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「わっ、消えた!」
ヘフナーの熱心さにつりこまれてつい一緒に画面に見入っていた病室内の面々が一斉
に声を上げた。トップのゴーに迫る勢いで健闘していた2人の一般参加選手が、突然プ
レーイング・ステージから姿を消したのだ。
「なんだ? ここで脱落か?」
「あんなに調子がよかったのに惜しいよなー。何かミスったみたいには見えなかったけ
ど」
口々に残念がる患者たちをよそに、画面ではついにフィニッシュを迎えたようだっ
た。電子音のファンファーレが鳴り響き、ずっとトップを守り続けてクリアしたゴーの
最終スコアがでかでかと画面いっぱいに躍る。ヘフナーはテレビ画面から目を離して若
林に呼びかけた。
――ワカバヤシ。
――何だ?
――やつらが消えた。呼んでみてくれ。
若林は密かにため息をついた。
複数の医師による検査がようやく終わって重症患者ぶっておとなしくしている状況か
らやっと解放されたところだったのだ。全身打撲によるショック状態と頭部強打による
意識障害、という診断で、つまりは一言で言えば絶対安静の容態ということなのだが、
外傷のほうはほとんどなく肩と足に軽い挫傷がある程度で、骨にも内臓にも異状は特に
ない。医師たちは知らないことだったが、走行中の車から脱出しようとしてそのまま首
都高速の高架から下の道路脇に墜落したにしてはあまりにも丈夫な体だった。もちろん
その時普通でない能力を行使したことが衝撃を半減させたなんてことは教えられない
が。
――おまえな、人使いが荒すぎだぞ。ケガ人つかまえて。
――まあ諦めろ。おまえがコントロールタワーなんだから。体はゆっくり休めろと言っ
たが、「力」のほうは使ってもらうぜ。
若林は目を閉じた。ヘフナーと言い争いをしてまともな結論を導けるならとっくにそ
うしている。常識の基準というか、価値観のギャップというものを考える限り、これ以
上の反論は無駄であると、若林はこれまでの付き合いからしっかり学んでいた。
呼びかけると今度はすぐに二人の返事があった。
――若林さん!
――さっきは悪かったな。取り込んでて。
取りあえずは元気な反応だ。若林は続けた。
――おまえら、テレビに出てたんだって?
――ああ、もう飽きるほどな。
――新宿まで来るって話じゃなかったか?
――あの後また追っ手に見つかっちゃったんです。で、逃げ込んだ先がテレビ局で…。
――よりによってそんな厄介な所に…。ああ、そう言えばヘフナーが、若島津の兄さん
がどうとか言ってたが、何だ?
――ヘフナーが? どうして兄貴のことなんてわかったんだ。いや、何の因果か芸能人
やってるんで、この際利用させてもらおうと思ってな。
――追っ手のほうは?
――一応まいたつもりだが、どうかな。今の番組を見られてたら最悪だしな。
――でも若林さん、あいつらって一体何なんですか。若林さんの命まで狙ってるとか聞
いたんですけど。
――俺たちまでもな。
森崎と若島津に畳み掛けられて、若林は言葉を選ぶかのように一息間を置いた。
――簡単には説明しにくいんだがな。もともと俺自身とは関係のない事件だったし。
――親の会社のほうか。例の日独合弁話の件で?
若林は一人で苦笑した。
――ヘフナーに聞いたのか。まあ、この手の話はあいつの専門だからバレるのはわかっ
てたが。
――しかし関係ないといっても実際にはそれだけの関わりを持ったからじゃないのか、
狙われるまでされてるんだから。
――俺は親父の仕事を継ぐ気はまったくないぞ。今までも一切ノータッチだったんだ。
それがたまたま今度の件がドイツでのことだったんで俺に話が回ってきてな。合弁話に
何か裏があるっていうか、こいつにからんで不穏な動きがあるから、現地の代理店とは
別に裏の窓口として手伝ってくれってことで。ここんとこの鉄鋼不況で生き残り競争の
激しい所へ日本企業と合弁と来れば他社の妨害も当然起きてくる。そして実際、最初の
合弁プロジェクトは事前にスパイされちまって、あの株価暴落を招いたってわけだ。
若林は一度言葉を切る。家業には無関心と言いつつも事情には通じているようだ。若
林家は先祖代々の財力と地位を基盤に現在は金融界を中心に本家分家ひっくるめた一族
で手広い分野で事業をしている。本家の人間としては三男坊とは言っても未来の実業家
の道を進んで当然というところだろうが、なにしろ小学生の頃からスポーツの英才教育
を受け10才にして少年サッカー界にこの人ありとうたわれた天才ゴールキーパー若林
源三だ。その後ドイツに渡ってプロへの道をまっしぐらに進んでいる今、確かに家業と
は無関係と言い切ってしまえるだけの状況にある。
そんなサッカー三昧の生活をしている息子にいかにも気軽な協力要請をしてきた父親
がすべての原因を作ったわけだが、若林にとっての疫病神は実はもう一人いたのだ。
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