三章−2 病院











 ドンドンドンドンドン!
 早朝の部屋にノックの音が響く。応答はない。しびれを切らしたホテルのルーム係は マスターキーでドアを開けると遠慮がちに室内を窺った。二部屋続きのスイートルーム は、がらんとして人気もない。彼はバスルームに突進した。
「――今だ」
「よし!」
 ドア前のクロークから素早く姿を現した二人が廊下に首を突き出す。そして誰もいな いのを確認してから勢い良く飛び出して行った。
「見張りの連中、すぐ気づくかな」
 エレベーターの扉が閉じて降下を始めると二人はようやく息を吐いた。
「だろうな。どうせ俺たちがいた部屋の近くに一緒に部屋を取ってるだろうから、聞き つけるのは時間の問題だろう」
「でも、下の部屋の人には気の毒なことしちゃったな」
「まあな」
 ちっとも気の毒そうな顔をしていない。
「まあ、後始末は俺たちの招待主がかぶってくれるだろうから、任せればいいさ」
 そういう問題ではないような気がする。若島津の指示で前夜細く細く出しっぱなしに しておいたバスルームの水が数時間かけて浴槽からあふれて床を水浸しにした挙句、真 下の部屋にまでしたたり落ちたはずなのだ。苦情の電話で飛んできたホテルの従業員 は、無人の部屋でのこの事態を何と考えたかわからないが、少なくともかなりの金額が 請求されることだろう。
 だが二人は後のことなど気にしている余裕はなかった。新年明けて最初の朝から勤勉 に立っているドアボーイさんににっこり笑顔を見せて最寄の地下鉄駅を教えてもらう と、その方向に向けて少々緊張感のある早朝ジョグを始める。
「また赤坂見附か〜」
「よほど縁があるらしいな」
「なあ、服がまだ冷たいんだけど…」
「気にするな、体温でおっつけ乾くさ」
 バスルームの仕掛けが効き目を見せ始める時刻を見計らって起き出し、乾きかけの服 をそのまま着込んで脱出のタイミングを待っていたのだ。まさか裸で逃げ出すわけにも いかないから選択の余地はなかったのだが、真冬の早朝に風を切って走るには確かにこ の冷たさは過酷だろう。
「早く暖房のある場所に逃げ込まないと、今度こそ風邪ひくよ、ほんと」
「地下鉄に乗ればここより暖かいさ。それにおまえ、今さら風邪の心配なんてする か?」
 花瓶の水はともかく、前夜池に落ちてずぶ濡れのままホテルに連れて来られた森崎 は、しかし結局風邪どころか元気なものである。キーパーとしての適性はともかく、丈 夫で長持ちという点では誰にも負けない使いでのある男だった。なにしろ南葛中のGK 層は極端に薄い。というより大空翼のゴールを守るという役をやりたがる者が他に誰も いない状況ではケガや病気などしていられないわけで、そういう意味でも森崎の義理堅 さは尋常ではなかった。
「おいっ、若島津、あれ!」
 地下鉄入り口まで来て階段を下りながら振り返った森崎の目に、見覚えのある車の姿 が映った。あの黒のオースチンである。交差点で赤信号に引っ掛かっていたが、待ち切 れずに一人が車外に飛び出した。若島津もその姿を見て無言で地下へと急ぐ。もちろん 森崎も二段飛ばしでその後に続いた。
「今度はこっちだ」
 文字通りの駆け込み乗車で飛び乗ったのは丸ノ内線の赤いラインの電車である。追っ 手は間に合わなかったと思われたが、念のために前のほうの車両に歩いて移動してお く。
「で、どこに向かってるんだ? おまえの兄さん家?」
「ああ、そのつもりだ。ヘフナーがそっちに行ってるか、確認している暇がなかったが …」
 車内はけっこう乗客が多かった。初詣客のために地下鉄は終夜運転をしていたはず だ。元日の朝早くにこうして東京の地下鉄に乗るなどという経験のない森崎はその様子 に目を丸くしている。世間ではこうして毎年変わりのないのどかな正月を迎えていると いうのに…。
 だがため息をついている場合ではなかった。霞ヶ関で下車するとエスカレーターで一 つ上のホームに上がって日比谷線に乗り換える。そしてすぐ次の日比谷駅で降りて今度 は千代田線に乗った。
「さ、すぐまた次で降りるぞ」
「えーっ、また? 俺、今どこにいるのか全然わからないのに」
「実はまたさっきの霞ヶ関駅に戻るんだ。で、さっきとは逆向きの日比谷線に乗る。そ の3つ先が目的の広尾だ」
 さすがは地元、若島津は涼しい顔だ。東邦学園は都心からはるか離れた郊外にあるの で本来ならこんなに詳しいはずはないのだが、兄の住む都心との行き来を繰り返してい るうちに覚えてしまったようだ。その点だけは感謝しておこう、と若島津は腹の中で考 える。
――森崎、若島津!
「え…」
 まさに不意討ちだった。
 森崎は思わず座席から飛び上がった。
「わ、若林さんっ!?」
――朝っぱらから張り切ってるじゃないか、おまえら。
「無事だったんですね! あ…あけましておめでとうございます!!」
 おっと、ここでコケている場合ではない。若島津はかろうじて体勢を立て直した。
「森崎、声に出さんでいい! 座れ!」
 周囲の目がとっても怖い。腕を引っ張るが一人純情している森崎少年はまったく気づ かない。やむをえず足払いをかけた。近くの席からこちらを見ながらクスクス笑ったり ささやき合ったりしている女の子たちは何を想像しているのやら、変に楽しそうだ。
――今どこにいる、若林。
――病院だ。ヘフナーも一緒にいる。
――病院?
――絶対安静のベッドの上さ。と言ってもこの通り俺は元気だ。心配いらん。
 「元気」の定義が頭を抱え込んでしまいそうな若林の言葉だったが、二人は一応納得 した。なにしろこうして響いてくる声は彼らがよーく知っている、いつもの若林源三の 重々しくしかしやたら突き抜けた、活力みなぎる声そのものだったからだ。
――病院て、どこのだ?
――新宿だ。…ええと、西口側の。
 ヘフナーに確認をとったらしい若林の答えだった。
「じゃ、すぐそちらへ行きますっ!!」
 テレパシーの会話では発声の必要はないのだ…ということを一旦熱血してしまった森 崎に伝えるのは無駄なようだった。他人のふりをしたい若島津だったがもう手遅れなの は明らかだった。次は声に出して森崎に伝える。
「乗り換えはもう一つ先の国会議事堂前に変更だ。また丸ノ内線に乗って新宿へ行こ う」
「うん!」
 首都の中枢であるこのエリアではいくつもの地下鉄路線が絡まり合うように走ってい て互いの乗り換えがパズルのような複雑さで何通りも可能になっている。森崎はもう何 がどう接続しているかなどまったく気にしていない様子で若島津に引っ張られながら国 会議事堂前で下車した。
 連絡通路を通ってがらんとした丸ノ内線ホームに着く。さすがにこの駅は元日のこの 時間に利用する者はいないらしく長いホームに立っているのは彼ら二人だけだった。
 電車がそこに入ってきた。たがこれは彼らのいるホームの向かい側、池袋行きの電車 だった。二人はぼんやりとその電車が停まるのを見ていたが、そこではっと身を固くす る。とんでもないものが目に飛び込んできたのだ。
「げーっ!!」
「まずい!」
 二人のちょうど目の前にあたる車両のドア前に立っているのは、さっき赤坂見附でオ ースチンから追って来た男だった。しかも正面でしっかりと目が合ってしまう。相手も あわてた様子で閉まりかける電車から飛び出していった。
「ダメだ、ここは。さっきの千代田線に逆戻りだ!」
 逆戻りしたものの電車がなかなか来ない。待つ時間がとてつもなく長く感じられた。 もう限界だと思った時、まぶしいライトがようやくホームの端に現われた。ドアが開く のももどかしく飛び込む。最後部から二つ目の車両だったが、二人は乗ったとたんにそ こから先頭車両に向かってダッシュした。
 一体、走行中の電車の中で逃げることにどれほどの意味があるというのだろう。さっ きの追跡者が丸ノ内線から走ってこの電車に乗ったのかどうか、それさえ確認できない まま二人はとうとう先頭車両の先頭のドアまで到達した。10両編成のほぼ端から端ま で、完走である。
 と、その途端に車外がパーッと明るくなった。次の駅に着いたのだ。
 ドアが開くのももどかしく二人はその勢いのままホームに飛び出す。そして改札口へ の階段をものすごい勢いで駆け上がった。





「くそっ、どこもかしこも閉まってやがる!」
 一月一日の朝っぱらから商店街の店がゾロゾロ開いていたらそのほうが怖い。森崎は そう言ってやりたかったがとても声が出ない。なにしろさっきから駆け通しなのだ。そ の上、地上に出てその冷気が喉の奥を攻めるものだから息を吸い込むたびにひりひり痛 む。同じように駆け回っていながら通りのど真ん中で大声で叫ぶだけの余裕を持ち合わ せている隣の男をつくづく尊敬してしまった。どうやら二日酔いという言葉すら縁がな いらしい。
 赤坂駅から地上の赤坂通りに出た二人と追っ手との差は実は少しずつ広がっていた。 やはり若さと日頃の運動量の差が大きいだろう。彼らは気づいていなかったが、同じ国 会議事堂駅での乗り換えでも池袋方面ホーム側は彼らのいた荻窪方面ホームの倍くらい のルートを経ていたのだ。はっきり言って彼らより倍は年齢が上と思われる追っ手の男 はもはや足がふらふらして、何度も止まりつつの追跡になっていた。
 しかし若島津と森崎はそんなことには気づかずどんどん逃げ続ける。
「なあ、ここ、ひょっとして――」
 やがて道なりに大きな特徴的な建物が近づいて来た。声をかけるついでに森崎は腕を 伸ばして若島津の肩にすがりつく。せめて息をしたい…。
「ああ、テレビ局だ。…そうか、ここなら開いてるよな!」
 逆にスピードを上げて若島津は森崎を容赦なく引きずって走る。その先に正面玄関が 見えていた。テレビ局が元日だからと言って休業しているわけはない。ここでやっと背 後を振り返って追っ手の姿が見えないことを確かめてから、二人はアプローチを駆け抜 けた。
「…いいのか? 一般人が勝手に入って来ても」
「入れたんだから気にするな。堂々としてれば関係者に見える」
 道路に面してガラス張りになっているエントランス・ホールでソファー群の一角に 深々ともたれ込んだ二人は、やっと大きく深呼吸していた。もちろん外からは見えにく いように死角を選んで。
「そんなもんかな…」
「そんなもんだ。さ、もっと奥に行こう。ここは危険だ」
 文字通り一息で体力回復させたらしい若島津はあっさりと立ち上がった。
「ちょ、ちょっと若島津」
「…ん?」
 若島津が途中で足を止めたのは追って来た森崎が呼んだからではなかった。ホールの 壁際高く取り付けられたモニターTVの一つを注視している。追いついた森崎もその視 線の先を追った。
 画面にはにぎにぎしい正月番組がめでたさいっぱいに映し出されている。晴れ着姿の 若手タレントたちに囲まれて、司会の上方コメディアンが型通りのお年始ギャグを飛ば していた。
「これ、生か? 録画か?」
 晴れ着が揃っているからといってリアルタイムの正月番組とは限らないのがテレビで ある。出演者のスケジュールに合わせて12月中に録画撮りしたものを流すことも少な くないからだ。
「えーと…」
 言われて律儀に森崎も注意深く見つめた。一目でそれとわかるように作られているは ずはない。
「あ、待てよ。紅白の話をしてる」
「じゃ、生だな!」
 若島津が声を上げた。森崎の指摘通り、司会者が自分の隣の振り袖姿の女の子が昨夜 の紅白で披露した衣装の話で盛り上がっている。さらには、30日のレコード大賞の話 題も出ているようで、これは録画でないことを証明している。もちろんそのどちらとも 縁のないまま新年を迎えてしまった二人だったのだが。
 若島津は急に勢いを見せて歩き出した。その行動が読みきれない森崎があわてる。
「だから! どうしたんだよ、一体…」
「兄貴が出てた。かくまってもらおう」
 既に早足で歩きながらの会話である。森崎は目を丸くした。
「え、え…? おまえの兄さんが?」
「剛’sクルーのボーカルをやってる。知らなかったのか」
「――はぁ? まさか…あの…? あっ、空手の!!」
 ここまでも話題に出ていた都内在住の兄…というのが、ここでいきなりすごい展開を 見せている。森崎が絶句したのは当然だった。なにしろその剛'sクルーなる人気グルー プは芸能界にほとんど興味も知識もない森崎でさえも記憶している存在で、確かデビュ ー曲に続く2枚目のシングルのヒットでその人気が急上昇中という6人組である。芸能 メディアでもしきりと取り上げられるその話題性の中心にいるのがフロントマンとして いかんなく個性を発揮しているボーカリストの剛――すなわち本名若島津剛、というわ けで。
「あんまり空手、空手ってのはやめてくれ。俺も肩身が狭いんだ」
 フィールドとステージという違いこそあれ、大して違わないことをやっている弟が嘆 く。
 その音楽性はファンク系ジャズを基盤にしたリズム主体の身軽で親しみやすいものだ ったが、美形ボーカリストがオーバーアクションで歌い踊るのがあいまって注目を集 め、それが空手5段の腕前を反映したものだということが明らかにされて以来「空手シ ンガー」の名が広まったのである。
「し、知らなかった〜。えーと、顔はそれほど似てないんだな」
「兄弟の中で俺だけ父親似でな」
 若島津の家族の顔などまったく知らない森崎はそれで納得したようだったが、さて実 際のところを知ったらどう反応したか。少なくともあの父親の顔を見たら。
「さーて、どのスタジオで撮ってるんだろう」
「でもさ、生番組だろ? どうやって助けてもらうわけ? 中にだって入れてもらえる かどうか」
「会えないなら会えるまではなんとか引っ張るしかないな」
 追っ手は明らかにプロである。今はまいてるとはいえ、遅かれ早かれここも突き止め て追いついてくるだろうと彼らは覚悟していた。肝心なのは、こういう人の多い場所に いることで人目を逆に盾にできるかどうかだった。彼らの目的が何であれ、もう捕まる のも脅されるのもご遠慮申し上げたい。
「ここかな?」
 扉の上に「本番中」のランプが赤く灯っている。若島津がそっと扉を押し開いてまず 中を窺い、後ろの森崎を振り返った。
 森崎も無言でうなづくと、背後に気を配りながらその扉の中へと滑り込んだ。






 たとえ元日だろうと病院の朝はいつも通りに始まる。まずは朝食前の朝の検温であ る。
 看護婦は体温計を手にとってその数値を記入欄に書き込むと、患者に声を掛けてから 次の患者のベッドに移ろうと向きを変えた。
「あっ…」
 思わず声が出てしまう。病室の入り口で背をかがめるようにしてこちらを覗き込んで いるのは昨日小一時間ICUで同席していた外国人ではないか。彼女はさっと目をそら すと軽く咳払いをし、残りの患者の検温を続ける。年末年始には軽症患者は一時帰宅す る場合が多いので、この6人部屋も今日は半分の3人だけになっていた。気を落ち着け ようとゆっくり動いても検温はすぐに終わってしまい、看護婦はとうとう覚悟を決め る。
「オハヨウ」
「…お、おはようございます」
 彼女が病室を出るまで待ってからヘフナーは軽く会釈した。一息置いてから看護婦は 挨拶を返した。
「友人の服を引き取りたいのですが…」
「ああ、はい…」 
 あの夜自分が当直だったことを確認して来たのだろう。そう考えつつ彼女は向かいの 病室を指さした。
「検温がまだ残ってますから、終わるまで待っていてもらえますか」
 ヘフナーは黙ってうなづく。看護婦のほうはやや逃げ腰気味であったがヘフナー自身 には彼女を困らせたりまして怯えさせようという気持ちはまったくない。彼女が逃げ込 むように入った向かいの病室に、別に何の含みもなく素直について行く。
 若林は先程から医師による診察を受けているので、若島津・森崎との「通信」もいっ たん中断、ヘフナーも付き添いらしい役割を果たすべくこうして一人で雑用を済ませに 出て来たというわけである。若林のいる集中治療室とはまた違う一般病室の様子に彼も 興味を引かれたらしい。看護婦の仕事が終わるのを待つ間も好奇心を持って観察してい る。中でも目を引いたのが患者の一人の枕元にあったテレビだった。
――こんな早い時間から放送をやっているのか。
 画面には着物を着た男女がどっさり映ってなかなか豪華だ。周囲の邪魔にならないよ うに音は消してあったが、どうせ声が聞こえても日本語では彼には通じない。ヘフナー はテレビから次へ視線を移しかけ、はっと画面に目を戻した。
「い、今のは!?」
 急いでテレビの前に歩み寄る。
「…あの二人じゃなかったか?」
 さっきの通話でこちらに向かうと言っていた二人がなぜTV番組に映っていたりする のだ。顔が見えたのは一瞬だったが、見間違いではない。動体視力には人一倍自信があ るだけに。
「看護婦さん、この番組は何をやってるんだ?」
「えっ、番組〜?」
 勤務中にこんな正体不明な外国人のガイドまでしなくてはならないなんて。彼女は最 後の患者の体温計を受け取りながらテレビを振り返った。いくら日本の正月風景が珍し いからって…とため息が出る。
「…ああ、お正月特番のバラエティショーね。何かゲームをやっているようだけど」
 広いスタジオのセットに派手に飾り立てたコースのようなものがいくつも作られてい て、晴れ着姿の男女がその間をぬって走り回る様子をカメラが追い回している。
「サバイバルアクションゲームって言ってますよ。テレビゲームのアクションものに見 立てて参加者がチャレンジしてるんです。失敗したらそこで脱落。ほら、どんどん人数 が減ってくでしょ」
 まあ、日本のテレビではそう珍しくもない内容だろう。そう思っても看護婦の彼女は それをこの相手にどう説明してよいのか悩む。
 しかしヘフナーは説明を期待することもなくじっと画面を見つめ続けている。テレビ ゲームに詳しいわけではないが、ルールというか、この番組で行なわれていることの趣 旨は把握し始めたようだ。しかし、彼が気にしているのはその内容ではなく、自分の仲 間二人がどういう状況に置かれているのかという点であった。
 参加者の一人一人はゲームキャラとなって次々に現われる障害コースを無事にクリア していかなくてはならないようだ。ヘフナーが注目している二人は、他の参加者が順に 消えていく中で必然的に目立ち始めていた。
何より、服装がタレントたちと違ってごくカジュアルな普段着だったから余計に。しか も、芸能人たちに混じっているとその運動能力の差は歴然としており、多少無茶なシチ ュエーションに襲われても日頃の非常識な環境で慣れているのか、その過激さは飛び抜 けてしまっている。
「あれは…?」
 ヘフナーはもう一人過激な目立ち方をしている人物に目を止めて、その男がアップに なったところを指した。看護婦も、これなら答えられるとほっとした顔になる。
「ああ、それはゴーでしょ。剛’sクルーの」
 テレビの持ち主である患者の青年も補足説明をした。
「現在の得点、トップみたいだよ。さすが空手ってのは伊達じゃないんだな」
 ヘフナーはそれを聞くと、改めてその端正な顔つきの、それでいてどこか鋭いものを その表情に隠しているふうの男をしげしげと眺めた。
「ゴーズ・クルーか――なるほど、これがワカシマヅの兄貴…」
 つぶやいて腕を組む。
――おい、ワカバヤシ、聞こえるか。
 そうして黙って通話に入る。応答はすぐにあった。
――ちょっと待てよ。今まだ診察中なんだからな。せっかくおとなしいふりをしてるの に。
――そんなのはいいからおまえからあの二人を呼んでみてくれ。今、テレビに映ってる んだ。
――え、テレビに!?
――ワカシマヅの兄ってのも一緒に出てる。テレビゲームがなんとか言ってたが、よく わからん。
――何だそりゃ。言っとくが俺だって今の日本の芸能界の知識なんておまえと大差ない ぞ。
 文句を言いつつも若林は一応試すことにしたらしい。その間、ヘフナーは黙って待 つ。若林の返事はしかし予想外に早かった。
――だめだ、ヘフナー。会話にならん。答えがシドロモドロで、何やら取り込み中みた いだぞ。
――取り込み中なのはこれを見てればわかるがな。
 ヘフナーは画面の中で走り続けている姿を見ながら肩をすくめた。
「それにしても、目立ち過ぎじゃないのか? 追われてる最中に」
 奇妙な電子音のブザーと共に司会者の大声がスタジオ内に響いた。
「さあー、いよいよラスト! 最終ステージに突入〜!!」
 さっきからバックに流れている音楽のトーンがまた変化した。さらにアップテンポに なって緊迫感を盛り上げる。
 カメラから微妙に外れた位置に立って体を折り曲げ肩で息をしていた森崎が上目遣い で若島津を見る。息が切れて何も言えない。若島津もセットの立木にもたれて大きく息 をついている。第3ステージをクリアした参加者は彼らを含めて6人になっていた。ス タート時には40人ほどいたはずだが。
「…なんでこんな目に遭うんだよ〜」
「泣くな! 成り行きには勝てん」
 そもそもこっそり身を隠すはずがなぜ生中継番組に出演なんて華々しいことになった のか。
 本番前の裏方の混乱ぶりに乗じてスタジオに入り込んでいたところで大道具のアルバ イトだと思われたのがそもそもの間違いで、折りしも始まろうとしていたアクションゲ ームの頭合わせのエキストラとして有無を言わさず放り込まれたのだ。わざとでもいい からしくじって戦列から脱落するつもりだったのだが、なにしろ試合(ゲーム)と名の つくものには体が勝手に反応して手が抜けなくなってしまう悲しい日本代表選手だった し、何よりも若手タレントたちが先にぽろぽろと情けなくもへばっていくのでつい後れ を取っているうちに生き残る結果となっていたのである。
 ここまで来るともう腹をくくるしかない。この番組が全国放送だと聞いて背筋が寒か ったが、森崎にとって唯一の救いは、年越しそばに目の回るまで追われる大晦日の翌日 である元日は力尽きて一家揃って寝正月になり果てるため、この時間にテレビなど見て いる余裕のある者は森崎家には存在しないだろうという点だった。
 一方若島津のほうは、厳粛な元日を一家で迎えているイメージでこんなテレビ番組な ど見ているはずがない、と言いたいところだが、実は長男がひょんなことからアイドル 人気の芸能人になってしまって以来そのイメージが怪しくなっているのが苦しいところ だった。謹厳実直を絵に描いたような父親だが、あれでけっこうミーハーなところがあ るのを彼は見抜いていた。なにしろ口ではとやかく言いつつも父は日向小次郎の隠れフ ァンなのだ。
「兄貴が出る以上見てる可能性があるよな。…頭イテェ」
 父もさることながら母と姉、妹の女性陣はまた一味違う異次元的ねじくれ方の「メビ ウスの輪」性格をそれぞれ持っている。なまじこの一族が人並み以上の美貌を優性遺伝 させてきただけに、その中身と外面のギャップも激しいものがあり、周囲の人間たちに 常に被害が発生してしまうのだ。同年代の間では一反木綿ともぬらりひょんとも目され て妖怪扱いされている若島津も、実家の面々を前にすればレベル的にはまだまだ可愛い ものだった。さらに全寮制の東邦に入って日頃家族と離れている分、何かことが起これ ば被害を集中的に被るはめになりがちな彼だった。
「それにしても、おまえの兄さんってすごいのな。タレント系では最後の一人になって るぜ」
「あれをただのタレントと思うのが間違いだ」
「やっぱりそうなのか…」
 説得力がありすぎてつい納得してしまう。セットの中ににこやかに立って司会者とや りとりしている若島津剛を、恐ろしいものを見る目つきで森崎は眺めた。第一印象の通 り、顔はさほど似ていないが、幼い頃から揃って父親に厳しく鍛えられたと思われる鋭 い身のこなしと体格は兄弟に共通するものである。もしかして性格も普通じゃないとか …と考えかけて森崎はあわててそれ以上の追及をやめた。
「なあ、そろそろリタイアしようよ」
「そう言いながら何をきっちりキャッチしてんだ」
「…おまえこそ」
 状況はこの会話ほどのんびりしたものではなかった。竹やぶを模したセットの中にラ セン状のコースをたどって進むのだが、四方八方から間断なくゴムボールが飛んで来 る。白をキャッチすれば20点加算、逆に赤は弾き返せば10点、どちらも反応が逆に なればマイナス10点。律儀なことに彼らは飛んで来る赤白のボールに正確に反応して いた。ゴールキーパーとしての条件反射であろうか、きちんと色の識別もした上でキャ ッチまたはパンチングをこなすだけの反射神経とはそれこそトモダチの彼らだけにリタ イアどころから得点がどんどん加算されていく。
「来たっ!」
「おっと…」
 時折足元に飛び出してくるスケートボードは、これに飛び乗ってキャッチすると得点 が倍ということになっている。二人があっさりとこれを成功させた後ろで、派手な音を たてて転がった青年が悲鳴を上げる。
「また1人減ったな」
「あと4人か」
「このへんにしとかないと目立ちすぎだな」
「俺、目立つの嫌い」
「俺もだ」
「あのプレースタイルで何言ってんだよ〜」
「はて、なんのことだか」
 若島津のフェイントでつい脱力した森崎は、はずみで赤ボールをまんまとダブルでパ ンチングしてしまった。
「おい、おまえこそもう点を稼ぐな。あとは兄貴に押し付けるんだから」
 ずっとトップ独走中のゴーくんと彼らの点差はラスト近くに来てかなり縮まってい た。偶然にしろこのステージでキーパーの得意技が存分に盛り込まれていたのがいけな い。
 走りながらタイミングを測り、若島津は森崎に目で合図した。





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