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車内販売のワゴンがベルを流しながら遠ざかっていく。ジノは買ったばかり
のハーフボトルのワインをあっと言う間に半分にすると、大きくため息をつい
て座席に沈み込んだ。
まったく大変な24時間だった。ミュンヘンの酒場でひと暴れした後すぐに
チューリヒに飛び、徹夜のデータ分析。夜明けとともにバイクを飛ばしてドイ
ツに戻り、ボーデン湖畔の教会でまた鬼ごっこ。
気が張り詰めていた間は感じなかった眠気と疲れが今どっと出てきたようだ
った。
ジノは向かい合わせの座席にごろんと体を横たえている森崎を見つめた。だ
がまだ自分は休んでいる暇はない。森崎を早く若林たちのところに送り届け、
入手した証拠物件をドイツサッカー協会に提出しなければならない。シュナイ
ダーの嫌疑を晴らすために。
しかし彼にはひとつ気にかかっていることがあった。
自分たちが相手にしているのが強大なESPの持ち主だという若林の指摘であ
る。なのにその相手はいまだ姿を見せていないばかりかこれまでのところ攻撃
らしい攻撃も仕掛けてきていない。黙って攻めさせるだけ攻めさせておいてカ
ウンターアタック。イタリア得意の戦術をつい思い浮かべてしまう。
『ワカバヤシ』
ジノはポケットから封筒を取り出した。数枚の書類を自分の膝の上に広げ
る。
『…ヘルナンデス!』
意外に返事は早かった。
『無事か? 今どこだ』
『列車の中だよ。そっちに向かってる。モリサキも一緒だ』
『ヘフナーは?』
尋ねられてジノが一瞬迷う。
『いや、それが…』
『俺はここにいるぜ』
説明を始めようとしたジノの耳に突然別の声が響いた。
『外を見ろ。左側だ』
ジノはさっと立ち上がった。通路側の窓越しに外を見る。川沿いに走る列車
の対岸に道路が平行していて、列車の後方から見覚えのある赤いバイクがわず
かずつ追いついてくるのが目に入った。
『ヘフナー!』
『やっとつかまえたぜ』
『…何だ、別行動中だったのか』
横から驚いたように口をはさんだのは若林である。
『まあ色々あってな…』
『ワカバヤシ、シュナイダーの受け取ったっていう百万マルク、あれの解明が
なんとかできそうだよ』
詳しく回顧している時間はない。ジノはヘフナーの無事を知るや、さっそく
切り出した。
『無実の証明、だろうな』
『もちろん』
ジノは広げた資料に目を落とす。
『ペーパーカンパニーの存在は事実だった。架空のトンネルを利用して不正利
益をあげていたんだ。そしてその金はH・ヒンツ社のある一部に流れていた…』
『副社長の一派だろう』
裏金によって勢力アップを図り、次期総裁に躍り出ようと目論んだ彼らの工
作を、ジノはデータを分析することによって、若林らは相手陣地に不意討ちを
かけることによってあぶり出したのである。
『君たちの特攻精神には感服するよ』
『ゴール前でじっと待ってるのは性に合わんのでな』
キーパーにあるまじきことを言って若林はにやにやする。同じ場にいる若島
津が相変わらずの仏頂面で先を促した。
『で、シュナイダーとはどう関わってるんだ』
『簡単に言うと、口座を無断使用されたんだね。ドイツには当座預金という好
都合なものがある。利率は高くないが預金の出し入れが完全に無記名制になっ
ていて、しかも通帳も必要ない。想像するに、他からの入金はあっても本人に
よる引き出しがほとんどない口座っていうのを捜して、カムフラージュに利用
しようとしたんだ』
『それがたまたまシュナイダーのだった、って言うのか』
ヘフナーがいまいましそうに舌打ちする。
『とんでもないとばっちりだ!』
『だがシュナイダーもシュナイダーだぞ。自分の収入ってもんにとことん無関
心で銀行におっぽってたんだからな。連中も隠居した暇なじいさんの口座くら
いに思ったんだろうさ』
まさかあんなスーパースターのだったなんて、と叫んでいたヒンツ社の秘書
を若林は思い返した。
『で、提出はできるのか』
要約しすぎた若島津の問いに、ジノはちょっと戸惑ってから答えた。つまり
シュナイダーの汚名返上の可能性である。
『そうだね、これだと状況証拠の範囲を出ないのは事実だ。やはりヒンツ社内
部の証言なりがないと決定的とは言えないだろうな。これでサッカー協会や警
察が動き出してくれれば話は早いんだが』
『あおったマスコミ連中にも責任を取って名誉挽回をしてもらわんとな』
『そっちはそっちで妙な展開を始めてるんじゃないのか』
ヘフナーと若林は今朝それぞれ新聞で見つけた記事の情報交換をして互いに
呆れる。
『まったく、やつは水戸黄門か』
諸国漫遊の人助け…なんてのがヘフナーやジノに通じるわけはないが。
『でもそれがシュナイダー本人だとしたら、少なくとも無事なことだけは確認
できたわけだ』
『無事、ね…』
若林は不満そうに頭を振った。
『ヒンツ社の連中が俺たちを狙ったのは、シュナイダーが連中の不正に気づい
てその証拠を押さえた上で俺たちと動いていると思ったかららしいんだが…』
『問題はあの「火の玉」だろうな』
若島津が横から結論を急ぐ。ジノは思わず自分の目の前にいる森崎の青白い
顔に目をやってしまった。
『結局わかったのはヒンツ社と例のESPとは別口だったってことでな…』
若林はさっきの会長室での不意討ちの顛末をヘフナーとジノに説明した。
『スイスの山荘だと?』
『そうだ』
問い直すヘフナーに、若林は言った。
『そこへ行けばおまえの望んでた直接対決ができるわけだ。ま、せいぜい鼻を
きかせてくれ』
列車走り続けていた。その先に待っている運命を知らないまま…。
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