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「な、なんだ!?」
全身が総毛立つ感覚が若林を襲った。走り続けるワゴン車の座席で思わず目を見開く。
デュッセルドルフ方面、と記された青い標識が視界の端を過ぎていくのを見ながら、若林
はかろうじて意識を現実に繋ぎとめた。正体のわからない大きな力の波。そのことがつま
りそれが何であるか、半分は物語っていると言えた。
「こいつらには全然伝わっていないってことは、やっぱり…」
この不本意なドライブ旅行のパートナーとなっている二人の男を反射的に見やってその
反応を確認する。シュナイダーの悪鬼のような追跡もようやく振り切ることができて後は
目的地を目指すだけとばかりに安心している様子だった。若林がとっくに縄などほどいて
しまっていることにさえ気づかずに、無抵抗な人質だとすっかり油断してしまっているの
だろう。
「あいつらに――何かマズイことが起きたのか?」
ずっと連絡が取れないまま、というだけで既に異常事態なのだ。そして彼らにだけ共鳴
する衝撃波がここに届いたということは、その二人との関連を疑わざるを得ない。
まだ余波が残っている。若林は再び目を閉じて相手の波長に合わせるべく意識を集中さ
せた。――何かが、見えてくる。
無意識という空間。そこに踏み出す。
若林の前に静けさが広がった。音のない、そして正体のわからない不安定な力の揺らぎ
だった。
ゆっくりと回る渦。
無意識の世界を何か危うい力が支配している。危険、と若林は直感した。近寄ってはな
らない、と。
『――答えてください…答えて…答えてください…』
声が呼んでいる。揺れて、ぶれて、重なりながら、その声は若林を呼び続けていた。
『若林さん…答えて……ください』
「森崎か!?」
渦の向こうに人の影のようなものがあるのを若林は見た。顔もわからない不確かな影。
が、それが誰なのか若林にはわかった。
「くそ……」
だが若林は近寄れなかった。あまりに強大で危険なその渦を前にただ立ち尽くす。
声は途切れつつもその渦から聞こえ続けていた。
必死に呼べば呼ぶほどそれが影響を及ぼしていく。この空間に、時間に。
おそらくこの向こう側にいる森崎はそうとは知らずにこの歪みを作り上げているのだ。
若林は自分からも声に応えようと呼び掛けるが、やはりそれに対する反応はない。
「いろいろ呼び寄せちまってるな」
渦は何もかもを巻き込み内側へと引きずり込む。はっきりとは見えないが、森崎以外に
もさまざまな人影がいくつも浮かんだり消えたりしているようだった。
「――てことは、あいつもいるかも」
そう、森崎ともっとも共鳴しやすいあの男。若林は相手の周波数に意識を定めて再びテ
レパシーを試してみる。
『にゃー』
呼んだ若島津の代わりに妙な返事があった。大きな白い猫の姿がぼんやりと通り過ぎて
消える。
「何だ? 若島津はどうしたんだ。この猫、いったい…」
『サバラン、どこなの? こっちにいらっしゃい』
少し離れて別の声が重なった。若い女性の声だ。目をこらすと古めかしい服装をした女
性の影が見える。不安そうに、何かを探している姿…。
それがさっと宙に消えると、今度は一度にたくさんの気配が混ざった。どれも見覚えの
ある顔で、若林は唖然とする。
「えっ、マリー!? ――それにこっちはシュナイダーじゃないか。それにしづさんに剛さ
ん、あと…ギュンターもいなかったか?」
頼りなげな薄い影が重なりすれ違うようにめいめいの方向に消えるのを見送ると、今度
は何か空間に重い圧力が加わり始めた。
何か、来る。
「うわっ!?」
『――いてて』
いきなり若林の前に転がり出るように姿を現わしたのは、さっきからずっと呼んでいた
相手――若島津だった。他のイメージたちと違ってはっきりと輪郭がある。頭を抱えて、
顔をしかめ…そしてもちろん口もきく。
『いい加減にしてくれ、まったく…』
「よう、やっと通じたか」
若林が声を掛けると、相手は露骨に不機嫌そうな顔でじろりとこちらを見上げた。
『今度はおまえか。まったくあっちに転がしこっちに放り出して――俺はフィールドのボ
ールじゃないんだからな!』
「何を怒ってるんだ。俺のせいだって言うのか?」
若島津の身に何が起こっていたのかまったく知らない若林であるから、これは本気で驚
いているのだが。
「剛さんのロケ現場だって? そこからここに飛ばされて来たってのか」
『ああ、どちらにしても不愉快な場所だが』
「妙だな」
いきなり呼びつけられてベルギーからケルンの撮影場所に向かったこと、剛さん自身か
らは何の説明も受けていないことなど、朝からの苦難も含めて説明を聞いた若林が首をひ
ねった。
「俺はただ森崎と連絡を取ろうとしてみただけなんだがな。森崎から俺に何か呼びかけて
る気がしたもんだから。でもそれが通じないから今度はお前を呼んでみたら…」
『やっぱりおまえのせいじゃないか』
ふてくされたように手足を投げ出して座り込んでいた若島津は若林を睨み上げた。だが
若林はぶつぶつ言いながらまだ考え込んでいる。
「最初に森崎の夢に引っ張り込まれた時には剛さんの所に出たわけだな。そして次は剛さ
んの所に出向いて森崎の夢に――ここの渦に巻き込まれたと、そういうことか」
『森崎の渦…?』
若島津は不審げに周囲を見渡した。
「ああ、この空間自体が森崎が知らずに作り上げちまったものの可能性がある。あいつの
力のせいで何もかもがごっちゃに呼び寄せられて」
『どこに』
「いや、それが――」
そう答えようとしたその時だった。
二人の前で激しい衝撃が弾けた。耳をつんざくブレーキ音がこの異空間を一瞬のうちに
引き裂く。あまりに強引な、現実への帰還。
「くそぉ…。どっちが上だ!?」
そしてその現実の世界では、ワゴン車が見事にひっくり返っていたのだった。
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