a cup of day 6−3                              






◆ 





「もう撮影に入った頃かな。行ってみる? 子供たちも昼寝してるし」 
 ギュンター家の台所で、ジノはコーヒーをおいしそうに飲んでいるところだった。猫と 存分に遊んで満足した弟たちはおとなしく昼寝中だ。 
「あの幽霊の話はでっち上げだってわかったのに、やっぱり撮影はするんだな」 
 こちらは窓のところに立ってその隣のアパートを見ているヘフナーだった。 
「悔しいから思い切り本当っぽく撮ってやるってゴーは言ってたよ。フィクションならそ れはそれで使い道はあるからって。めげない人だよね」 
「――妙だ」
 そんなジノの言葉を聞いていたのかいなかったのか、ヘフナーが外を向いたまま唐突に つぶやいたのでジノも振り返る。 
「どうかしたのかい?」 
「猫の反応がまた変化してる」
 離れたこちらからモニターしていたのか、ヘフナーはきっぱりと断言した。
「ここで遊んでいた時とはまるで違う。――朝の、あの時と同じだ。どういうことだ?」
「ゴーに抱かれて逃げようとしていた時のことだね」
 ジノはさっと席を立った。もちろん、現場に急行だ。
 ギュンター家の裏庭から生垣を越えてアパートの裏口へ。二人が敷地に入ったところで 気配に気づく。陰に身を隠して中を窺うと、裏口側の廊下に人影があった。
「カウフマンじゃないか」
「病院を抜け出して来たんだ。…あの手に持ってるのは?」
 ひそひそと話している間にカウフマンは足を引きずるようにして吹き抜けに向かって行 った。下げているバスケットが怪しすぎる。もちろん二人もすぐに後を追った。
「2階は…、ああ、今撮影中だね。するとあいつは」
「この上だな。猫を捕まえたらしいぞ」
 2階の廊下で撮影をしている一行を階段側から確認しながらそっと3階に向かう。もち ろん上の男には気づかれないように。
 物音が例の306号室から聞こえてきた。
「――猫は9回生き返るというからな。何度でも殺してやるさ。だがその前におまえには やってもらうことがある」
 低い声でカウフマンは独り言をつぶやき続けていた。恐怖を紛らわすかのように。
「おまえのご主人はトロフィーのありかを知っていたはずなんだ。その秘密を墓に持って 行っちまったからな。おまえが代わりに教えてくれ。人間がわかる範囲はもう調べ尽くし た。あとはおまえの抜け道くらいしか考えられない」
「なかなかいい目の付け所だな」
 背後からの声にカウフマンは飛び上がりかけた。
「幽霊を恐れるだけじゃなく利用までしようなんて、あなたもやりますね、カウフマンさ ん」
「――う、な、なんでここに!」
 床の上のバスケットに覆いかぶさるようにしてカウフマンは呻いた。
「サバランを殺したとおっしゃいましたね。ここに住んでいた女性を立ち退かせるため に、その大切な猫をあなたは殺してしまったってことですか」
「あ、ああ、そうだとも!」
 不意討ちに開き直ったのか、カウフマンは上擦った声を張り上げた。
「私が流した幽霊の噂で他のやつらが皆いなくなった後も、あの女――ローザだけは動か なかった。思い出の場所を出たくない、などと言って。だから猫を殺してやったんだ。年 寄りには効果覿面さ。がっくりして田舎に越して、その後病気で死んだとか聞いたよ」
「ひどい話だな」
 不快そうにヘフナーが眉を寄せた。
「手段を選ばんと言っていたのはそれも含めてだったんだな」
「それなら幽霊に怯えるのは無理もないですね。今度こそほんとの幽霊をご自分で作って しまったんですから」
 にこにことジノは怖い指摘をする。
「ほ、本当の幽霊…」
 カウフマンの声が心なしか震える。と、その背後、部屋のマントルピースの上でカタン と音がした。壁にたくさん掛かる小さい写真の額の一つが落ちた音だった。
「うっ……」
 恐る恐る振り向いたカウフマンの顔色がさっと変わる。マントルピースの鏡に、何か白 い影のようなものが反射したのだ。声にならない悲鳴とともにバスケットを放り出し、も のすごい勢いで部屋を飛び出して行く。
 その直後、階段方面でまた大きな音が響いた。そう、午前中と全く同じように。
「あのな」
 部屋に突っ立ったまま、ヘフナーはじろりとジノを見た。
「だからからかうのはいい加減にしろと言うんだ。あいつ、また病院送りだぞ」
「自業自得だよ。女性や動物にあんなひどい真似をするような男は」
 ジノはけろりとそう答えてマントルピースに歩み寄った。さっき力を使って落とした写 真の額を手に取る。それは若い女性を写した古い写真だった。
「当てずっぽうでこれを選んでみたんだけど、これがローザさんだとしたらなかなかの美 人だったんだね、うん」
 額を元通り壁に戻しながらジノは別の写真に目を止めた。
「これは…?」
 さらに古びた写真は、男性の全身像だった。ジノはまじまじとそれを見つめる。
「これ、日本人じゃないかなあ、この衣装って。ローザさんってずっと独身だったんだよ ね。まさか、昔別れた日本人の恋人がいた、なんて話には…」
 カウフマンが勝手に流した噂には実はその元となった事実もあったのかもしれない。幽 霊うんぬんは抜きにしても。
「まあ、今となっては確かめようがないがな――おや?」
 こちらはバスケットから猫を救出しているところだった。ぐったりしている白猫を注意 深く引っぱり出したヘフナーだが、その手が止まる。
「――古いし小さいからよく見えないけど、ワカシマヅにちょっと面差しが似ているよ、 この人」
「いや、ワカシマヅだ」
 会話が妙なところで絡まった。二人同時に黙る。
 先に駆け寄ったのはジノだった。ヘフナーの手に抱えられた猫を目を丸くして見つめ る。
「これが、何で…!?」
「俺にわかるか。でも、中身が入れ替わってる。こいつは間違いなくワカシマヅだ」
 部屋の洗面台から汲んできた水を飲ませると、猫はようやく動けるようになったよう だ。
「おい、そうだろ? 訳を話せ、ワカシマヅ」
 話せるものなら話している。そう言いたげな不機嫌な視線を、サバランはヘフナーに投 げたのだった。





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