第2章
AND MORE
1 東邦クラブハウス
◆
電話をすませた若島津が談話室に戻ると、そこには日向の姿はなくなっていた。畳敷きのそ
の大部屋では、久々の下界行きとなった今日の遠征でめいめいに買い込んできた飲食物が散乱
し、既にその大半が各々の胃袋に納まってしまったところだった。飲料のほうにアルコールが
多少含まれていたことは間違いない。サッカー部の2年生部員を中心にした面々は、文字通り
のどんちゃん騒ぎの果てに半分以上の者がつぶれてしまっている。若島津はその時自分の足元
に転がってきた高島を片手で吊り上げた。
「おい、日向さんはどこだ」
「ふあ…?」
顔じゅうを真っ赤に染めた高島は、くるりと首を巡らせて目の前に迫るGKの顔をじいっと
見つめた。しらふの時ならばとてもそんな真似はできなかっただろうが、なにぶん今は血液中
のアルコール濃度が彼の味方だ。きっぱりと向かい合ったそのままのかっこうで、彼はいきな
り噴き出した。
「だあっはっはっは! おもろい、おもろい、おもろい顔ぉーっ!」
もともと笑い上戸の高島は、酔うと幼い頃まで住んでいた関西の言葉が噴出する癖があっ
た。
その奇声に、少し離れた所にいた古田が振り返った。そしてそこに仁王立ちになっている人
物を見た途端、顔色を変えてあとずさる。だが時既に遅く、視線がしっかり合ってしまった。
まだ笑い転げている高島をゆっくりと離し、若島津は今度は古田に向かって歩を踏み出した。
「し、知らんっ、日向さんのことなんぞ知らん! さっきまでそこで飲んでたけど、いつの間
にかいなくなってたんだ、信じてくれっ!」
まだ何も言われないうちに古田は完全にパニックに陥っていた。隣で壁にもたれたまま寝入
っている松木の体を盾に身を隠そうとする。が、若島津は無表情にその顔を見つめながらさら
に間をつめた。
「若島津…」
その時、背後で声がした。若島津はぴくりと眉を動かして振り向く。それは両手にタオルや
水差しを抱えた島野だった。東邦一の宴会男と名高い反町を欠いた以上いつもの盛り上がりは
望むべくもなく、結局単に飲んでつぶれるだけの宴会になってしまった今夜の締めは当然この
男が請け負うことになったようだ。
「日向さんならさっき廊下で会ったぞ」
言いながらさっそくかがんで、仰向けに伸びている小池の顔に濡れタオルをばさっと乗せ
た。ひゃっと声を上げて飛び起きた小池からすぐ次の今井に移りながら、島野は顔も上げずに
言葉を継ぐ。
「赤い顔してたから、涼みに出たんじゃないのか」
「上か」
「たぶんね」
若島津はそれだけ聞いてさっと身を翻す。ドアに向かって突進しながら島野とすれ違おうと
したその時、島野が口を開いた。
「八つ当たりなら、相手が違うぞ。古田だって好きで日向さんの同室をやってるわけじゃない
んだ」
若島津は足を止めて島野をじろりとにらみ下ろした。
「誰が相手ならいいって言うんだ」
「さあね。たぶん、電話をしたのにいなかったような奴とか?」
島野は淡々と作業を続けている。コップに水を汲んでは仲間に渡していくその背に、若島津
は鋭い視線を向けた。
背後でドアを閉める音を聞いてから、島野はふと思いついたように手を止めた。
「諸悪の根源は、じゃあどこに行ったんだ? 自宅にいなかったのなら」
「え?」
ちょうど水を受け取ろうとしていた川辺が、その独り言にきょとんとした。島野は顔を上げ
てにっこり笑い返す。
「俺、さっきの賭け、ちょっと気が変わったんだけど」
「えーっ、困るよ。おまえだけなんだぞ、『帰る』に賭けてんの」
「違う、違う。『帰る』のまま、賭け金を倍にしたいんだ」
川辺はぽかんと島野の顔を見つめた。それからコップを畳の上に置くと、ポケットから手帳
を取り出す。
「わかった。じゃ、『帰る』に倍額が2人…と」
「川辺?」
今度は島野が怪訝な顔になる。川辺はメモをし終わると、手帳を閉じて片目をつぶって見せ
た。
「もちろん、俺も付き合わせてもらうさ。ダンナの見立てなら間違いないもんね」
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