2 脱出
◆
「おやぁ、もう一人俺が現われたぞ」
両手を頭の後ろで組んでソファーにふんぞり返っていた松山が愉快そうに言った。
「やあ。やっと追いついたよ」
「き、きさま、一体…!?」
突然戸口に姿を見せた三杉に、室内の男たちが弾かれたように椅子から飛び上がった。
「どこから入った!」
「もちろん正面玄関からですよ」
三杉はドアの真正面にゆったりと立ち、後ろで手を組んだまま微笑した。男たちは完全に飲
まれてしまっている。
「入口には見張りがいたはずだぞ!」
「ええ、確かにいましたよ。でも眠ってるみたいでね」
ただし、それが自分のキックを腹に受けてのことだ、という説明は省かれている。そのこと
をすぐに見抜いたのは松山だけであった。一人、深くため息をつく。
「おまえってさ、意外に暴力的なんだもんな」
「どうも職業病だと思うんだがね」
「病気は一つにしといてくれ。こっちがたまらん」
「お、おいっ、きさまらっ!」
状況を全く無視して進められる日常生活そのままの会話に一瞬タイミングを外された男たち
は、はっと我に返るとあたふたと三杉を取り囲んだ。あわててすごんでみせても、いったん乱
されたペースはそう簡単に元に戻るものではない。三杉は素知らぬ顔でその囲みを出ると、つ
かつかとソファーに歩み寄り、足を止めてそのまま松山を見下ろした。
「元気そうだね」
「まあな」
「ケガはないのかい」
「俺はねえけどよ、おまえのCBR、ペシャっちまった。悪りぃな」
三杉は小さくため息をついてみせた。
「僕はいいけどね。登録が僕の名前なだけでどうせ君の専用車なんだ。それより、目撃者の証
言によると頑丈で有名なドイツ製高級車を2台ばかり破壊してしまったそうだが」
「あれは不可抗力ってやつさ。俺が通ろうとした所にたまたま居合わせたのが気の毒だったけ
どな。さすが、あのハーレーは最高だったぜ。頼んで一緒にここまで運んでもらったから青葉
に返してやってくれ」
「光…」
三杉の表情がその時突然歪んだかと思うと、次の瞬間、崩れるようにして松山にしがみつい
ていた。ソファーの上で力いっぱい抱きしめられて、松山は肩越しに目を白黒させている。
「もう二度とこんな真似はしないって約束してくれ! 僕を、僕を殺す気かい!?」
「お、おい…」
泡を食った松山がようやく声を出そうとした時、同時に三杉はぱっと顔を上げた。そしてじ
っと目と目を合わせる。
「君の一番危なっかしい所はね、自分がどれほど危なっかしいかにちっとも気づいていないっ
てことだよ。そして僕は君でありえない自分が永遠に許せないんだ」
「――淳?」
「さあさあ、感動のご対面が済んだらさっそくこちらの用件に入ってもらいましょう、三杉淳
くんに松山光くん」
ドアの所から新しい声が響いた。見つめ合っていた2人はさっとそちらを振り向く。部屋に
いた男たちとは違ってスーツをきちんと着こなした中年の紳士が彼らを見て微笑した。が、そ
の表情に疲労の色が浮かんでいるのを三杉は見過ごさなかった。
「残念なことに時間があまりないのでね。急いでもらわないと」
「どんなご用件でしょうか」
三杉はゆっくりと立ち上がった。松山も真顔に戻ってソファーに座り直す。
「君が来てくれて助かったよ。どうもそちらのお兄さんは強情で困っていたところだったん
だ」
「口が固いって言ってほしいもんだな、おっさん」
おっさん呼ばわりされて男が思わずたじろぐ。
「それにこいつのほうが俺よりくみしやすいなんて思ったら大間違いだからな。俺が保証して
やる」
「おいおい、駄目じゃないか。せっかく歓迎してくださってるのに、最初からそういうイメー
ジを植えつけちゃ」
「俺はこれでもこのおっさんに同情してるんだぞ。いいか、俺たちは2人の三杉淳でも2人の
松山光でもなくって、『三杉淳と松山光』なんだぜ!」
どーだ、すごいだろう、とばかりに松山は胸を張ってみせる。三杉は再び苦笑した。そう、
その組み合わせの凶悪さはこの自分が一番よく知っている。そしてその凶悪さを誰より愛して
いるのもこの自分なのだ。
「で? 何でしたっけ」
さすがに気の毒になって三杉が水を向ける。男は疲労がまた増したと見えて、顎で力なく奥
のドアを指した。
「いいから来なさい。もう首実検している暇はない。君たちのどちらが本物の三杉淳でも構わ
んからとにかく呪文を早く解いてもらうだけだ」
「…呪文?」
男は隣室に2人を招きいれながら自嘲的に笑みを浮かべた。こちらの部屋にはコンピュータ
群が所狭しと並んで、低いブーム音が響いている。三杉が嬉しそうに目を見開いた。
「そう、ミサキのファイルを開く呪文だよ。海の向こうで首を長くして待っている人のために
ね」
「岬のファイルだってぇ?」
2人はまじまじと互いの顔を見つめ合った。
「なるほどね、どうやらそういうことらしい…」
三杉の語尾がそこで突然消えた。二人の先に立ってドアに手をかけていた男があっと思った
時には、空中から飛んできた物体が肩口に命中し、ぱあんという音と共に多量の液体が飛び散
っていた。
「さあて、これは何かなぁ?」
松山もその一瞬のうちに男の脇に駆け寄り、首にしっかり腕を回している。そしてもう片方
の手にあるのはデュポンのライターであった。
「き、きさまっ、いつの間に!?」
周囲の部下たちが一斉にどよめいた。ここに連行してきた時点で身体検査はしっかり済ませ
ていたはずだったから無理もない。
「淳がマジであんな演技をすると思ったのか?」
松山はせせら笑った。
「少なくともおっさんたちにタダで見せてやるなんてこたぁ、絶対にないぜ」
三杉も薄く笑う。なるほど、先ほどの抱擁が実は隠し持っていた凶器のバトンタッチのため
だったことを今にして知った男たちは身動きの取れないまま歯がみするばかりであった。
「で、今ぶちまけた液体が何だかわかるかな? そしてそこに火をつけるとどうなるか…」
男たちが三杉の言葉にまた一歩後ずさった。確かに部屋の床一面に撒かれたそれは細かい泡
を浮かべて不気味な油光りを見せている。
「な、何が言いたい!」
「一つお願いがあるんですが…」
松山に抱え込まれたまま苦悶の声を絞り出す男に、三杉は落ち着き払って言った。
「困ったことに岬くんは身内の僕たちにさえ情報を回してくれないものでね。今回の件につい
ても全く仲間はずれの状態なんですよ」
三杉はそこで一歩下がると、端末の一つにすっと手を出し、キーボードをぽんぽんと打っ
た。そして画面に現われた文字を無言で確認するとまた男を振り返る。
「素晴らしいシステムですね。これを燃してしまうのは実に惜しいです。いや、機器よりもそ
の中身かな。この中の全てのデータを破壊するのは簡単ですが、僕らに必要な分だけはその前
にいただいておかないとね」
「ま、待て! 何をする気だ!」
男の顔がいよいよ青くなった。ずり落ちそうになる男の体を、松山は嫌そうに抱え直す。
「土曜日の午後、うちの学校に来たお兄さんたちが教えてくれた連絡先、確かあなたの身内が
名義になっているトンネル会社でしたね、第一秘書さん」
「う……」
男がうめき声を上げた。松山もびっくりしたように三杉を見やる。
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