「あばよ。車は返すぜ。もうおまえらに用はない…」
シュナイダーの隣にいた男はそう捨て台詞を吐いてドアを開いた。が、背後から伸びた
手がその足を引き止め、歩道につんのめりそうになる。
「こら、何をする、離せ!」
「俺の車を壊しておいてそのまま行くとは許せんな」
シュナイダーが冷たくそれを見下ろしていた。
「壊したのはおまえだろう、あの無茶な運転で!」
「なんだと…?」
「シュナイダー、手は出しても足は出すなよ。一般人だからな」
横から若林が口をはさむが、既に遅かったようだ。男は今度は尻を蹴り出されて無残に
も歩道に転がり出る。
「あっ、おい、大丈夫か!」
先に出た運転手のほうがあわてて助けに戻ろうとしたそこに携帯が鳴った。さっき言っ
ていた「次の指示」だ。
「すぐ手を貸してくれ! 人質が抵抗して…」
向こうが何か言う前に男は必死に叫んだ。が、背後にシュナイダーが迫るのを見ると急
いで電話を切ってケースを抱え直し、やみくもに走り始める。
「このまま首謀者のところまで案内してってくれるなら楽なんだが」
若林は見捨てられたもう一人を――脳しんとうを起こしたようだが――車に押し込めて
おいて自分も後を追った。
「それとも噂の幽霊アパートかな。向かってるのは」
若林は走りながらテレパシーを試みる。おそらくそこにいるはずのヘフナーとジノに向
けて。
『ワカバヤシか。ケルンに着いたんだな?』
『そうだ、たぶん近くまで来てる。今、例のハンザカップを持ったドロボウの仲間を追っ
てるんだ』
彼らにその位置を確認すると間違いなく目的地はアパートだった。次のブロックを曲が
ると、教えられた建物が近づく。逃げる男が正面のドアに逃げ込むのが見えた。シュナイ
ダーは目の前で閉まったそのドアを睨むと、ためらうことなく渾身のキックを決めた。
「あ〜あ、俺は知らんぞ」
厚いドアが大きく歪んで錠ごと壊れてしまったのを横目で見ながら若林もその後につい
てアパートに駆け込んで行った。
「わっ、なんだなんだ!?」
日本語で悲鳴が上がる。何も知らずに撮影を続けていた撮影スタッフだ。
「お静かに〜!」
吹き抜けの上に顔が覗いた。剛さんだ。若林とぱちっと目が合う。
「なんと思いがけない飛び入りだ。でも、出演者はもう足りてるんだよな」
驚きながらもおちゃらけだけは忘れないプロ根性の持ち主に向かって、若林はホールの
下から大きな声で呼び掛ける。今はこちらに協力が必要なのだ。
「警察を呼んでください! 俺たちのカップを盗んだドロボウなんです!」
犯人とそれを追うシュナイダーはその間にも廊下を奥に駆けて行って姿が見えなくなっ
た。若林ははっとそちらに向き直る。深追いは危険だ。
「シュナイダー、気をつけろ! そいつは銃を持ってるぞ!」
『え、ワカバヤシ、今のはおまえの声か? 直接聞こえたぞ』
間髪を入れず、別の応答があった。ヘフナーである。
『おう、今着いた。犯人は1階を逃げてる』
『僕たちもすぐ行くから』
ジノの答えも確認してから若林はふと廊下に目をやり、そこに落ちていた携帯電話を拾
い上げる。にやりと笑いが顔に浮かんだ。
ボタンを押して通話履歴を表示する。番号は固定電話、しかも同じケルンの市内局番だ
った。
「ワカバヤシ!」
「よう、こいつを頼む」
3階から一気に駆け下りて来たジノに若林はその携帯を手渡した。
「こいつらの一味がいる場所だ。警察に言えば調べてくれるだろう」
「わかった」
言っているところにヘフナーも現われた。中年の男を嫌そうな顔で支えている。警察が
来るならこいつも引き渡そう。このアパートの大家だ。今回いちばん痛い目に遭ったヤツ
でもある」
「サバランは?」
ジノが振り返った。
「ゴーに預けてきた。この騒ぎの中でまだ撮影をやめないでいるようだからな」
ヘフナーはそう答えてから今度は若林に意味ありげな視線を向けた。
「驚くなよ。ここには俺たちだけじゃない、もう一人お仲間が来てるんだ」
「なに?」
問い返そうとした若林の背後で、鈍い発砲音が響いた。
「しまった、シュナイダーが…」
説明は後回し。3人はそれぞれに走り出した。
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