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「ええと、こっちかな」
男たちの叫び声が中庭から遠ざかっていくのを確かめてから、ジノはそっと
部屋を出た。少し伸び上がって周囲を見渡す。
左には聖堂がそびえていた。バロック様式の堂々たる建物だ。が、どうもそ
ちらでは人が大勢動いている様子である。朝から外部の人間が入り込んで騒い
でいるのだから、教会側も気づいて対処し始めたに違いない。
ジノはちょっと考えてから右手に進路を変えた。
「ああ、歩きにくい…」
とんでもない案を出したヘフナーを恨みながら、吹き抜けのパティオになっ
ているその回廊をジノはのろのろと進んだ。森崎を抱えて身をかがめている分
だけ、服の裾が足の超過分を隠してくれている。
「おっと…!」
背後に近づいてくる人の気配に、ジノの顔がさっと引き締まった。回廊はち
ょうどそこが突き当たりになっていて、その先は小さい礼拝堂に続いている。
「ちょっと、待ってください!」
丁寧ではあるが勢い込んだ呼びかけが背に投げられる。が、ジノはわざと聞
こえないふりをして礼拝堂にずんずん入って行った。
「シスター、ちょっと、すみませんが!」
回廊に比べればここは暗い。この暗さがカムフラージュに少しでも役立て
ば、とジノは計算したのだが、いざ目の前に男が二人駆け寄ってくるとさすが
に緊張する。距離を置いていたとは言え、数時間前からずっと追ってきていた
相手なのだ。
「お聞きしたいことがあるんですが…」
手元で森崎のローブをごそごそとかき合わせながら、ジノはゆっくりと男た
ちに向き直った。必死に背をかがめているにもかかわらず見合わせた男たちの
顔が自分より下にあることに気づいて内心あせる。
「若い男の3人連れを見ませんでしたか?」
ジノは無言で首を振った。いやに人の顔をじろじろ見るじゃないか、こい
つ。まさか知っててカマかけてるんじゃないだろうな…。
「聖堂側から外へは抜けられましたっけ?」
もう一人が横から詰め寄ってくる。ジノは黙ったままうなづくとでたらめに
指をさしてみせた。――いいから早く行ってしまってくれ!
「おや?」
最初の男が、今初めて気がついたと言うふうにジノの抱えたローブの塊を覗
き込んだ。
「重そうな荷物ですな。お手伝いしましょうか」
「…いいえ、結構です」
汗が吹き出る思いで、ジノは小さく返事した。なるだけ声を作って。
「なに、遠慮はいりませんよ、シスター」
「そうですとも」
二人の男はにこにこと愛想笑いを浮かべた。仕事のほうは完全に忘れて鼻の
下を伸ばしていると言う図であった。ジノは心の中で愕然とする。こいつら、
なんで疑わないんだ!
「これくらいお安い御用です」
親切ごかしに手を伸ばしてくる男たちの頭越しにジノはさっと視線を投げ
る。回廊のほうはまだ静かだった。ヘフナーはうまくやっているらしい。
「…一人で、大丈夫ですから」
その不可解なまでのまとわりつき方にじりじりし始めたジノは、男たちにく
るりと背を向けて振り切ろうとする。だがしかし彼は知らなかった。背丈は別
として、楚々としたシスター姿があまりにはまり過ぎていたのだ。どこかおど
おどした人馴れしない様子がいかにも初々しい、などと彼らが不謹慎な解釈を
していることに、もちろんジノはまったく気づいていない。
「さあ、我々が持ちましょう。どうぞこちらへ…」
背後から囲むようにしてべたべたと体に手を回されるに至って、しかしつい
にジノの寛容力も限界に達した。
「…しつこい」
無理に縮めていた背がぐいと伸びた。うつむき加減にケープに隠れていた目
が突然殺気立った光を宿す。男たちは思わずビクリと動作を止めた。
「いらねえって言ってんだろ――!」
聖職者とは思えないその叫びと同時に黒いスカートの裾が宙にひるがえっ
た。その瞬間、ジノの腕をとりかけていた男のアゴに見事にアッパーキックが
決まる。
「ぐおおお―っ!」
若くて美しいシスターにスケベ心を出したのが身の不運。不心得者はどっと
ばかりに吹っ飛んだ。もう一人の男はまだ事態がつかめず、目を白黒させてい
る。が、相棒が床の上で完全にのびてしまったのを見て一気に頭に血が上った
ようだ。
「き、きさまー!?」
「神聖な教会で暴力沙汰はいけないね」
自分のことは都合よく忘れているらしい。飛びかかってきた男を両腕を広げ
てがっちりキャッチすると、じたばたする相手を簡単に押え込んだ。森崎を包
んでいたローブをさっと引っぱって男にかぶせ、手早くサッシュでぐるぐる巻
きにする。ああ、何と勇ましくも凶暴なシスター。
「呼吸はしてもいいけど、声は出しては駄目だよ」
ほとんどイモムシと化した相手にジノはまじめくさって指を振り立てた。そ
れから祭壇の上の聖母子像を見上げ、静かに十字を切る。彼はあくまで敬虔な
カトリック信者なのだ。だが緊急事態は緊急事態。ジノはシスターの衣装を投
げ捨てると、森崎を抱えて後も見ずに礼拝堂を駆け抜けていった。
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