a cup of day 3−1                              







 ≪3≫ 





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 スタジオでの編集作業にかかる前にもう少し撮りだめしておきたいから…という剛さん からの連絡を受けて、翌日ヘフナーとジノは裏庭で待っていた。前の晩の騒ぎを聞きつけ ていた弟たちにも一応事情は話しておいたので実は子供部屋の窓から興味津々で覗いてい たりする。
『にゃんにゃんは?』
 熱が下がって目が覚めた末っ子のトビーが最初に口にしたのはその言葉だった。
『昨日一度エサをやったからもうおなかは空いてないよ』
 ジノからそう聞かされてトビーも上の二人もとりあえず安心はしたようだった。
『グスタフが診察してくれたから、病気の心配もないしね』
『うん、ありがとう!』
 彼らの残る願いは、部屋を出ることを許されて自分の手で猫を抱くことだけとなった。 「ねえ、グスタフ」
 撮影隊はまだ現われない。空を流れる雲を見上げながらジノが口を開いた。天気は下り 坂らしく、黒い雲で空は暗い。
「率直な話、あの子は今どこにいると君は思う?」
 そう問いかけられてヘフナーはゆっくりと振り向いた。
「君なら、昨夜も気配を探れていたはずだよ。ゴーのと同時にあの猫のだって」
「ああ、あそこにいさえしたならな」
「てことはいなかったんだ、アパートの中に」
「そういうことだ」
 夕方二人でアパートに無断侵入した時も、夜の撮影の間も、ヘフナーはあの小さな存在 を探り当てるために特殊能力をフルに使用していた。そう長い時間でなかったにせよ、そ の間猫の気配はついに現われなかったのだ。
「この家もアパートも、おおよそこのブロック一帯があの猫のテリトリーだと思う。つま り、この範囲内で飼われているもしくは飼われていた」
「言い換えれば、この範囲内に飼い主がいる、もしくは飼い主がいたってことだね」
 ジノが目を輝かせた。
「そうだ。しかしそっちのほうが難題だと思うぞ。猫は勝手気ままにテリトリー内をうろ つくだろうが飼い主はそうじゃない。どこかに位置を定めている――つまり住んでいるは ずだからな」
「おーい、お待たせ!」
 ちょうどそこへ剛さんが現われた。見上げるとアパート内を照明が動いていて今日の撮 影のための設営が始まったようだ。
「何かわかったことあるかい?」
「いいえ、まだ特に」
 アパートの中へと一緒に向かいながらジノがそう答えると、剛さんは意味ありげに笑顔 を見せた。
「俺はあるよ。君たちが怪しんでいたあのオーナーさ。幽霊の噂が迷惑だ、入居者はとう とうゼロになったし…なんて言ってたけど、調べてみると彼がここを買い取ったのは8年 前で、つまり幽霊アパートなのは承知の上でわざわざ買ったことになるんだよね。矛盾し てるだろ」
「なぜあえてここを買ったのか、ですね」
 とは言え、昨日のあの様子ではすんなり本当のことは答えてくれそうにない。階段を上 りながら剛さんは声をひそめた。
「今日も来てるんだ。撮影にはあの人今日は関係ないのに、戸締りを確認するためとか言 って」
 一度スタッフに指示を出しに行ってから剛さんはまたこちらに戻ってきた。
「カウフマンさん、一人で上の階に行っちゃったってさ。例の幽霊猫を探してるのかな」 「あの人が飼い主ってことはないよね」
「どうかな」
 誰の問いも答えは見つからない。
「昨日も、ここのアパートは完全に鍵がかかっていて誰も入れないはずと言ってたけど、 あれも嘘だよね。現に僕たちは通用口から入れたんだから」
「へえ〜、そうだったんだ――」
 と、会話していた剛さんとジノはいきなりそこで話を中断させた。ヘフナーが突然ダッ シュしたのだ。
「グスタフ、どうかした? まさか…」
「いる――上だ。今歩いて移動中だ」
 数歩先で足を止めてヘフナーはじっと天井を振り仰いでいる。剛さんは呆気にとられた 様子だ。
「なんでわかるんだ?」
「いやあ、彼は専門家ですし、動物の。耳もいいから鳴き声でも聞こえたかな」
 じっと意識を集中させてこちらに見向きもしないヘフナーの代わりにジノがフォローす る。
「ならとにかく行こうよ。その猫、見てみたい」
「言っておきますけどその子は幽霊じゃないですよ。僕もグスタフもしっかり触りました もん」
 歩き出したヘフナーの後について彼らは二階、そして三階へと順に上がっていく。四階 建てのこのアパートはもちろんエレベーターはなく、各階、階段の吹き抜けを囲んで4世 帯ずつの配置になっている。
「しっ、聞こえる」
 吹き抜けだから、上からの声は直接聞こえてくる。ヘフナーがそう示した声に耳を澄ま せるまでもなく、それはカウフマンの声だった。
「――おいで、いい子だから。そこじゃよく見えないからこっちにおいで…」
 がさごそと音がする。と、ギャッという悲鳴が上がり、大きな物音が響いた。三人は急 いで三階に駆け上がる。
 階段の手すりの横でカウフマンが頬を押さえて尻餅をついていた。白いものが廊下の奥 へ走って行き、窓枠に跳び移るのが見えた。
「あの猫だ」
 ささやいたのはジノだ。
「あ、窓が…!」
 猫は窓枠の少し上にある留め具に伸び上がるとそれに手を掛けてカタン、と引っ張り下 ろした。ガラス窓がキーッときしんで開き、猫はその隙間に体を押し付けるようにしてす り抜け、屋根の上に降り立つ。
「なんとまあ、器用な…」
 急いで窓に駆け寄ると白猫は大きなしっぽをゆさゆさと左右に振りながら屋根の向こう へ歩いて行くところだった。
「大丈夫ですか、カウフマンさん」
 廊下では、へたり込んだままの所有者に剛さんが声を掛けていた。男は呆然と顔を上げ たかと思うと、宙を睨んで激しく首を振った。
「違う! そんなはずはない、あの猫のはずが…!」
 そして所有者は自分の前の部屋にゆっくりと目をやる。真っ青な顔で見つめるそのドア には、306と打ち出した古い真鍮のプレートがはまっていた。





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