2章 3







「呼びかけてみてくれ、森崎。俺では駄目だ。おまえならきっとできる」
「そんな…、若林さんにできない事が俺にできるわけ…」
「…あのなっ!」
 信じられないほどの勢いでヘフナーが胸ぐらをつかんだ。
「いい加減にするんだな! 実力がありながらそれを無駄にしてる奴を見ると 俺は頭に来るんだ。そんなに自分を過小評価ばかりしててどうするんだ!」
「ヘ、ヘフナー!?」
「あの嵐の夜のことは俺は絶対に忘れられん。なのに…おまえは!」
「まあまあ、森崎を責めてもお門違いだ。離してやれよ」
 割って入った若林を、ヘフナーはキッとにらみ返した。
「大体おまえらもモリサキを甘やかしすぎだ!」
 若林がなだめているスキに森崎はヘフナーの腕から若島津へと移動してい た。そちらへも鋭い視線が投げられる。
「結局ワカシマヅのチームに入らなかったと聞いた時にはそれで良かったんだ ろうって俺は思ったんだ。自分のコントロールは自分でできなきゃ意味はない からな」
 森崎はただぽかんとヘフナーの激高ぶりを眺めている。ヘフナーの話の根拠 が見えていないのは当人だけだった。
「それが何だ、ワカバヤシはあれ以来何度も帰国しちゃモリサキの世話を焼い てただろうが!」
「別にこいつのためだけにじゃないさ」
 若林はそれでもやや照れたように笑った。プロ入りを果たすまで帰らないと 言ってドイツに渡った彼は、18才未満の特例契約を結んだのを機に何回か帰 国しているのだ。
「葬式があったり、オリンピック代表の件があったり、ヤボ用がたまたま続い ただけだ」
 若島津も超然としている。
「俺も別に森崎に干渉した覚えはないぞ」
「嘘をつけ! 去年の冬、国立競技場に二人で井戸を掘り当てたって話はどう なんだ!」
 森崎が一人で赤面した。若島津は相変わらずポーカーフェイスのままだ。
「よく知ってるな。地球の反対側のことまで」
「ピエールから聞いたんだ」
 妙なところで情報網が発達しているらしい。もっともパリの大沢公使とは家 ぐるみの付き合いをしているピエールであるから、情報源は想像がつく。
「あれは直接の原因は俺たちじゃない。決勝戦で必要以上に燃えちまったスト ライカーがいてな」
 そのストライカーが森崎を異様な執着ぶりでマークしていたことはこの際黙 っていたほうがよさそうだ。若島津と森崎はそれぞれの理由からそう判断して これ以上の解説を避けた。
 その沈黙をさっと横取りしたのが若林である。
「さ、ヘフナーのグチは放っておいて早く呼びかけてみろ、森崎」
 ヘフナーはむっとしたようだったが、手掛かりは手掛かりである。ひとまず 追及は後回しだ。
「こいつが誰かの思考、あるいは感情の影なのは確かなんだ。だがその接触の とっかかりがない」
 4人の中で格段にテレパシー能力の高い若林がこう言うのである。森崎が不 安になるのは無理もなかった。が、その若林の命令とあらば逆らえない。森崎 は諦めたように光の前へと近づいて行った。
「神経をその光だけに集中しろ。何も考えずにな」
 森崎は片方の膝をついて、宙にゆらめく光を見つめた。重い沈黙の中で時間 が過ぎる。最初はただ不安そうなだけだった森崎が、次第に厳しい表情に変わ り始めていた。
「森崎…!?」
 驚いたのは若林だけではなかった。背後にいたヘフナーと若島津も思わず一 歩身を乗り出した。
 森崎がぽろぽろと涙をこぼしていたのだ。
「どうしたんだ、森崎」
 若林に肩をつかまれて、森崎ははっと振り返った。自分の涙には気がついて いないらしい。まだ現実に戻っていないような表情のまま、ぽつんと答えた。
「この心が悲しんでいるんです」
「え…?」
「考えていることはわからないけど、何か、悲しい気持ちだけが強く伝わって きて…」
 森崎の言葉は途中で切れた。問い返そうとした若林も振り返る。突然背後か らまぶしいライトが彼らを射たのだ。
「いたぞ!」
 声と同時に銃弾が空を切った。仕切りドアのガラスが4人の頭上で粉々にな る。
「しぶとい奴らだ」
 そのコンパートメントに飛び込んでとりあえず身を隠す。ガ、言ってみれば これでは行き止まりに追い詰められたことになる。
「何人だ?」
「車両内に2人。外に4人…」
 闇に向かって目を細め、質問した若島津に即座に報告する若林であった。そ してヘフナーに目で合図する。ヘフナーがうなづいた。同時に若島津が通路に 飛び出す。
 パリーン、と高い音が響いて、窓が砕け散っていた。若島津の姿はそのまま 車両の外に消えている。また銃声が響いた。
「行くぜ!」
 続いて若林が通路に駆け出した。ヘフナーは森崎の腕をつかんでその後に続 き、若林とは逆方向に走る。
「若林さんは!?」
「人のことを心配している場合か」
 車両の反対側の端まで達した途端、そこのドアが開いた。開けた当人もここ でいきなり鉢合わせるとは思わなかったのだろう、ぎょっとしている。あわて て銃を上げかけたところへヘフナーが投げつけたバッグが直撃する。次の瞬 間、ヘフナーは鋭いダッシュで体当たりをくらわせた。
「ドア、壊れたよ」
「知るか」
 外開きのドアごと地面に吹き飛ばされた男の上を跳び越えて、ヘフナーと森 崎はまっしぐらに駆けた。数本もの軌道を横切って、貨車の陰に走り込む。
「厄介だな、この雪」
 目を落とすと、積もった雪の上には、当然ながらしっかりと足跡がついて二 人の現在地まで続いている。これでは隠れる意味がない。
「ヘフナー…」
「何だ、情けない声を出して…」
 森崎が肩越しに何かを指さしている。ヘフナーはその先に目をやって、そし てゆっくりと森崎に向き直った。
「可愛いもんじゃないか。そこまでおまえを慕ってるんだ」
「やめてくれよぉ」
 森崎の背後、降りしきる雪の中で、さっきの白い亡霊が…あるいは生き霊が …ぼーっと揺らめいていた。
「しかしマジな話、さっきおまえは本当にこいつと意思が通じたんだからな」  冗談から本気に戻してもその表情には何ら差異がないのも困りものだ。
「ワカシマヅが言ったのはな、つまりはおまえがそいつと波長が合っちまって る、ってことなんだ」
 森崎は今度こそ情けなさそうに、その光の塊を見た。
「…シュナイダーの謎の、カギ、なんだよな」
「俺たちにとっても、だぞ。これで妙な襲撃を受けるのは何回目だ?」
 強い風が、雪を巻き上げるように彼らに吹き付ける。森崎は黙っていた。黙 って光を凝視していた。
「モリサキ!!」
 ヘフナーが叫んだと同時に、森崎は慌てて後ずさった。光の塊が音もなくふ わりと浮き上がったのだ。一瞬燃え上がったように白く輝き、周囲を鈍く照ら し上げる。
「誰、君は…!?」
 森崎がそれに向かって叫んだ。
「君はそこで何をしてるんだ!」
「モリサキ…!?」
 森崎は何を聞いているのか、あるいは何を見ているのか。ヘフナーはとっさ に森崎の腕をつかもうとする。が、森崎はぐんぐん明るさを増すその光にじっ と目を向けたまま、身じろぎもしなかった。
「…モリサキ!」
 白い光が身震いするかのように揺れて、そしていきなり消えた。同時に手の 中の感触がふっと遠のき、ヘフナーは呆然とする。自分の腕の中でゆっくりと くずおれていく森崎をただ見つめる。
 雪が舞い上がった。倒れ落ちたその体を音もなく受け止めて…。













「若島津、一つこれだけは注意しておくが…ここはドイツだ」
 派手に投げ飛ばされていく男にちらりと目をやって、若林がきっぱりと言っ た。若島津は続いてかかって来た3人目の腕をあっさりねじ上げながら無言で にらみ返す。
「つまり俺たちはしょせんはガイジンだ。オリエンタルなんだ」
「おまえの言いたいことはわかる」
 若島津にはあまりこたえていないようだ。
「つまりおまえが住みにくくなるような評判は残さんようにしろってことだ な」
「それがわかってるなら…!」
 若島津に腕をとられた男から銃をもぎ取って、若林は思い切り遠くに放り投 げる。
「…ちったあ、遠慮しろ!」
「おまえがそんなに世間を気にするやつだとは知らなかったな」
「したくなくても世間のほうが黙っちゃいねえんだよ!」
 雪の吹き寄せるホームの下、男たちに立ち向かいながら背中合わせに怒鳴り 合う。とにかく『まかぬ種は生えぬ』という言葉を忘れているとしか思えな い、双方とも。
「ほら、それより今度こそ一人つかまえて事情説明願うんじゃなかったの か?」
「うるさい、わかってるよ!」
 ヘフナーに押し潰された一人を除いた5人の男たちは、形勢不利と見るや、 今度は必死に撤退を図りかけた。
 防御しているつもりが実は並外れた攻撃となっていることに、この二人は普 段も今回も気づいていない。
「若島津…?」
 男たちが逃げるホームに向かって追い始めようとした若島津が突然足を止め た。若林が不審げに見やる。
「どうした」
「何だ、一体…?」
 若島津が呆然とつぶやいた。ただ立ちすくんでいる。
「うわっ…!?」
 若林の背筋が凍った。目の前で、突然若島津の髪が宙に浮き上がったのだ。 恐ろしいほどの緊張感が若島津の全身から放電している。雪の降りしきる中空 に目を見張る青白い顔。
「……森崎だ!!」
 若島津が叫んだ。叫ぶと同時に我に返る。若林も一瞬にして事態を悟った。
「どこだ、あいつらは!」
 さっきの会葬者の方向を振り返る。彼らとは逆方向へ逃げたはずだったが。
 若林は無言で走り出した。若島津も続く。
 電車の列が尽きた所で二人は立ち止まった。雪の中でかがみ込んでいたヘフ ナーがはっと顔を上げる。その顔が蒼白になっていた。腕には森崎を抱えてい る。
「…ヘフナー?」
「モリサキが…!」
 若林と若島津はぎくりと森崎を注視した。
「モリサキが息をしていないんだ…!」
 横殴りの雪が次々と彼らに降りかかってきた。








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