a cup of day 4−3                              






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 もはや、完全にカーチェイスとなってしまっていた。
 追うシュナイダーに逃げる若林。いや、正確には若林を乗せた車。
 運転している男たちは運送会社を装った格好をしているがこれは偽装で、実際には盗難 トロフィーの運び屋だった。成り行きで若林を拉致したのが運の尽き。あきれるような追 っ手がどこまでもくっついて来る。
「あんな無茶な運転、ありえねえ!」
「な、何なんだ、あいつは!?」
 ドイツが誇る高速道路網アウトバーンもこうなると走る凶器の独壇場だった。交通法規 はもとより人間としての常識をも無視した殺人的な運転で、彼らのワゴンの後をひたすら 追ってくる。
「ドイツサッカーの若き皇帝様だ。常識なんか通じるわけがないさ」
 後部座席の若林も、一応後ろ手に縛られているもののこのワゴン車の危機には何ら動ず る様子を見せずに他人事のように男たちの狼狽ぶりを見守っている。――いや、見守ると 言うよりは…。
「おまえも楽しんでる場合か! このままじゃ死ぬぞ!」
「だろうなぁ…」
 後部座席で隣に座っている男にそう応じておいて、若林は追い越し車線に並び掛けたシ ュナイダーの車を窓越しに見やる。
「どうやらマリーと俺が一緒に出かけたと思い込んでるみたいだからな、こうなると止め られる奴はいないさ。当のマリーを除いて」
 運転免許を取ること自体、暴挙だ無謀だと周囲に囁かれていた彼である。天才ストライ カーである以上もちろん運動神経に問題はない。あるとすればその極端な人間性だった。 それにプラスして最大級の方向音痴。いっそ試験に落ちてくれれば世は平和でいられたの に。一度でもシュナイダーの運転を目にした者はそう思うはずだ。
 まして若林はシュナイダーにとってジュニアユース時代からのライバル、そして最愛の 妹を奪って行くのではと危惧している男である。もはや今のシュナイダーにいつものクー ルさを求めても無駄というものだった。
 並ぶかと思われた次の瞬間には左の車線にいたはずがいきなりこちらの右側車線に横滑 りしている。これを意識してやっているのなら素晴らしいテクニックだろうが、あいにく シュナイダーにそんな意図はない。単に神が降臨しているだけなのだ。そう、何も考えず 何も見ず、本能の赴くままに無の境地にいるに違いない。
「こ、このままじゃマズイぞ」
 しかし男たちはそんなことはまったく知らない。
 ただ自分たちを追跡しようとしているのだと思っている。
 若林を引き渡しさえすれば彼らに興味などない彼とは縁が切れるのに、自分たちの安全 を守るための人質にしているのだから気の毒である。
 ワゴン車はシュナイダーの車に思い切り脅かされながら必死に西へ西へと疾走する。外 国人観光客に運ばせるはずだった盗品を積んで自ら危険な国境へと向かわざるを得なくな ったわけだ。
「国境までには振り切らないと――」
 銃器を持っているとは言え、彼らも派手にそれを使用するわけにはいかない。だが自重 していられるのももう限界と見たのか、後部座席の男がショットガンを手にした。外から は目立たないように構えると、シュナイダーの車に狙いをつける。
「タイヤを狙えばなんとかなる」
「…わかった」
 とは言っても右に左にハンドルを切りながらの走行をしつつまともに狙いを定めるのは 至難の業であった。できれば発砲は一発で済ませたい彼が何度かタイミングを測り直すの を横目で見つつ、若林は加勢をすることにした。
 シュナイダーの執念は確かに止めようがないが、その車自体ならなんとかなるだろう。 銃を使われるのも困るが、このままアレを放置すれば遅かれ早かれ事故になるだけだ。
「ヘルナンデスのほうがこういうのは得意なんだろうが」
 静止している物体ならともかくこういう高速走行している車を好きにコントロールして 止めてしまうのはいくら若林の力でも無理だった。いつかジノ・ヘルナンデスがまさにこの シュナイダーの運転に対して行なったナビゲーション式の制御を今また試みるが、誰にも 見切ることのできないシュナイダーの思考を相手にする以上、これだってギリギリのライ ンである。
「まったく、あいつさえ現われなきゃこんな連中なんて楽勝だったんだ」
 思わず愚痴が浮かんでしまう。
 国境の手前の最後のインターチェンジを示す標識が見えた。若林は車線を意識しながら 思念を強くそれに沿わせる。彼の意識下で、迫るパワーと押し戻すパワーがぶつかり合い 激しく競り合った。
「お、おい……」
「行っちまったぞ」
 男たちの唖然とした声が若林の集中を解いた。
 窓の向こうで、シュナイダーの車が離れていくのが見えた。インターの降り口に向かう 車線に乗ってそのまま別れる。運転席のシュナイダーの横顔が小さく目に映ったが、さて 自分のこの状況がちゃんと理解できているのか、そっちのほうこそが道を間違えたのだと でも言いたげな視線を寄越してそのまま見えなくなっていった。
「た、助かった――のか?」
 結局撃たずに済んだ銃口を下ろして、若林の隣の男は緊張を解いた。脂汗が額ににじん でいる。運転手も肩の力をようやく抜いてスピードを通常まで落とした。助かったと言っ たものの、もちろんこれで終わりではなくやっと本筋に戻れただけなのだが。
「で、どこまで行くつもりなんだ? 俺に受け渡しをさせるはずだったサービスエリアは とっくに過ぎちまったが」
「おまえが口出しすることじゃない!」
 まださっきの疲労感を引きずっているのか、運転席の男は苛立った声で若林を睨んだ。 「もう俺の役目はなくなったんだから解放してもらいたいな。最寄りの警察で」
「ふざけるなと言ってるんだ!」
 隣の男が若林を抑えつけようとするが、若林はびくともせずに座席に深々とふんぞり返 って自分の思考に浸っていた。
「あいつ、あれで諦めるとは思えんしな。ぐずぐずしてるとまた厄介なことになるぞ」
 彼にとって厄介なことというのは今のこの拉致状態のことではなくあくまでシュナイダ ーへの対処であったのだが。
 ワゴン車は国境越えを諦めたかそれともとりあえず別ルートに変更したのか、進路を南 に向けたようだった。オランダ、ベルギーとの国境と並行するラインの河沿いルートにあ たり、この先はデュッセルドルフ、ケルンといった都市が続く。
『――若林さん』
「ん?」
 名前を呼ばれた感覚にはっとする。
「誰だ…? 森崎か?」
『返事してください、若林さん…』
 彼を呼ぶその声は何か混線でもしているかのようにさまざまなものと交錯して焦点が定 まらない。さまようその意識をとらえようとこちらから逆に相手を特定する交信を試み る。順にそれぞれの周波数に向けて。
 森崎はつかまらない。そして若島津も。
「変だな、二人ともこんなに遠いはずはないのに。ベルギーなら」
 さらに意識を移して飛ばし直すと――。
『おー、ワカバヤシか、どうした』
 そこに応じてきた声があった。ヘフナーである。なんとジノも一緒だと言う。
 しかし二人とも、自分たちから若林を呼んではいないと証言した。さっきの声ではない ということになる。
『こっちは今厄介なことに関わっていてな。ベルギーの日本チームに合流するつもりだっ たんだが…』
 若林は自分の今の状況を彼らに説明した。が、話を聞いた二人の反応は若林の予想外の ものだった。
『カップの盗難だと? そっちもか』
『そっちもって、おい…?』
『あのね、トロフィー泥棒なら僕たちもだよ。古アパートに盗品のトロフィーが満杯なの を見つけちゃって』
 互いに驚きながら情報を交換する。今のところわかっている範囲で。
『これは臭うな。もっともこいつらは最初国外に出ようとしていたから場所が一致するか は微妙だが』
『まあともかく無茶はするな。おまえが本気になりゃ一般人に被害が出る』
 泥棒でも一般人か。若林はその忠告に苦笑した。
『えらい言われようだな。一応おとなしくしてるよ。なにせ今はペナルティエリア外だか らな』
『なるほどね』
 ジノがくすくすと笑う。普段の生活の中で意識して力をセーブして自重が必要な点、彼 の立場は若林と似ているかもしれない。
『むしろ心配すべきなのはシュナイダーじゃないのかな。ただでさえあの運転なのに一人 でそんな遠出してるなんて』
『まったくな』
 ハンブルクからケルンへ。そしてその先にはベルギー。
 事件の端と端がわずかに繋がったのと同時に彼ら仲間同士の距離も縮まりつつあった。 若林を呼ぼうとした声が意味するものはわからずじまいのまま。





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