三章−1




第三章 病院






「若島津、寝たのか?」
 部屋の灯はベッドサイドテーブルの上のランプだけだった。それも最小に絞ってあ る。
「…寝た」
 カーテンの引いていない大きな窓の外には黒々とした夜空が見えるばかりだった。か なり高い階だということがそれだけで判る。
「おまえな…」
 森崎は上半身を起こしかけたところで、ついまた床と仲良しになりかけた。
「こんな時に安眠できるってマジで言う気か?」
「他にすることもないし、後は寝るのが一番妥当な線だと思うが」
 相も変らぬ抑揚のない声で答える若島津はソファーに横たわって毛布にくるまってい る。一方森崎のほうはクッションを枕に床の上だった。随分な待遇の差だったが、彼ら をここに連れて来た人間の指示となれば逆らうわけにもいかない。もちろん森崎が眠れ ないでいるのは床の固さのせいだけではなかったのだが。
「だって――俺たち、監禁されてんだぜ! 銃持って追い掛け回すような連中に!」
「監禁って言うには優雅すぎる気もするけどな。なにしろ高級ホテルのスイートルーム だ」
「…どうせなら俺、ベッドに寝たい…」
 思わずうつむく。
「ベッドって、あれダブルベッドだぞ。大胆だな、おまえも。いいのか?」
「なにがっっ!!」
 こんな時に過激な冗談でひとの寿命を目減りさせないでほしい。もっとも、まったく 無表情な相手の顔から冗談かどうか読み取るのは難しく、冗談というのは森崎の希望に よるものだったのだが。
「しかし、部屋の主は姿を見せないし、どうせ年越すならもう少し景気よくやってもい いかな」
 そう、今夜は大晦日なのだ。若島津はようやくここでもぞもぞと起き上がった。ソフ ァーの上から見下ろした森崎はうつむいてつぶやいている。
「――こんなとこで年越すなんて思ってもみなかった、俺。そばも食わずに正月迎える なんて…」
「なんだ、そばは懲りたんじゃなかったのか」
「作るほうはね。でもそばを食わない大晦日なんて生まれて以来初めてだし…」
「ルームサービスで出前してもらったりして」
 若島津が珍しく低く笑い声を漏らした。といっても、部屋の電話が使えなくしてある のは試してみるまでもなく想像がついた。
「…ヘフナーはもう若林さん見つけたかな」
「そう願いたいな」
 時計は既に11時をまわっていた。若島津はぶっきらぼうに森崎の言葉を受け流しな がらソファーから降り、部屋を横切って向こう側のバーカウンターに歩み寄った。
「何してんだ、若島津!」
「飲もうぜ、暇なら」
「飲むって…!」
 毛布をはねのけて森崎が跳び上がる。若島津はキャビネットの中をごそごそかき回し て、シーバスリーガルのボトルとグラスを2つカウンターの上に乗せた。
「…えーと、アイスペールはどこかな」
「わかしまづっ!!」
「何だ、ロックは嫌いか? じゃ何かで割るか?」
 森崎は大きく息を吸い、上がりかけた血圧を平常値に戻そうと努力した。いい加減に 慣れなくてはいけない、この人外魔境男に。
 彼は彼なりにこの4年間最大級の無常識人間たちと共に過ごしてその付き合い方、い や、見てみぬふりの処世術は身につけてきたつもりだった。が、日本は広い――全国に は化け物たちがわんさといて、それがまた何の因果か彼の同学年に異様に集中している のだ。毎年夏の全国大会、それに世代別日本代表としての合宿・遠征はさながら化け物 の顔見世興行と言っていいくらいだった。そしてその中でも決勝戦で二年連続で顔を合 わせたこの東邦ゴールの門番は、ふだん親しく付き合う意思も機会もない分、どう扱っ てよいやら森崎には手に余る難物だったのだ。
「――俺はコーラか何かでいい」
「そうか?」
 命を狙われた上、どこの誰とも知れぬ連中に監禁されてこの先どうなるかもわからな いという現在の状態を完璧に踏みつけにしている。そんな若島津の提案だが森崎は結局 付き合うことに決めた。来るところまで来れば開き直りぶりが見事な点ではこの二人意 外に共通しているようだ。
 若島津は慣れた手つきで水割りを作り、森崎にはコーラを出してきてグラスに注ぐ。 森崎はそれを受け取ってスツールの一つに腰を下ろした。屈み込んでまたキャビネット の中をあさっている若島津の髪が、動きにつれて肩からさらさらとすべって流れる。フ ィールドでの印象しか頭になかった森崎はそんな姿を少し離れた位置から見下ろしなが ら、どこかイメージが狂わされるのを感じていた。
 若島津はつまみ用のナッツの袋を手にカウンターのこちら側に戻って来た。やはりス ツールに並んで腰掛け、グラスを口に運ぶ。森崎はコーラには手をつけず、部屋をゆっ くりと見渡した。
「それにしてもこの部屋、すごい…」
「おまえはどう思う?」
 若島津がグラスを置く。(もう半分に減っていた…)
「ただの犯罪者の線じゃないみたいだな。こういう高そうなホテルの、しかもスイート を押さえてるとなれば、むしろかなりの地位があるような人種?」
 森崎が応じると若島津もこちらを見た。
「ああ、同感だな。ヘフナーが言ってた経済界の関係か、それとももっと別の…」
「英語じゃなかったし、ドイツ人かな」
「さあな。ともかく今夜は留守のようだ。ご本人が帰って来るのなら俺たちを押し込め たりはしないだろうしな。顔を見られるのはマズイはずだ」
「そいつの正体を知る手掛かりとか、ここにないかな」
「さーてね。どちらにせよ、その点は用心してるだろうさ」
 言いながら若島津は2杯目を注ぐ。
「おい〜、若島津ったら」
 非難めいた目を向ける森崎である。といっても、部屋の主への遠慮でも未成年の飲酒 がうんぬんというのでもなくて、ただ単に若島津を気遣ってのことだったのだが。
「――俺は夢を見たんだ」
 そんな森崎には構わず、若島津はカウンターに映るグラスの影を指でなぞりながらい きなりそう口を開いた。
「1回だけじゃない。同じ夢を何度も繰り返して、だ。若林が…倒れている夢。血まみ れになってな」
 ガタン!と音をたてて、今の今まで森崎が座っていたスツールが床に倒れる。
「若島津!!」
 立ち上がって隣の男の肩を揺すぶる森崎の顔からは血の気が引いていた。
「それって――どういう意味だ!!」
「若林が何か知らせたがっている。それを強く感じて…そこで目が覚めるんだ、毎回」  若島津は表情を動かさずカウンターに目を落としたまま森崎を見ようともしない。
「…おまえ、予知ができるのか?」
 森崎の声からすーっと力が抜けて最後はかすれる。
「でもって、若林さんの身に何かが起きるって、わかってたのか…」
「予知と言えるのかはわからんが、自分じゃコントロールできないまま時々夢や頭に浮 かぶイメージがあって――それが実際に起こっちまうんだ」
 森崎は無言である。若島津はやっと顔を上げ、そんな森崎の目をじっと見つめた。
「でも今回の夢はあまりに強烈だった。何度も集中的に見るなんてな。俺だけのせいじ ゃなく、若林自身が俺に向けて何かの力を使ったに違いないんだ。あいつの意識が、あ いつの危機感が俺の夢に影響を与えたとしか…」
「でも…!」
 若島津の言葉をさえぎって森崎が声を張り上げた。
「でもその時はともかく、今は若林さんは無事ななずだ! さっき、俺を救ってくれよ うとしたし、ヘフナーだって波長を感じるって言ったし――」
 若島津は森崎の言葉が途切れるのを待ってその肩をぽんぽんと叩いた。
「そうだな。若林はちゃーんと生きてるさ。あのしぶとい奴が簡単にくたばるもんか。 そのことは俺たちが一番よく知ってるじゃないか」
 少々自嘲気味の若島津の言葉に森崎もやっと笑顔を取り戻した。落ち込みからの切り 替えの早さは南葛のチームカラーらしい。
「さ、座れ。どんどん飲もうぜ。ほら、おまえもウィスキーいけよ」
「い、いや、俺はミネラルウォーターで…」
 一年があとわずかで終わっていこうとしている。豪華な内装のホテルの一室で、人質 の少年2人が年越しを盛り上げるべく立場を無視した騒ぎを繰り広げていた。






 医師の指示で集中治療室に残った看護婦はとっても居心地の悪い思いをしていた。
 15分ごとに患者のパルス、呼吸、脳波、血圧など機器の数字をチェックして記録し ていくのだが、その作業自体はともかく待ち時間が問題だった。目のやり場に困るの だ。
 暗めの室内で、患者のベッドの真上にだけやや絞った照明がつけられている。そのベ ッドの脇にとても不気味な付き添いが張りついているのだ。身元不明のまま運び込まれ たこの患者の友人と名乗る大柄な外国人が枕元に腰掛けて、さっきからしきりにぶつぶ つと小声でつぶやき続けていた。見れば患者の手を自分の両手にしっかり包むようにし て握りしめているではないか。耐え切れずに彼女は11時50分の記録を済ませた後と うとう席を外してしまった。次の計測までにまた戻ってくればいいのだ。いや、それよ り誰かに代わってもらおう。彼女はいそいそと集中治療室をあとにした。
「――ワカバヤシ、ワカバヤシ。おい、聞こえるか!」
 先ほどから呼びかけ続けている相手は、しかしベッドの上に横たわったまま何の変化 もない。ヘフナーはさしてあせるふうでもなく、それでも根気良く同じ調子で呼びかけ を続けている。
 ヘフナーにとってはむしろ安堵感のほうが強かった。たとえ意識不明であっても若林 源三はこうして目の前に確かに存在しているのであり、いくつも接続された医療機器が 示す数字よりも何よりも、今握りしめている手からしっかりと伝わってくる強い生命力 の流れが回復を信じさせてくれたからだ。
「おい、俺は待ちくたびれてんだぞ。5日も前からおまえを捜しまくってたんだから な。いい加減に何とか言ったらどうなんだ!」
 ヘフナーは心の中でそう言っておいて、若林の顔からふいと視線を上げた。窓の外、 東京の大晦日の夜は穏やかだった。彼の故郷もまた新年を待ちながら深い雪に閉ざされ ていることだろう。
 ヘフナーは立ち上がってその窓に歩み寄った。そうしてからベッドを振り返る。
「そうだ、ワカバヤシ、おまえの好きなモーゼルのフォルスター・ウンゲホイヤーを買 っておいたぞ。去年もその前の年も一緒に飲んで新年を迎えたろ。ここにはあのバカ騒 ぎする仲間はいないがワインだけでもと思ってな。ほら、早く起きろ。もうすぐ新年の 鐘だぜ。乾杯しよう、ワカバヤシ」
 ドイツでは31日の夜は賑やかにパーティを開いて0時の鐘を合図に酒のシャワー、 キスの嵐、歌声で大騒ぎとなる。毎年この日をハンブルクで過ごすヘフナーの所属チー ムは在ハンブルクの各チームと合同でこの大晦日のどんちゃん騒ぎに参加するのだ。当 然この2年は若林もそれに加わっていた。
「今年はシュナイダーもいないしおまえもいない。で、俺もいないとなると――さぞか し酒が余っちまうだろうさ」
 ヘフナーの苦笑は、しかしその瞬間驚きの表情の中に消えた。
「ワカバヤシ!!」
――ヘフナー、ウンゲホイヤーはどこだ。俺にも飲ませろ。
 ベッドの上で若林がうっすらと目を開いていた。声はまだ出せないようだったがその 言葉はヘフナーの頭の中にはっきりと響いて来る。
「ワカバヤシ…」
 ヘフナーは大きな深呼吸を一つするとゆっくり椅子に腰を下ろし、静かな視線を若林 に落とした。
「残念ながらもう残っていない。日本に来る途中にみんな飲んじまったのさ」





「うわ、神さま…!」
 心の中で叫びながら森崎は手早く若島津のシャツのボタンに手をかけた。彼自身が脱 ぎ捨てたトレーナーは足元でくしゃくしゃになっている。正体もなくぐったりと体を預 けてくる若島津に手を焼きながらなんとかシャツを脱がせてしまうと、森崎はその体を 半分引きずるようにソファーに横たえた。
 体がほてり、額には汗さえ浮かぶ。森崎は肩で息をしつつ、上半身裸でソファーに身 を投げ出している若島津を見下ろした。
「若島津…!」
 その長い髪が半分濡れて乱れ、顔一面を覆っているのをそっと手を伸ばして払ってや る。隠れていた目が現われ、閉じたままふっと眉を寄せる。
「…う、うーん」
 引き結んでいた唇がわずかに開いてかすかな声がもれた。落とした照明の下で上気し た肌が淡く浮かび上がり、荒い呼吸に合わせて上下する厚い胸をうつぶせにソファーに 沈めたまま苦しげに身じろぎする。森崎は差し伸べようとした手を宙に浮かせたままし ばらく途方に暮れていた。
「え、えーと――」
「しかし、いくらエアコンがきいているとは言え、真冬の深夜、裸のままで放っておく わけにもいかない。自分もやはり裸だということも忘れて、森崎は若島津の体の下敷き になっている毛布を引っぱり出そうとソファーの上に身を乗り出した。
 あわてている上に予想外の若島津の色気に混乱してしまった森崎は周囲への注意がつ いおろそかになっていたらしい。突然部屋に響いた声に本気で飛び上がってしまった。 『な、なんだーっ! おまえら!!』
 驚いたのはしかしこちらも同じだったらしい。その叫び声の主は部屋の入り口からこ のリビングスペースへと入る手前の位置で凍り付いている。その道のプロとはいえ、彼 も予想外の光景を目にして度を失ったのだろう。なにしろ監禁していたはずの人質がこ んなところで裸で絡み合っていたのだ。…と、彼には見えたようだ…。
 一体どういう神経をしているんだ、日本人ってやつは――と、この二人だけで日本人 全体を判断されても困るのだが。これもカルチャーショックのうちだったのか、はるば るドイツから派遣されてきたこの殺し屋はただただ平静さを失っていた。
 しばらく立ちすくんでいたがくるりと向きを変えて逃げ出すように部屋を出て行って しまった男を、森崎は唖然としたまま見送った。
「――何て言ってたんだろう」
 言葉も通じていなかったが、それ以前に男の受けたショックの意味も森崎にはまった く通じていなかった。邪念というものがないのだからしかたがない。彼の頭には、若島 津に風邪を引かせないようにしようということしかなかったのだから。
 なぜ二人がこんな格好をしていたのか。
 ウィスキーをしこたま飲んでいい調子になっていた若島津がそろそろソファーに戻ろ うとして足元もおぼつかないままテーブルに引っかかり、その上にあった大きな花瓶を 巻き添えにしたというのが真相だった。あわててそれを止めようとした森崎と二人して 花瓶の水を全身に浴びてしまったのだ。
「勘違いしたんだろ、きっと――」
 突然返事があったので見下ろすと、若島津がけだるそうに目を開いたところだった。 「何を?」
「決まってるさ、おまえが俺を押し倒してるとでも思ったんだ、ヤツは」
「え、えーっ、じょーだんっ!!」
「冗談って言うなら早いとこそこ降りてくれ」
 言われて初めて、さっきから若島津の上でのしかかっていた体勢に気づいて森崎はあ たふたと飛び退く。これだから大物になれないのか。
「わわ、ごめんっ!」
 なんといっても二人とも上は裸なのだ。今になってさっきの外国人の絶句の意味を悟 った森崎は真っ赤になり、ソファーの脇で手足をばたつかせた。
「おまえよくよく水難の相があるんだな」
 そんな森崎を横目で見ながら若島津がぼそりと言う。確かに、池に落ちてGパンとス ニーカーをびしょびしょにしてしまったのに続いて今度はトレーナーまでぐっしょり濡 らしてしまったことになる。
「そうだ、ここ拭いておかなくちゃ」
 ふかふかしたラグがこぼれた水を吸って色濃いしみを作っていた。森崎は床に散らば った花を拾い集めてテーブルに乗せ、空になった花瓶を抱えて寝室の奥のバスルームに 走って行った。
「まめなヤツ…」
 つぶやきながらごろんと仰向けに天井をにらんでいた若島津は、急に体を起こすとそ の濡れた床を凝視した。やがて薄い笑みが口元に浮かぶ。そこへ森崎がホテルのマーク 入りのタオルを手に書け戻ってきた。
「森崎、いい手を思いついたぞ」
「…え、何だって?」
 床にかがみ込んでタオルに水を吸わせながら森崎は顔も上げずに聞き返した。
「そんなのいいから耳を貸せ」
「うん…?」
 いぶかりながら近寄ってきた森崎の耳に若島津は何事かささやく。
「えーっ、何だよ、それ! いいのか、そんなことして」
「フン、時限装置ってとこだな」
 一人ほくそえむ若島津を残して森崎はまたバスルームに姿を消し、しばらくして水を 入れ直した花瓶を手に戻ってきた。手まめに花を活けなおす。
「服、絞って吊るしとこうか。朝までには半乾きくらいにはなってるんじゃないかな」 「そうだな。明日は――いや、もう今日になってるが、朝イチに脱出予定だからな、少 しでも眠っておこう」
 そう言ってあっさりと毛布を頭からかぶってしまった若島津にちらっと目をやって、 森崎は自分の毛布が広げられている床に目を移した。こんなところで果たしてちゃんと 眠れるだろうか。
 しかし若島津の言うハードな脱出劇が朝には待っているというなら少しでも体力を回 復させておかねばならない。森崎は窓の外の闇を眺めつつ、こういう元旦でスタートを 切る新年の行く末をつくづく思いやった。平和な日々というのは自分には永遠に訪れな いのだろうか。
 ――ハッピーニューイヤー…。
 ヤケクソでつぶやいた言葉が呪文のごとく漂う中、森崎は眠りに落ちていった。
                             ●

――ザマぁねえな、まったく…。
 駆けつけた当直の医師と看護婦が一通りの診察を終えて立ち上がりかけると、若林は その間少し離れて見守っていたヘフナーに視線を投げた。
――まあ、そう言うな。俺たちが代わりにいくらでも動いてやるから、おまえは体が回 復するまでそうしてればいいさ。
 ヘフナーもにやりと笑みを返す。ふとそれを見てしまった看護婦があわてて目をそら した。
「意識が戻ったからといって油断はできませんが、回復は予想以上に早そうです。ま あ、頭部を強打していますから当分安静が必要ですけれどね」
 カルテに目を落としながら医師がヘフナーに告げた。
「はあ…」
 しかし若林との「会話」が可能になった以上、医師の見立てにはあまり興味のないヘ フナーであった。二人が病室を出て行くとヘフナーはまた枕元に近づいた。
「で、ワカシマヅとモリサキだが…」
――ああ、おまえをここに寄越すためにオトリになってくれたらしいな。
「今どこにいるかわかるか? 無事か、二人とも」
 若林の「力」さえ復活すれば自分の鼻よりよほど当てになることをヘフナーはよく承 知している。
――大丈夫だ。と言いたいところだが、俺もまだフル回転はちょっと無理だ。直接話ま ではできんが、とりあえず今は都内のどこかに監禁中…のようだな。
「しかし、モリサキを呼んだだろう、あの時」
 狙撃された森崎を間一髪救ったのは若林の声だったはずだ。ヘフナー自身もその声は 耳に届いたのだ。
――ああ、あれは無茶をした。ゆっくり目覚めかけてたとこでまだ力が十分じゃなかっ たのに、思わず瞬間的にシンクロしちまって。おかげでまた昏睡状態に逆戻りしちまっ たんだ。
「そうだったのか」
――ヘフナー、森崎の様子はどんな具合だった?
 若林が急に真剣な眼差しを向けてきたのでヘフナーは少々戸惑った。
「どんなって、まあ気の弱そうなヤツだがいざとなるとけっこう居直ってたな。まあ、 ワカシマヅも一緒なんだから心配はいらんだろう」
――いや、そういう意味じゃなく…。
「何だ?」
――あ、まあいいさ、何でもなかったのなら。…早く4人で合流したいとこだが。
「何言ってんだ、『重態』のくせして。下手すりゃ植物人間になるとこだったんだぜ。 医者も言ってただろう、当分はベッドでいい子にしてるんだな」
 若林は不満げな目をヘフナーに向けた。一般に実年齢より若く見られる日本人にして は珍しく大人びた容姿の持ち主ではあるが、案外そうした子供っぽい表情も似合わない わけではなかった。同じく年齢通りには見えないヘフナーは、自分のことは棚に上げて 一人苦笑する。
「無駄だぜ、そんな顔したって。俺も一眠りしてくるからな、おまえもしっかり休んで 『力』をためといてくれ」
――心配かけちまったな。
「なあに、見つけさえできたらもうどうってことはない。詳しい話はおまえがもう少し 回復してからゆっくり聞かせてもらう。さ、眠れって」
――すまん。
 こんな殊勝な若林を見るのは初めてだ。ヘフナーはニヤニヤしながら椅子から立ち上 がった。
「元気になったら、この点滴の中身を酒にでもビールにでもすり替えてやるから楽しみ にしてるんだな」
――頼むぜ。おやすみ。
「ああ、お休み」
 ドアに手を掛けたところでヘフナーが振り返った。
「それと、新年おめでとう。…キスは省略だがな」
 低い笑い声がドアの向こうに消える。若林はさっきの看護婦の不審げな表情を思い出 して、ヘフナーがこれ以上彼女に過激な言動をしないよう願いつつ、無意識の中へとゆ っくり身を沈めていった。





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