ザ・プロミスト・ランド





◆第7章◆









「あー、よかったよかった、さすが勢至」
 再会を喜び合う暇もないまま、レコーディングはさらに進んでいく。コーヒ ーカップを手に椅子に座り、遠野は嬉しそうに録音中の音に聞き入っていた。 ブースの中には裄広と加賀美、そして勢至がいる。これでリズム隊は勢揃いと いうわけだ。
「打ち込みに合わせて録ったテイクとはかなり違ってきますねえ、やっぱり」
「ああ、1年以上ブランクがあるのに、感じないものな、そんなの。リハなし でもこれだけやれるんだからたいしたもんだ」
 現場に上がってきた用祭プロデューサーと一緒に並び、加西ディレクターは 満足そうにうなづく。
「あとはフヒト君と剛君か…」
「フヒトは明日にも着くはずです。問題は剛だけなんだけどなあ」
 コーヒーを飲みながら遠野はテーブルに手を伸ばした。そこに置いてあった バインダーを開いてぱらぱらとページを繰る。
「この曲はまあこれでいいとして、ボーカル物はあと『ポップ・ゴーズ・ザ・ ウィーゼル』に『相乗』に、それに『いなばやま』か…。あといくつ増えるか なあ」
「歌詞、完成してないのかい?」
「だって、歌う本人と合わせながらじゃないと、直し、できないっすよ」
 遠野は指でパンパンとノートを叩いた。考え事をする時の彼の癖であった。 「そうだなあ、ユキヒロが自分で歌っちまうか…。それともせっかくだからゲ ストに歌ってもらっても――」
「誰のことです、それ」
 ドアの開く音も足音もしなかったが、これは場所柄を配慮してではなく単に 本人の習性なのでしかたがない。
「あっ、健くん。いやははは。なあに、ただの思いつきだから、気楽にトライ してみるってどう?」
「遠慮します」
 何度言われようと若島津の返事は同じだった。
「おや、電話か」
 その時、壁の電話のランプが赤く点滅する。呼び出し音はOFFにしてある ので、かかるとランプが知らせるのだ。
 一番近くにいた用祭プロデューサーが出た。
「お、おお、剛くん!」
 その声に、その場の誰もが反応した。
「剛くんなのか? ああ、ちょっと待ってくれ」
「…剛っ!?」
 遠野が飛びつくようにして用祭氏から受話器を受け取った。
「おまえどこにいるんだ? え? …おい、声が遠いぞ。何だって?」
 遠野は沈黙し、そして受話器を置いた。
「どうした、遠野くん」
「いや、東京に戻ってるって言ったところで切れちゃいました。周りがうるさ い所なんで場所を変えてもう一回かけ直すって」
 皆の期待の目に囲まれて、遠野は頭を掻いた。
「駅のホームかどこかみたいだったけど。あ、目黒かな。なんか発車チャイム に聞き覚えがあったなあ」
「目黒…」
 山手線では剛と勢至のマンションの最寄り駅だ。ちなみに山手線の各駅は駅 ごとに特徴のある発車チャイムが鳴る。昔のけたたましい発車ベルから電子音 に変えられたのだが、これはこれで凝りすぎて耳障りという意見もあったりし てなかなか難しいものがある。
「電話って、ほんとか!」
 録音を終えた3人がブースから飛び出して来る。それに応じるかのように電 話が再び点滅した。あわてて遠野が取る。
「剛!」
 遠野が合図したので、察して加西が電話の声をオープンモニターに切り替え た。剛の声がスタジオに流れてくる。今度は静かな場所らしく騒音はない。
『やー、ごめんな遠野、連絡遅れて』
「いや、それよりどこなんだ、おまえ。早く来いよ、とにかく。待ってんだか らさ」
『うん、まあ…』
 剛の返事はあいまいだった。勢至が前に出てくる。
「剛、俺だ!」
『ああ、勢至か。おまえの部屋勝手に使っちまって悪かったな。ちょっと実家 はやばかったんで』
「みのりちゃんの伝言を見たのか?」
『へ? みのりが…。あいつにまでバレちまった?』
 もちろんバレバレである。
「なんですぐみんなと会わなかったんだ、こそこそ隠れたりして」
『こそこそはひどいなあ。俺、リクルート中なんだ。就職先が決まるまでは姿 消してたほうがいいと思ってさ』
「いい迷惑だ」
 人垣から離れた所で若島津がぼそりとつぶやいたが、もちろんこれは剛には 届いていない。
『俺、音楽はもう戻らない。悪いけど、今度の企画にも参加しないつもりだっ た』
「なんだって?」
 意外な言葉に全員がざわめく。が、その中で遠野が一人先に気を取り直した ようだった。
「…だった、って、剛?」
『うん、ゆうべのラジオ聞いてさ。ちょっと迷ってるんだ。ほら、健が新メン バーになるって聞いたから俺も見物に行こうかなーって』
「面白がるな!」
 あくまで直接話法を避けたいらしい若島津だった。独り言がしかしどんどん 怖い方向に向かっていくのを、一番近くにいた加賀美が不安そうにちらちら振 り返る。
「見物じゃなく、参加してくれよ。音楽やめるっておまえ、一体何をする気な んだ?」
 こちらでは遠野がまだ食い下がっていた。
『知ってると思うけど、俺、ジャズ研に入ったのも思いつきだったし、もちろ んプロデビューも予定外だった。ヨーロッパ行って、何やってもいいって状況 でいろんなことやって回って、かえってそれでわかったんだ。俺は勢至とは違 って音楽向きの人間じゃないってことがね』
「ちょっと待てよ、剛!」
 大きな声を出したのはその勢至だった。
「――そんな言い方許さないぞ。日本を出たのは逃げたんじゃない、もっと面 白いことを見つけるためだって、おまえ言ったじゃないか。行き当たりばった りなのはおまえの得意技なんだろ! 今さら反省なんてすんなよ、似合わない よ!」
『…勢至』
 剛の声にほんの少し戸惑いが混じったようだった。
『俺、おまえのことは反省してないよ。一緒に行ってよかったって思ってる。 俺のためじゃなく、おまえ自身にね』
「そうじゃなく…」
「――たちわかれ!」
 そこへ突然の大声が割り込んだ。
「いなばのやまの、みねにおふる、まつとしきかば、いまかへりこむ!!」
「ユキヒロ…!?」
 驚いたのはむしろこちら側の一同だった。顔を真っ赤にして叫ぶ裄広から思 わず一歩退いて見つめ直す。
『そのおまじないは俺には効き目なさそうだなあ。でもおまえ腕上げたよな。 いい曲だよ、それ』
「いいから一度ここに来い! サシで話つけないと、俺たちは納得しないから な!」
 まだ赤い顔のまま裄広は見えない相手に向かってぶんぶん拳を振り回した。 『うん』
 剛の声はいくぶん神妙になっていた。
『もう少しこっちカタつけて、そしたら行くかも。録音はあまり当てにしない でくれな。俺が駄目なら健に歌わせるのもいいと思うぜ。――あ、悪い、テレ カ切れそうだ。じゃあな!』
「剛、待てってば!」
 勢至が叫んだ時には電話はもう切れた後だった。遠野が黙って受話器を戻 す。
「……う、わっ!?」
 その瞬間、スタジオに鈍い音が響いた。飛び退いたのは加賀美だ。飛び退い たそこには、事務用テーブルが真ん中でぐにゃりと折れ曲がった無残な姿を見 せている。そして、その前でうつむいた若島津が拳を握りしめていた。
「ふざけんじゃない…」
 うつむいたその長い髪の下から陰にこもった声が聞こえたかと思うと、ぱっ と起き上がってドアに突進して行く。いきなりのことに、誰もが棒立ちになっ てしまっていた。
「す、すごい力――」
 テーブルの残骸をもう一度振り返って遠野がつぶやいた。さっき自分が飲ん だコーヒーカップが斜めにずり落ちそうになっているのを呆然と手に取る。
「ひえ、怖えぇ…」
 剛の爆弾発言に追い討ちをかけるその衝撃に、彼らはしばし金縛りになって しまったのだった。








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