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「若島津、寝たのか?」
部屋の灯はベッドサイドテーブルの上のランプだけだった。それも最小に絞ってあ
る。
「…寝た」
カーテンの引いていない大きな窓の外には黒々とした夜空が見えるばかりだった。か
なり高い階だということがそれだけで判る。
「おまえな…」
森崎は上半身を起こしかけたところで、ついまた床と仲良しになりかけた。
「こんな時に安眠できるってマジで言う気か?」
「他にすることもないし、後は寝るのが一番妥当な線だと思うが」
相も変らぬ抑揚のない声で答える若島津はソファーに横たわって毛布にくるまってい
る。一方森崎のほうはクッションを枕に床の上だった。随分な待遇の差だったが、彼ら
をここに連れて来た人間の指示となれば逆らうわけにもいかない。もちろん森崎が眠れ
ないでいるのは床の固さのせいだけではなかったのだが。
「だって――俺たち、監禁されてんだぜ! 銃持って追い掛け回すような連中に!」
「監禁って言うには優雅すぎる気もするけどな。なにしろ高級ホテルのスイートルーム
だ」
「…どうせなら俺、ベッドに寝たい…」
思わずうつむく。
「ベッドって、あれダブルベッドだぞ。大胆だな、おまえも。いいのか?」
「なにがっっ!!」
こんな時に過激な冗談でひとの寿命を目減りさせないでほしい。もっとも、まったく
無表情な相手の顔から冗談かどうか読み取るのは難しく、冗談というのは森崎の希望に
よるものだったのだが。
「しかし、部屋の主は姿を見せないし、どうせ年越すならもう少し景気よくやってもい
いかな」
そう、今夜は大晦日なのだ。若島津はようやくここでもぞもぞと起き上がった。ソフ
ァーの上から見下ろした森崎はうつむいてつぶやいている。
「――こんなとこで年越すなんて思ってもみなかった、俺。そばも食わずに正月迎える
なんて…」
「なんだ、そばは懲りたんじゃなかったのか」
「作るほうはね。でもそばを食わない大晦日なんて生まれて以来初めてだし…」
「ルームサービスで出前してもらったりして」
若島津が珍しく低く笑い声を漏らした。といっても、部屋の電話が使えなくしてある
のは試してみるまでもなく想像がついた。
「…ヘフナーはもう若林さん見つけたかな」
「そう願いたいな」
時計は既に11時をまわっていた。若島津はぶっきらぼうに森崎の言葉を受け流しな
がらソファーから降り、部屋を横切って向こう側のバーカウンターに歩み寄った。
「何してんだ、若島津!」
「飲もうぜ、暇なら」
「飲むって…!」
毛布をはねのけて森崎が跳び上がる。若島津はキャビネットの中をごそごそかき回し
て、シーバスリーガルのボトルとグラスを2つカウンターの上に乗せた。
「…えーと、アイスペールはどこかな」
「わかしまづっ!!」
「何だ、ロックは嫌いか? じゃ何かで割るか?」
森崎は大きく息を吸い、上がりかけた血圧を平常値に戻そうと努力した。いい加減に
慣れなくてはいけない、この人外魔境男に。
彼は彼なりにこの4年間最大級の無常識人間たちと共に過ごしてその付き合い方、い
や、見てみぬふりの処世術は身につけてきたつもりだった。が、日本は広い――全国に
は化け物たちがわんさといて、それがまた何の因果か彼の同学年に異様に集中している
のだ。毎年夏の全国大会、それに世代別日本代表としての合宿・遠征はさながら化け物
の顔見世興行と言っていいくらいだった。そしてその中でも決勝戦で二年連続で顔を合
わせたこの東邦ゴールの門番は、ふだん親しく付き合う意思も機会もない分、どう扱っ
てよいやら森崎には手に余る難物だったのだ。
「――俺はコーラか何かでいい」
「そうか?」
命を狙われた上、どこの誰とも知れぬ連中に監禁されてこの先どうなるかもわからな
いという現在の状態を完璧に踏みつけにしている。そんな若島津の提案だが森崎は結局
付き合うことに決めた。来るところまで来れば開き直りぶりが見事な点ではこの二人意
外に共通しているようだ。
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