6章 6










「ちきしょう、退屈だぜ、まったく!」
 二人いるうちの一人が大きく伸びをしながら愚痴をこぼした。もう一人もう んざりした顔で手にしていたカードを伏せる。
「早く交代のやつらが来ねえかなぁ」
 別荘の管理人が個人で所有しているこの山小屋は狩猟のための基地として、 あるいは夏山トレッキングの時の宿泊所として使われており、小さいながらも 暖房などの設備は申し分なかった。谷の別荘で専務にあれこれ命じられるより こっちがいい、とばかりに自分で志願してきた彼らだが、しかし夜が更けるに つれ最大の敵、退屈と所在なさに悩まされることとなったのだ。
 赤毛の男が壁際に転がっているシュナイダーに目をやった。
「くそぉ、気持ちよさそうにぐーぐー眠りこけやがって。俺だっていい加減寝 ちまいたいよ!」
「まあそう言うな。一応VIPだぜ」
 長身の男がふいと立ち上がって、シュナイダーの寝ている簡易ベッドに近寄 った。
「なんか信じられないよな。本当にこれがあのカールハインツ・シュナイダー かねえ」
「そりゃここまでするんだから贋者じゃねえだろうさ。俺はサッカーなんかに 興味ねえから値打ちはわからんがね」
 空いた椅子の背に足を乗せて、赤毛の男はひらひらと手を振ってみせる。長 身の男は相棒の言葉は無視してシュナイダーの寝顔をそっと覗き込んだ。下の 別荘に専務の車で連れて来られ、さらにそのままこの山の上に運ばれた彼は、 とにかくその間ほとんど眠り通しだったのだ。わざとやっているなら文字通り 大物だが、どうやらこれは本当に眠いのらしい。
「病気じゃないだろうな…」
「まさか。そんな血色のいい病人がいるもんかよ」
 男たちの会話が耳に届いたのか、シュナイダーは微かに眉を寄せて寝返りを 打った。その拍子に胸元でカシャン、とガラスのぶつかる音がする。男はあれ っという顔で振り返った。
「な、なんだぁ、これは!」
 引き起こされてシュナイダーはぼんやりと目を開けた。男はシュナイダーの コートの中から出て来たシュナップスの瓶に目を丸くしている。
「へえぇ、いいもん持ってんじゃねえか、兄ちゃん」
 赤毛の男が目を輝かせて椅子から立ち上がった。相棒の手からその瓶を取っ て明かりにかざす。
「せっかくの手土産だ。さっそくいただこうぜ」
「まずかないか。さっきの無線ではもうすぐ交替のやつが来るって言ってた し、とにかくこいつの見張りをしてないと…」
「なに気の小せえこと言ってんだ。大体この山の上から逃げられると思ってん のか。俺たちだってお迎えが来なけりゃ出られねえんだ」
 赤毛の男は棚からホーローのカップを2つ取ると瓶のシュナップスをなみな みと注いだ。
「よ、シュナイダーさんよ、すまねえな。飲ませてもらうぜ」
 さっそく嬉しそうに口をつける男に眠そうな目を向けながら、シュナイダー は頭をさすった。どうも少しズキズキする。
「ふーん、ヤマモモのシュナップスとは珍しいな…」
 もう一人もラベルの文字を見て感心しながらカップを取る。マクスじいさん の酒造りの腕は相当なものだった。二人の男はさっきまでの仏頂面はどこへや ら、たちまちご機嫌になった。
「今、何時だろう…?」
 シュナイダーは腕時計に目をやろうとしてそれがなくなっているのに気づ く。いつなくしたのかまったく記憶がない。
「ん、どうした、シュナイダー」
 長身の男がゆっくり立ち上がったシュナイダーに気がついて声をかけた。
「そろそろ行かないと…」
「へえ、行くって、どこへ?」
 赤毛の男が意地悪そうにシュナイダーに笑ってみせた。
「あんた知らねえのかい。もうあんたはサッカーには戻れねえぜ。今さらどこ へ行くってんだ」
 シュナイダーは男の顔をまっすぐ見返した。言っている意味がわからないと いう顔だ。
「そんなことはない。俺はヘフナーの家に行って、話がすんだらチームに戻 る」
「ヘフナーだあ?」
 男は顔をしかめた。
「何言ってんだ、こいつは…」
 長身の男が後を継いでシュナイダーに向き直った。
「シュナイダー、あんたは永久追放処分になったんだ。知らないはずないだろ う」
「聞いていない」
 シュナイダーはきっぱりと答えた。それから周囲を見回して自分のザックを 探すが、それはとっくに取り上げられていてここにはなかった。やむなく手ぶ らでドアに向かう。
「こら、どこへ行く!」
 男たちが駆け寄ってきた。ドアを開けようとするシュナイダーの腕をあわて て押さえる。シュナイダーはちらりと振り払ったが、無表情にそれを振り払っ て二重構造のドアを一つ開けた。
「くそ、待てと言ってんだよ!」
 外のドアを開けてシュナイダーは思わず目を見張った。一面の雪。そして夜 空に照る月の光の透き通った明るさ。雪はともかく、都会育ちの彼にはまった く初めての光景だったのだ。
「痛い目にあいてえのか、こいつ!」
 飛びかかってきた男たちをシュナイダーはちらっと振り返る。
 その一瞬だった。信じられないほどの瞬発力で全身がしなり、その足が鋭く 宙に弧を描いた。二人の男はあっと思う間もなく雪の上に叩きつけられる。寒 いのでファイヤーショットの燃焼温度がやや低かったのか、幸い彼らの生命に 別条はなかったが。
 シュナイダーは息も乱さず無表情にあたりを見回した。寒い。胸元から別の シュナップスを出し、口をつけた。アルコールの刺激にちょっと顔をしかめる が、そのままあおってしまう。寒い時はこれを飲めばいい、と昨日の女は言っ ていた。酔ってからの記憶のないシュナイダーはその結果が暖まるだけではす まないことをまったく考えていない。とにかく胃のあたりから火がついたよう に熱くなり始めたのを確かめながら、シュナイダーはちょっと首を傾げた。雪 ばかりで道がない。ヘフナーの家はさてどちらの方向なのか…。
 徐々に薄れ始めた思考力で、とにかく斜面を下り始める。が、5分も行かな いうちに、背後から声が追ってきた。
「歩いて逃げられるとでも思ってるのか? バカなやつだ」
 シュナイダーの前にシュッと回り込んで、赤毛の男が目の前に立ち塞がっ た。スキーをわざとらしくトン、と打ちつける。
「こういうのがなけりゃ、こんな雪山で一時間と生きてられるもんか」
「……なるほど」
 シュナイダーはいかにも納得したようだった。男にずかずかと近寄ると、ド ン、といきなり突き倒した。抗議する間もなかった。
「おーい、駄目だぁ、無線が通じない! 誰も応えないんだ!」
 上からもう一人の男がよろよろと駆けて来る。そして、倒れている相棒を見 てはっと立ち止まった。
「お、おい、一体どうしたんだ?」
 再びファイヤーショットの直撃を食らった赤毛の男はもはや返事をする気力 を残していなかった。ついでながらスキーはおろかウェアからゴーグルまでの 一式を身ぐるみはがされてほとんど冷凍状態である。
「シュナイダーが…?」
 長身の男はぎくりと顔を上げた。彼らのいる場所から一本のシュプールがま っすぐ下に続いているのが月明かりにくっきりと見えた。
「じょ、冗談じゃないぞ!!」
 この尾根から西側の斜面を降りるなら、谷の別荘までそう遠い道のりではな い。が、シュナイダーが向かったのはまったくの方向違いであった。土地の者 でもおそらくこのルートをとることはないはずだ。この山地の一番外れにあた るその方角には、そのまま麓まで一直線に谷の急斜面が続いている。
 男は相棒のそばにへたり込んだ。見下ろす東の空はまだ微かに白みかけたば かりだった。 









 BACK | MENU | NEXT>>