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「なーんか、賑やかになっちゃいましたねえ、剛さん。救急車に警察にって」
「そうだね、これじゃ幽霊屋敷って雰囲気じゃないなあ」
当惑気味のスタッフに対して剛さんはにこにこと応じる。サバランを抱いて本当に嬉し
そうだ。
「いえ、幽霊らしさがないほうが僕はずっと有り難いですけどね」
こっちは怯えて一度ひっくり返った前科の持ち主。このアパートの荒れ果て方はたとえ
何も出なくても迫力がある、というのが彼の主張であった。
「いや、死者の恨みよりも、現世の人間の欲のほうが怖いんだよね」
などと謎の発言をしつつ剛さんは引っ込む。あとはスタッフに任せて待機する気のよう
だ。
「さ、サバラン、そんなに嫌がらないでお兄さんと遊ぼうね」
猫はなんとか腕の中から逃れようともがいていたが、こう見えても有段者の剛さんはし
っかりと抱いて離さない。ついには諦めたのか、ふてくされたように動かなくなった。
「よしよし、いい子だ。撮影が全部済んだら一緒に飯を食いに行こうな」
実は大変な猫好きの剛さんだった。
『あーもう好きにしてくれ』
そのサバランの中にいる若島津は、やむなく目を閉じると自分の思考に集中することに
した。
『森崎が早く来てくれるといいんだが。もっともあいつもどうすればいいのか全然わかっ
てないみたいだったな』
森崎の能力が共鳴なのだとしても、それは森崎自身にはコントロールできないものだ。
若島津の予知がそうであるように。
――なぜ俺はここまで森崎の夢に引っ張られる? 俺だけがこういう目に遭うってこと
は、原因は俺のほうにあるのか?
若島津はだんだん滅入ってきた。
想いはいつも曖昧で漠然としたものだ。無意識にSOSを出す、と若林は表現した。自
分ではそうと気づかずに助けを求めていることもあるのだと。
――俺は悲しくもつらくもないぞ。悩みだってない。もしあるとしたら、それは「迷い」
だ。
以前ならもっと悩んだことはあったし、それは多く迷いを伴っていた。自分の進むべき
道についてだ。交通事故に遭った時、父親と全国優勝を賭けた時。
悩みが外からの要素で生まれるものだとしたら、迷いはむしろ自分の中にある。もしか
すると最初からそこにある。
「うちでも猫を飼いたかったんだよね、子供の頃」
剛さんの声が意識の外からゆっくりと割り込んできた。ぐるぐると堂々巡りをしていた
思考からはっと現実に戻る。
「でも親父が動物嫌いでどうしても駄目だったんだよ。だから弟や妹で我慢することにし
たんだけどね」
なんだと!
若島津は今にして衝撃の事実を知った。
「うちはとにかく親父がすべてを決めるから、いいことも嫌なことも全部親父から与えら
れるんだ。窮屈で窮屈で、結局まあ逃げちまったんだけど」
剛さんのため息が聞こえて、若島津は思わず目を開いた。
「自分で選んだ道だからこそ自分が責任を持つんだって、そうやって逃げ出して初めてわ
かってさ。まあ親父もあれで自分のやり方には相応の責任を引き受けてんだなって、今に
なって思うわけ」
猫が目を開いたのに気づいて、剛さんはまた笑顔を向けた。
「結局うちは妹を残して全員逃げたってことになるんだ。でも妹は、押しつけられたんじ
ゃなくて自分でそれを選んだんだから、って言ってこれがまたタフなんだ、ほんと」
手が伸びて、頭から背まですーっとなでられる。
「それに比べると健は可哀相なことしたかなあ。俺のせいで親父の期待があいつ一人にか
かっちまって。ほんとに長い間背負わされ続けて、その影響から今でも逃れられずにいる
ように見えるんだ。親父の手を離れた後のほうがその影響が大きくなってるみたいな」
若島津はぎくりとした。父に命じられた道ではなく自分で行きたい道を行くと決めた
時、そこに気負いがありすぎたか、と。気負いは迷いの裏返しではなかったかと。
「剛さーん」
廊下から呼ぶ声がした。
「ラストのコメントシーン、確認お願いします」
「おーし」
猫を床にそっと下ろしておいて剛さんは上着を着た。短い顔出しナレーションのシーン
でエンディングをしめることになっている。
――誰だ? 誰かが呼んでる…。
若島津の意識がふわりと流れた。またあの厄介な空間に入り込んでしまう。これで元の
自分に戻れるだろうか。
何もない場所で周囲を見渡す。
でも、俺は、どこだ?
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