5章 4












「す、すげえ、ジュニアが歌ってる…」
 家族ぐるみの付き合いの長いルディでさえ――と言っても当のグスタフ君は その「家族」に属していないのだが――こういう光景にぶつかるとは想像もで きなかったらしい。
「いい声じゃないか、ヘフナー」
 こちらははるかに冷静である。単に異常事態に慣れているだけかもしれない が、ジノは目を輝かせてライティングブースの窓に貼りついていた。
「でもヘビーメタル・アレンジのぶんぶんぶんってのは珍しいですよねぇ」
 それがヘフナーの唯一のレパートリーだとは彼らも知らない。
「まあ受けてるからいいか」
 こういう結論を平然と出せるのもこのジノ・ヘルナンデスの人間性ゆえだろ う。実際、聴衆はこのハプニングに大喜びで、おそらくその半数くらいはギュ ンター・ヘフナー本人の飛び入りだと信じていたと思われるが、その珍しい童 謡メタルにさらに盛り上がっていた。剛の伸びのある高音と、ヘフナーの意外 に通る低音が交互にからんで、なるほど絶妙なコンビネーションとも言えたの だが。
「おい、ホルストを知らないか」
 突然背後から聞こえた声に、さっきからステージに釘づけになっていたスタ ッフたちは腰を抜かしそうになる。まったく何の気配もなしに入口に大きな姿 がぬーっと立っていたのだ。
「ギュンター!」
「ずっと探してるんだが、つかまらなくてな」
 無表情に室内を眺め渡して、黒のレザースーツ姿のギュンター・ヘフナーは ぼそりと言った。ホルストとはこのフェスのチーフ・プロデューサーである。
「コントロールルームじゃないのか。さっき通路で顔は見たぜ」
「俺もそう思ったんだが、さっきから内線が通じなくてな。それで上がって来 てみたんだ」
「通じない…!?」
 窓際にいたジノが近寄ってきた。
「こんにちは、ギュンター」
「なんだ、ジノか。ミラノに帰ったんじゃなかったのか」
「ええ、ちょっとヤボ用ができて」
 義理の兄ににこっと笑って応じたものの、ジノはすぐに真剣な表情に戻っ た。
「通じないって、いつ頃からです?」
「そうだな、このバンドの2曲目あたりだったかな」
 そのバンドが問題なのだ。
「ギュンター、ギュンター、ほら、これ見てみなよ!」
 顔半分を引きつらせながら、ルディが手を振り回した。ギュンター・ヘフナ ーはゆっくりと窓の前に来るとステージを見下ろす。
「グスタフか。……たまげたな」
 とてもそうは見えないリアクションであったが、これも血筋というならしか たがない。それでもじっと見入っているところを見れば、それなりに何か感慨 もあるのだろう。
「……こっち、見てるぞ」
 やがて、ギュンターがぽつり、とつぶやいた。一同ははっとステージ上に注 目する。
「ライトを…消せ、と言ってるようだな」
「えっ! ほんとか、ギュンター」
 確かに、さっきからヘフナーは歌の合間にしきりにこのライティングブース を見上げている感じだった。しかし、一目見ただけでその意図までわかるもの だろうか。父親である彼にはまさかテレパシー能力などないはずだが。
 しかし、その言葉にいち早く動いた人間がいた。
「彼の、指示通りにしてください! 頼みます!」
「…ジノくん!?」
 ルディが驚いて振り返った時にはジノは部屋を飛び出した後だった。ギュン ター・ヘフナーはちょっと眉を寄せ、それから大股にその後に続く。
「ちょ、ちょっと…」
「ルディ、ほら、手を上げてます!」
 スタッフに呼び止められ、ルディはヤケ気味にコンソールパネルの前に座っ た。
「ええい、なるようになれってんだ、ちくしょう!」
 一人で怒鳴りながらステージの照明を一斉オフに入れる。こちらもかなり熱 血しやすいオジサンであった。










 ホール内が突然真っ暗になったその瞬間、闇の中に銃声が響く。
 客席からは声にならない声がざわっと上がったが、すぐにライトがぱっとス テージを照らしたので、観客たちは一斉にどっと沸いた。ドラマチックなその 演出に対して、である。
「知らないってことは幸せだぜ」
 再び明るくなったステージの上から、飛び入りの男だけが姿を消していた。 演奏はさっきまでののどかなぶんぶんぶんから一転して、倍テンポで突っ走 る。リヒャはギターを弾きながらこわごわと足元を見た。
 床に開いたその小さな穴を。
「ワカバヤシ…!」
 すごい勢いで袖に駆け込んで来たヘフナーに、そこで内線電話を手にしてい たスタッフがぎょっと振り返る。ヘフナーは有無を言わせず受話器を後ろから 奪い取った。
「コントロール・ルームだな、どうなった、そこは!?」
「犯人は今取り押さえた。スタッフも全員無事だ」
 受話器から聞こえてきた声にヘフナーが瞬間凍結した。声だけなら1年ぶ り、実際会ったのは3年前、という父親の声だったのだ。
「グスタフ、おまえは俺に会いに来てくれたのか? それともこういう物騒な 真似をしに来たのか?」
「……どっちでもないっ」
 忘れていたのだ、まんまと。このドサクサの中、もっとも関わりたくない人 間がこの会場にいたことを。剛に乗せられてステージで歌ってしまったことを どーーーっと後悔する。
「グスタフ、おまえ老けたな」
「う……」
 絶句する。
「…おまえ、だんだん母親に似てきたぞ」
「嘘をつけ、嘘を! あんたに似すぎたせいで俺がどんなに迷惑してるかわか らんのか!」
「そうか?」
 やはりあまりよくわかっていないようである。
「今そっちへ降りるからそこにいろよ。再会のキスをしたい」
「来るな!!」
 こわごわ周囲を取り巻いているスタッフたちが吹っ飛びそうな勢いでヘフナ ーが吠えた。
「それよりヘルナンデスがそこにいるだろう。代わってくれ」
「――やあ! 良かったよ、君の歌!」
 代わってもヘフナーの不幸に変化はない。いったん耳から離した受話器を、 一息ついてからもう一度元に戻す。
「ワカバヤシがいない。ワカシマヅもだ。何があったんだ」
「本当に?」
 しばらく沈黙があった。電話の向こうでぼそぼそとやりとりが伝わる。
「この狙撃者は例のヒンツ社の連中がよこしたやつだ。でも、ここには一人で 来たと言ってる。嘘じゃなさそうだよ」
「…じゃあ」
「別口の追っ手が…」
 二人は同時に黙り込む。別口と言えば考えられるのは一つだけだ。
「マズイことになりそうだぞ」
「そうだね」
 手がかりは何も残されていなかった。そして、彼らの意識の届かない世界で 何かが動き始めていた。









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