BITTERSWEET CRISIS                             第3章−3








3 東京上空





「ほーんとに壮観ねえ」
 反町一樹が誰にも文句のつけようのない母親似であることをつぶさに見せつけられて、松山 は頭痛を覚え始めていた。
「ねえねえ、田島くん。今度は右寄りのアングルでお願いね。あ、あっちの首都高をフレーム アウトして…」
 もちろんこれだけの特ダネをぶっちぎりのスクープでつかまえたのだから――これは彼女自 身の表現であった――気分が高揚しないわけはなかっただろうが、それにしてもこの道20年 というバリバリのキャリアの持ち主の反応にしてはいささかはしゃぎすぎの感がある。
「無理ですよぉ、僕は専門家じゃないんですからねえ、あまり難しい注文は困りますって」
「なあに言ってんの、専門家に徹するから連れてってくれ、って泣きついたのはあなたでし ょ。ほーら、プロならやる!」
 機体に東都新聞の文字を大書したベル206Aジェットレンジャー機は早朝の東京上空でま た大きく旋回すると、よりドラマチックなカメラアングルを追及すべく再び低空飛行に移っ た。
 その真下で繰り広げられているのは時ならぬ大追跡劇である。三杉と秘書氏の乗ったヘリを 追跡中に思いがけないオマケがついたのだ。
 途中で同じルートに合流してきた黒塗りの怪しげなリムジンがまず登場し、続いてそれに 次々と取材陣がくらいついてきた。その数はどんどんふくれあがり、今や騒ぎは随分なものと なっていた。大小の乗用車、中継者、伝達用のバイク等々が、文字通り金魚のナントカとなっ て傍若無人の大行列を作っている。
「一種のデモ行進だよなあ」
「金のガチョウ、あれじゃない?」
 松山の素直な独り言に、くすくすと反町が応じた。
「ほら、グリム童話だかにあっただろ。欲の皮つっぱらせた連中が金のガチョウに順々にくっ ついてってゾロゾロ引っ張られて練り歩いたって話…」
「あんなの、金なもんか!」
 珍しく不機嫌をあらわにしている岬はぴしゃりと言った。後部シートに深くもたれたまま下 の様子を見ようともしない。その目は前方を飛び続けているアエロスパシアル機にじっと注が れたままだった。
「もっとも彼らにとっては金なのかもしれないけどね。なんたってセンセーション第一主義の 皆さんだから。中身が実際に何であれ、とりあえずセンセーショナルでさえあれば金にでも何 にでもしたて上げるんだ」
「まあ、岬くんってば痛烈!」
 突然抱きすくめられて岬が呆然とする。反町の母はその頭を愛しそうにかいぐりかいぐりし ながら田島に笑いかけた。
「私、この子もらっちゃおーかなっ。こーゆーシビアな息子ってずっと憧れだったのよねー」
「か、母さん、ひどいよぉー。それって人生観がマゾっぽくない?」
 食いついてきた反町に、岬は動けないまま冷たく目だけを向ける。
「…反町、それ、どーゆー意味さ」
「主任、やめといたほうがよさそうですよ。岬くんは誰の手にも落ちないことになってるんで すから」
 東都スポーツのトラ番記者を自称する田島は悲しそうな顔を作って言った。
「2年前の東邦のスカウトだってあっさり蹴っちゃったんだ。せっかく日向くんとのコンビネ ーションが期待できたのに…」
「あいにく僕じゃつとまりませんよ。虎の相手は眠り猫じゃないとね」
「わー、ひどいっ、おまえ、そんな誉め方ってあるぅ?」
「だーっ、うるさい、うるさいっ! おまえら少しは淳の心配くらいしやがれ!」
 これではパイロットが気の毒というものである。が、さすがは新聞社の専属パイロット。機 内の騒ぎにはまったく動じず、のんびりと振り返った。
「へえ〜、主任さんって3つ子のお子さんがいらしたんですかー」
 田島が思わず噴き出す。
「ち、違うんだ、トモさん。あと一人いるんだな、これが」
「じゃ、四つ子! そりゃすごい。がんばりましたねえ、主任さん」
「まあね、それなりにね」
 くすくす笑う母の手から岬を取り戻して反町はシートに座らせた。
「でもさ、この大行列のお膳立てをしたのはおまえなんだろ。そのセンセーショナリストたち をあおるために情報をリークしたか何かで」
 岬は無言で反町をにらんだ。昨夜のコンピュータ犯罪の仕上げは確かに各マスコミへの早朝 の情報提供であったのだ。反町には黙っていたのだが、どうやら無駄だったらしい。
「まあ、挙句の果てがこれじゃ浮かばれんだろーな、あのおっさんも。狂言までやっといて よ」
「おっさんて、光。秘書さんだろ、結局主犯って。でも今さら淳をさらったって太郎ちゃんの ファイルをどうこうできないって、わかってるのにねー」
「三杉くんは…」
 岬の目が光った。
「僕へのあてつけに人質になったんだ」
「え…ええっ?」
「三杉くんは僕が張っていたワナを読んでた。そのワナの一部に利用されていることも。だか ら松山が代役で呼び出されて行った時、そのワナの最後の仕上げには自分がうってつけだって ことに気づいちゃったんだよね、きっと。だけどそれをわざわざ買って出るなんて…」
「おまえさ、結局淳を信頼してた、ってことじゃない? 危険な目に遭わそうとしても、それ で黙ってどうにかされちゃうようなやつじゃないって。あいつ、その期待に応えたかっただけ じゃないかなあ」
 反町の分析に、横で聞いていた松山は頭を抱えた。そういう美しい信頼関係は時と場合を選 んでほしい。何より一般人を巻き込まないですませてもらえないものか。
「ねえ、麗しい兄弟愛はいいんだけど」
 一応遠慮しながら反町の母が言葉をはさんだ。
「事件のこと、最初から教えてもらえないかしら。そもそもT議員があなたを呼び出したのっ てなぜだったの? 『商談』の具体的な中身は?」
「直接交渉が流れたのは向こうのせいですよ。会えなかった以上、彼らの本音を断定するのは 無理ですね」
 岬は不機嫌そうに答えた。
「でもおそらく、交渉がうまくいかないことを先に悟ってしまったんじゃないですか? それ より僕をどうにかしたほうが早い、なんてね」
「岬ぃ、もう少しわかりやすく言ってもらえねえか。俺は淳と違っておまえと以心伝心できね えんだ」
 言ってはならない表現をした松山をキッとにらもうとした岬だが、こちらは天然の発言だけ にすぐに気を取り直したようだ。ため息をついてから説明を続ける。
「太平洋をはさんで協力体制ができていたんだろう、僕の持っている情報に関して。片方は政 治生命を失うことを恐れて危険なデータを握りつぶそうとした。もう片方は僕を――僕自身を 握りつぶしたかったのさ…」
「まあ、そんな…岬くん!?」
「メディアの中にいる人なら自覚ありますよね? 情報はコウノトリが運んで来るのでもキャ ベツ畑で生まれるのでもないってことは。マスメディアは現代においては独裁者になりうる。 情報は作られ、世論は作られ、そして倫理観さえ作られる。メディアの構造が入り組んでくれ ばくるほど思惑もそこに複雑に絡んでくる。そうやって保たれている現代社会のバランスこそ が何より大事だと信じている連中にとっては、僕はまぎれもなく悪質なウィルスなんだよ」
 アナリストとしての岬の顔が、その穏やかな口ぶりとは逆に次第に暗く厳しいものになって いく。出発点が何であったにせよ、今彼は17才のサッカー選手だけでいることは許されない 立場にいるのである。
「もちろん、こんな一学生のちっぽけな研究なんて、まさにウィルス程度の小さな小さなもの だけどね。僕が何を分析してみせようと何を発表しようと、連中はちょっと顔をしかめるだけ ですむ。だけどごく一部に、たまたま、不愉快ではすまない問題もあったってことなんだ」
 謙遜しているように聞こえるが、実際の問題の世界的スケールを考えるとかなり空恐ろしい 状況である。それを、ごくあっさりと、他人事のように告白してみせる岬に、その場の者たち はついシンとなってしまった。やがて反町がぽつりとつぶやく。
「一国の運命だってかかっちゃってんだもんな。…だけどおまえ、わざわざそんな危ない橋渡 るような性格じゃなかったじゃん。何だって今回に限って…」
「――翼くんの、ためだったんだ」
 反町の言葉は核心を突いていたらしい。岬は苦しげにその言葉を口にした。
「えっ、翼くん?」
 ここまでのいきさつを知らない反町の母と田島が同時に声を上げた。
「ね、まさかあのN国のクーデターまであなたが関わってるなんて言わないわよね?」
 岬は目を上げて反町の母を見つめた。
「あれは僕の判断ミスです。T議員と秘書は僕がすんなり帰国に応じたことにあわててしまっ たんでしょう。時間稼ぎと、あとはアリバイ工作のために『誘拐』を仕組んだんです。でも、 そのことが海の向こうで待機していた次の一手への引き金を引いてしまった。あのクーデター は、僕が当初予想していたのより半月も早まってしまったんです」
 岬は腕時計に目を落とした。それから松山に向き直ると肩をすくめて笑顔を見せる。
「三杉くんの対応は的確だったよ。その場で僕のトラップの意図を読み取っただけじゃなく て、それをさらに利用して相手を袋小路に誘い込んだんだもんね。あのTの隠れ事務所から発 信されたヤミ取引のデータは今頃防衛庁にも届いているはずだ。反町の苦心のプログラムを使 ってね」
 岬のデータファイルを唯一開くことのできる人物に間違われた三杉は、それを逆手にとって 自らをオトリとし、相手のメインコンピュータに直接アクセスしたのだった。
 何の打ち合わせもなしにこれだけの連携プレーをやってのけるのだから、以心伝心と言われ ても反論できないだろう。もっとも頭脳を駆使して相手の裏をかくことをそう言うなら、であ るが。
「彼にしかできないことだったろうね…。そして彼だからこそできたことだったんだ」
「おい、岬。そう言えばあのおっさん、淳に妙なこと言ってたぞ。タイムリミットがどうとか って…」
 えらく取り乱していたけど、…と松山が付け加えると岬の顔色が変わった。
「じゃ、あいつら最後の切り札を使ってしまったんだ!」
「えっ、あいつらって?」
「ペンタゴンさ」
「み、みさきぃ〜」
 反町は情けない声を出すと、米国国防総省を相手取っているというベビーフェイスの少年に しがみついた。
「な、今からでも遅くない。足を洗え。今すぐだ。今ならまだマトモな人生に戻れるからさぁ …」
「反町?」
 岬はきょとんとした顔で反町を見つめ返す。
「マトモな人生って…。君、自分はマトモな生き方してるなんててまさか思ってないよね」
「…う」
 一瞬絶句した反町はそのまま右を見、左を見、それからやにわに叫んだ。
「わーった、わーったよ、サッカーを始めたのはこのオレですよ! 寮制度があるからって東 邦を選んだのもオレ! ええ、ええ、どーせ自業自得ですよっ!」
「普通はな、サッカーをやるのも東邦に入るのもマトモの域を出るもんじゃねえんだが、な」
 松山は他人事のようにつぶやいたが、まさしくこれは突然変異のビンテージイヤーに生まれ ついたゆえの悲劇と言えたろう。
「つまり今さらってことだよ、反町」
 岬はさっさとポケットのメモを繰りながら何ごとか書きつけている。
「君の言った通り、ボクたちが兄弟だっていうんならね」
「はは、はははは…」
 脱力感いっぱいに空しく笑う反町の肩越しに松山が岬の手元を覗き込んだ。
「何だ、それ?」
「ん、ちょっとね…」
 生返事をしながら岬は手を止め、少し思考をめぐらした。
「日没まであと3時間か。これが僕たちのタイムリミットになる」
「え、どゆこと?」
 復活した反町に、岬は逆に質問する。
「ねえ、反町。東邦の君の部屋に行けば太平洋越えの裏回線のアクセスもできるんだよね」
「え、あ、まあな…。あっちへの通路は確保してあるからそれはいつでも…」
「じゃ、いよいよホーム戦だね。地元の利に賭けよう」
 前方のアエロスパシアル機に視線を投げながら岬はにっこり笑う。その天使の笑みを額面通 りに取るほど他人ではない反町と松山は、背筋を凍らせつつ顔を見合わせた。
「な、何をする気だ、岬…」
「地球の反対側を今飛行中の軍用機を一機、撃墜するんだよ」
「へ?」
 TVゲームか何かの話のような軽い言葉に、反町の胸にいやーな予感がじわじわと湧き上が ってきた。
「反町、君の腕が頼りだからね。よろしく」
 必死に最後の楽観にしがみついていた反町はずるずると奈落に落ちる。前の席にいた母親は そんな息子をじっとりと振り返った。
「一樹、あんたお山の上で何やってるわけ? 確か高校生をやってたと思ってたんだけどね、 私は」
「……サッカーだよ、母さん。サッカー。ただし俺たちの世代で言うところのサッカー、だけ どね」
 まあ定義なんてそんなもんである。環境が全てを決定してしまう、と。











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