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「あ、グスタフ、おかえりなさい。ジノ叔父さんは?」
子供部屋は一度まるごと逆さにして振り回したとしか思えない散らかり方だった。
アパートから戻って来ると弟たちは暇を持て余していたさなかだったようで、ヘフナー
はまた大歓迎を受ける。
「静かにしてろ。トビアスはまだ具合が悪いんだ」
両腕にそれぞれぶら下がっている上の二人を軽々とベッドに運び、無理やり毛布の中に
押し込める。
「おとなしくできるなら、いいものを見せてやるから」
「なに、なに!?」
小さなクルト、ユールが目を輝かせた時、ジノが部屋に入って来た。トレイに昼食のス
ープパスタと白身魚、それに薬びんが載っている。
「はい、これを食べて薬も飲んだらお客さんが来てくれるからね」
「お客さん?」
朝よりさらに食欲が増した様子で弟たちは昼食を口に運ぶ。楽しみが待っているなら余
計にだろう。
「ああ、来た来た」
ヘフナーが薬を飲ませている間にジノが窓から庭を見下ろして声を上げた。下に向かっ
て手を振っている。
「こんにちは」
しばらく待っていると階段を上ってくる音がして、ドアから剛さんが顔を出した。
「はじめまして。僕の連れと会ってもらえるかな」
「わーっ、あの子だ! あの猫だよ!」
「ほんとだぁ!」
剛さんが腕に抱いた猫を見るなり二人は歓声を上げた。ベッドから飛び出しかけたのは
ヘフナーに止められたが、それより先に剛さんが二人の前にやってくる。
「なでてもいい?」
「驚かせないように、そっとね」
ジノもにこにこと覗き込んだ。
「サバラン、って呼んでごらん」
「そういう名前なの?」
「それで合ってるか、確かめないと」
剛さんの手からベッドの上に下ろされた白猫は、ちょっときょろきょろしてから弟たち
に歩み寄った。なでられても嫌がる様子はない。クルトの膝の上に乗ってごろごろと喉を
鳴らし始めた。
「サバラン? 返事してみて」
猫は寝そべったままふさふさとしたしっぽをゆったり左右に振った。ジノはヘフナーを
振り返る。
「ほらね、サバランでいいみたいだよ」
「――名前も同じで芸も同じ事ができる。見た目もたぶんほとんど変わらないんだろう、
カウフマンが見間違えるくらいに」
「それでも別の猫だって言うんだね、グスタフ」
「ああ、年齢が違う」
ヘフナーは目を細めて、弟たちに抱き締められている猫を見つめた。
「おそらく子供か、あるいは同腹の一族だな」
「そこまで言い切れるんだ。さすがはプロ」
剛さんが目を丸くした。獣医にはまだなっていないヘフナーをそう呼んでいいかどうか
は疑問だが。
「じゃあ俺は撮影に戻るよ。その子は出番になったら迎えに来るからそれまで可愛がって
てくれ。大事なヒロインだからね」
ハプニング続きで撮影のスケジュールも狂いっぱなしに違いない。しかしそんなことで
めげる若島津剛ではないらしく、張り切ってアパートに戻って行った。
「で、さ」
交替で猫をベッドに入れている子供たちを横目で見ながらさっそくジノが切り出した。
「さっきのワカバヤシの話、どう思う? やっぱりこっちのと同じクチなのかな」
トロフィーの連続盗難などというのはそうあることではないだろう。小さな工場で1年
足らずの間にどれだけのトロフィーやカップ類が造られたか――それがヨーロッパ各地の
どこに売られて行ったか、カウフマンとその共犯者たちは読み切れていなかったのだ。ア
パートを買い取って捜索の拠点としてから十年が過ぎ、なのにまだ見つかっていない。
「カウフマンの共犯者がどこにいるのかわかっていないからな。ここが盗品の保管場所に
なっているのは確かだが、アジトではない。それが国外である可能性も十分ある」
「盗まれたハンザカップが運ばれるはずだった所がそうかも、だね」
「もう1回あの男を締め上げてしゃべらせたほうがいいな」
病院に運ばれたあの男である。剛さんの報告ではやはり片足を捻挫していたようで、あ
と全身打撲でしばらくは動けないとの話だった。
「怪我もだけど、あのショックの受け方は相当だったね。あそこまで幽霊に怯えるってこ
とはまだ何か隠してることがありそうだな。ローザってあの時呼び掛けてたけど…。あの
部屋に住んでた女性の名前かなあ」
「まったくとんだ幽霊アパートだ。こいつらの親父も厄介な所に家を買ったもんだな」
あくまで自分の親でもあることには触れたくないようだった。そんなヘフナーにジノは
笑顔を向ける。
「でも、おかげでこうして楽しめてるんだから、ギュンターに感謝しようよ」
やなこった、という表情を返して、ヘフナーは白猫のサバランに目をやった。今はユー
ルの枕元で丸くなっている。
「ほんとによく慣れてるやつだ。誰に対しても警戒しないようだな。ただ、あの時だけは
――」
ヘフナーが思い出したのは、カウフマンがパニックになった直後の、あの廊下に連れて
来られた時の猫の様子だった。
「ゴーに抱かれてしばらくはやたら神経質になっていた。毛を逆立てて。あれはどういう
わけだったんだろう」
ほんとに、どういうわけだったのだろうね。
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