a cup of day 7−2                              






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「ああ〜、駄目だ駄目だ、やっぱり通じない、森崎のやつ!」
 こちらでは若林があせっていた。
 二人に増えた人質とその護送役と化した二人のトロフィー泥棒を乗せた乗用車は商業都市 デュッセルドルフを過ぎてライン河流域に入り、さらに南下しているところである。
 その人質たちは今のこの拘束状態を上回る問題を抱えているらしく、さっきからしきりに 揉め続けていた。
「――マリーは、すると最初からおまえと一緒じゃなかったのか。じゃあどこにいる」
「やっとそこまで理解してくれたか。嬉しいよ」
 若林は疲労をにじませながら一人うんうんとうなづいた。
「だが、今どこなのかは一切知らん。今回俺は時間の余裕がまったくなかったんだ。マリー とも他の誰とも打ち合わせたり待ち合わせたりできなかった。誓って」
「……」
 シュナイダーは無表情のままそんな若林を見つめる。判定を待つ一瞬の緊張感。
「なるほど、つまりおまえは前もってマリーと相談はしなかったがこれからしようと言うん だな」
「違う! 俺は代表チームに合流するために急いでたんだ。信じろ、まったく」
 この二人の監視のために一緒に後部座席にいるニセ配送員の男は、同情的な視線をちらっ と若林に投げた。この不毛な漫才をさっきからずっと聞かされている彼も、ある意味同情す べきだったかもしれない。
『だから森崎! 早く返事をしろってんだ! こんなセコい事件で寄り道してる場合じゃな いんだって』
「――おい、少し静かにしてろ」
 運転席の男の携帯が鳴って、背後に声をかける。男は運転しながら通話を始めた。
 それはどこかからの指示の電話だったようだ。一方的に相手の話を聞きながら自分は最低 限の言葉で短く応じている。同乗している人質たちに内容を悟られないようにということら しい。
「No.3に変更になったそうだ。着いた頃にもう一度連絡が来る」
 通話を終えた後、相棒にも符丁で伝える。が、若林にはそんなものは通用しない。
「ケルンか。もう目の前だな。国境越えはしなくてよくなったのか。ま、ケルンには製造元 もあるわけだからな」
「な……何を!?」
 絶句とはこのことだった。運転している男などは携帯電話を取り落としたくらいだ。
「おまえ、一体…。俺たちのことをどこまで知ってるって言うんだ。最初の時も…」
 確かに、彼らはたまたま通りすがりの車に声を掛けただけで決して関係者を選んだわけで はない。なのにここまで自分たちのことが筒抜けになっているのだ。あまり怪しまれるのも 良し悪しなので若林は一応言い訳をしておく。
「今のは聞こえただけだ。携帯は声がよく響くからな。日本人は耳がいいんだ。知らなかっ たのか」
「……」
 疑いの目で見つめられたが、自分たちも追及されたくない立場だけにそれ以上突っ込むの は控えたようだ。ただ、若林を見る視線にさらに警戒が加わりはしたが。
「ケルンならヘフナーがいるぞ。あいつの家族も」
 こちらはそもそもこの状況を頭から気にしていないシュナイダーだ。
「ああ、そうだったな」
 若林が相槌を打ったその時、車が奇妙な音を立てて突然減速し始めた。
「おい、どうしたってんだ!」
「ちきしょう、燃料が…」
 車はもうケルン市街に差し掛かっていた。エンジンが徐々に力を失っていく。ハンドルを 切って横道に逸れたそこがちょうど緩い下り坂になっていて、そのままゆるゆると惰性で進 む。
「事故った時に、燃料まわりのどこかに亀裂でも入ったんだな。少しずつこぼれてったに違 いない」
「くそっ、あと少しなのに」
 燃料計の表示は限りなくゼロに近いところで揺れていた。
「もうここでいい! 降りよう」
 住宅の並ぶ狭い通りで路肩に乗り上げ、車はついに止まった。助手席の下に置いてあった ケースを取り上げて、男たちは飛び出していく。
「あばよ。車は返すぜ。もうおまえらに用はない…」
 シュナイダーの隣にいた男はそう捨て台詞を吐いてドアを開いた。が、背後から伸びた 手がその足を引き止め、歩道につんのめりそうになる。
「こら、何をする、離せ!」
「俺の車を壊しておいてそのまま行くとは許せんな」
 シュナイダーが冷たくそれを見下ろしていた。
「壊したのはおまえだろう、あの無茶な運転で!」
「なんだと…?」
「シュナイダー、手は出しても足は出すなよ。一般人だからな」
 横から若林が口をはさむが、既に遅かったようだ。男は今度は尻を蹴り出されて無残に も歩道に転がり出る。
「あっ、おい、大丈夫か!」
 先に出た運転手のほうがあわてて助けに戻ろうとしたそこに携帯が鳴った。さっき言っ ていた「次の指示」だ。
「すぐ手を貸してくれ! 人質が抵抗して…」
 向こうが何か言う前に男は必死に叫んだ。が、背後にシュナイダーが迫るのを見ると急 いで電話を切ってケースを抱え直し、やみくもに走り始める。
「このまま首謀者のところまで案内してってくれるなら楽なんだが」
 若林は見捨てられたもう一人を――脳しんとうを起こしたようだが――車に押し込めて おいて自分も後を追った。
「それとも噂の幽霊アパートかな。向かってるのは」
 若林は走りながらテレパシーを試みる。おそらくそこにいるはずのヘフナーとジノに向 けて。
『ワカバヤシか。ケルンに着いたんだな?』
『そうだ、たぶん近くまで来てる。今、例のハンザカップを持ったドロボウの仲間を追っ てるんだ』
 彼らにその位置を確認すると間違いなく目的地はアパートだった。次のブロックを曲が ると、教えられた建物が近づく。逃げる男が正面のドアに逃げ込むのが見えた。シュナイ ダーは目の前で閉まったそのドアを睨むと、ためらうことなく渾身のキックを決めた。
「あ〜あ、俺は知らんぞ」
 厚いドアが大きく歪んで錠ごと壊れてしまったのを横目で見ながら若林もその後につい てアパートに駆け込んで行った。
「わっ、なんだなんだ!?」
 日本語で悲鳴が上がる。何も知らずに撮影を続けていた撮影スタッフだ。
「お静かに〜!」
 吹き抜けの上に顔が覗いた。剛さんだ。若林とぱちっと目が合う。
「なんと思いがけない飛び入りだ。でも、出演者はもう足りてるんだよな」
 驚きながらもおちゃらけだけは忘れないプロ根性の持ち主に向かって、若林はホールの 下から大きな声で呼び掛ける。今はこちらに協力が必要なのだ。
「警察を呼んでください! 俺たちのカップを盗んだドロボウなんです!」
 犯人とそれを追うシュナイダーはその間にも廊下を奥に駆けて行って姿が見えなくなっ た。若林ははっとそちらに向き直る。深追いは危険だ。
「シュナイダー、気をつけろ! そいつは銃を持ってるぞ!」
『え、ワカバヤシ、今のはおまえの声か? 直接聞こえたぞ』
 間髪を入れず、別の応答があった。ヘフナーである。
『おう、今着いた。犯人は1階を逃げてる』
『僕たちもすぐ行くから』
 ジノの答えも確認してから若林はふと廊下に目をやり、そこに落ちていた携帯電話を拾 い上げる。にやりと笑いが顔に浮かんだ。
 ボタンを押して通話履歴を表示する。番号は固定電話、しかも同じケルンの市内局番だ った。
「ワカバヤシ!」
「よう、こいつを頼む」
 3階から一気に駆け下りて来たジノに若林はその携帯を手渡した。
「こいつらの一味がいる場所だ。警察に言えば調べてくれるだろう」
「わかった」
 言っているところにヘフナーも現われた。中年の男を嫌そうな顔で支えている。警察が 来るならこいつも引き渡そう。このアパートの大家だ。今回いちばん痛い目に遭ったヤツ でもある」
「サバランは?」
 ジノが振り返った。
「ゴーに預けてきた。この騒ぎの中でまだ撮影をやめないでいるようだからな」
 ヘフナーはそう答えてから今度は若林に意味ありげな視線を向けた。
「驚くなよ。ここには俺たちだけじゃない、もう一人お仲間が来てるんだ」
「なに?」
 問い返そうとした若林の背後で、鈍い発砲音が響いた。
「しまった、シュナイダーが…」
 説明は後回し。3人はそれぞれに走り出した。





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