…!」
 一足先に外に出た日向が、その途端その人波にわっと囲まれるのが見えた。 カメラのフラッシュが次々に閃き、マイクが四方から突き出される。それを見 てあわてて飛び出した勢至だったが、あっと思う間もなく自分もその波に飲み 込まれてしまった。
「やっぱり剛さんは帰国してるんですね!」
「君、日向くんだね。どうしてここに? 剛さんに直談判ってわけですか?」
 剛'S クルーをめぐる噂を聞きつけて剛のかつての自宅に押しかけた報道陣 は、なんとサッカー界のアイドル、いや、若手有望選手が姿を見せるという意 外な展開になったことで、余計な火がついたらしい。
 いかにも、という典型的な芸能記者、レポーターたちの質問の嵐に、しかし 日向は不機嫌そうな顔で黙っていた。言われている言葉の意味がわかっていな いのだ。ここにサッカー系の記者が混じっていれば、その目つきが何を意味し ているかすぐさま悟って逃げ出しただろうが、あいにくこちらの連中はサッカ ー界における日向小次郎の位置づけなり性格なりをまるで知らない。スポーツ という別世界に住む、健全サワヤカ努力一本な「スポーツマン」という先入観 で判断しているからこそ、危険な領域に踏み込もうとしているのだ。
「待ってください! 日向くんは剛とは無関係です、彼は僕に会いに来ただけ で――」
 勢至が波に押し戻されながら声を張り上げて反論しようとするが、記者たち の攻勢は弱まる気配もない。
「剛さんの代わりに弟の健くんが新メンバーになるって言ってましたよね。兄 弟の間で何か確執でも?」
 日向の表情がここで初めて動いた。
「弟さんがサッカーを引退して芸能界入りというのは、日向さん、いつ聞きま した?」
「なにぃ…?」
 それまで一言も発しなかった日向が、その問いにいきなり反応を見せた。マ イクをなぎ払うようにして、その質問をした記者に詰め寄る。
「あんた、今なんてった? え?」
「は…、あの、だから剛さんの弟がサッカーをやめて――」
「バ、バカか、てめー!!」
 まさしく爆発であった。怒鳴られた当人も何が起きたのかわからないうちに 首を締め上げられて呆然としている。
「デタラメ言うんじゃねえ! あいつが、あいつが…」
「わぁあ、やめろって、日向くん!」
 勢至はそれを止めようと必死に腕を伸ばすが、もみあいに押されてあっさり 輪の外に弾き出されてしまう。
「…勢至さん」
 そこへ腕を引っ張る者があった。振り返ると、みのりが姿勢を低くして近寄 って来ていたのだった。勢至をつかまえてホールまでそっと引き戻す。
「今のうちに裏から逃げて。日向さんは大丈夫だから」
「だ、大丈夫って、君…」
「私たちはしょせん部外者だけど、この騒ぎが一息ついたら今度は勢至さんが つかまっちゃうわ。そうなったらもう助けられないと思うの」
「わ、わかった。じゃあ、このままスタジオに行くよ? 君たちも無茶するな よ」
 勢至がマンション裏手の駐車場に向かって賭けて行くのを見送ってから、み のりはまたエントランスに出てきた。報道陣と日向がもめている横をすたすた と素通りして道路まで出る。交差点で信号待ちをしている何台かの車を眺め渡 して、その最後尾にいた一台に目星をつけたようだった。
「きゃーっ! 剛!!」
 とんでもない悲鳴が響いて報道陣の一角がそちらに注目する。少女が一人、 乗用車の窓にすがりつくようにして叫んでいるのを見て、彼らの動きが止まっ た。
「剛ーっ! 写真撮らせてー! 待ってったらー!」
 信号が変わって車の列が動き出した。気の毒に、たまたま通り掛かったため に妙なことに巻き込まれることになったその車の運転手および同乗者は、気味 悪そうに窓の外の少女を振り返りつつ逃げるように発進する。
「剛! 行かないでー!」
「君っ、今の剛だったの?」
 叫びながらさらに追いすがろうとしていたみのりに、記者たちが追いついて きた。
「剛と勢至が…」
 みのりは足を止めると、走り去った車を指差す。報道陣は一気に色めき立っ た。
「急げ、あの白い車だ! 今度こそつかまえるぞ!」
「よっしゃーっ!」
 現金と言うか集団心理と言うか、スクープというウサギが目の前を駆け抜け て行くのを見てしまった彼らは、まさにドッグレースのハウンド犬と化した。 もはやもう何も目に入らないというように、すべてを置き去りにしてバタバタ と撤収していく。
「――おい」
 その、置き去りにされた当人だけがぽかんと立っていた。
「何だってんだよ、一体」
「が、乗ってるなんて、私、ひとことも言わなかったけど」
 みのりはこともなげにそう言うと、にっこりと日向に笑いかけた。しつこい ようだが、これはなかなか見られるものではない、貴重な笑顔なのだった。








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