BITTERSWEET CRISIS                             第3章−5








5 炎上






「いーったい、あいつは何考えてんだ!!」
 ヘリから飛び降りざま松山が吐き捨てた。彼らが着陸した場所から数百メートル先のガレー ジの中では引火による爆発が次々に起こっていた。まるで打ち上げ花火のように。
「松山、君のが伝染ったんじゃないの? この見境のない凶暴さって」
「冗談じゃねえぜ! 他人の影響で変わるような可愛いヤツかよ、あいつが!」
 順調に逃亡を続けていたアエロスパシアル機が、突然変調をきたしてふるふらと高度を下げ 始めたのはつい数分前のことだったのだが、その直前に確かに彼らは目撃したのだ。前方を行 くヘリから妙な物体が落下したのを。東都新聞専属の友村操縦士がそれを操縦舵だと証言して くれたので、彼らの追跡は一気に緊迫したのだ。
「でも私も意外だったわぁ、あの冷静沈着な三杉くんが」
「この世代の連中で節度を守ってるのは彼くらいだと思ってたんだがなあ」
「とーんでもない!」
 やけに客観的に――ジャーナリストの目で、と言いたいところだがかなり物見高さが勝って いるようである――感想を述べ合う二人の大人に、松山と岬はそれぞれの意味合いを込めて声 を張り上げた。
「あいつに節度なんてもんがあったら俺は苦労しねえ!」
「そうだよねえ、第一あの体でプレイし続けてる人間が節度なんて言えるわけないよ」
 ぶつぶつとつぶやきながら、岬は松山に続いて東邦の地に降り立っていた。
 多摩丘陵の一角、ここ通称東邦山の頂上にはその自然の地形を生かしながら造成した広大な 敷地が広がっている。陰で仙人養成所などとささやかれているこの東邦学園は、それでもこの 浮世離れしたロケーションがある意味幸いしているのかもしれなかった。なにしろ中学・高 校・大学の一貫教育をこの俗世から隔絶した場所で行なうのだ。(ただし系列の付属小学校と 大学部の医学系学部だけは下界にある)勉学においてもしかり、スポーツにおいてもしかりの 集中英才教育が、創設以来連綿と続けられているのだった。
「じゃ、田島くん、あとは頼むわね。私たちはいったん本社に戻るから。火事の写真以上の、 いい取材期待してるわよ」
 ヘリから首を突き出して手を振る反町主任に田島はいたずらっぽく肩をすくめて見せた。
「四つ子くんたちがあまり協力的じゃなさそうですからね、あまり期待はしないでいてくださ いよ!」
 一番に飛び出して校舎に駆け込んで行った反町の姿はもうない。岬は物珍しそうに背伸びを して周囲を見渡した。
 右手に中・高の校舎、その先に大学部の校舎、その間に挟まれているのが体育館をはじめと するスポーツ施設群、反対側に寮と思われる棟が連なっている。高いネットフェンスで仕切ら れたグラウンドがいくつも続いているのはさすがだった。だがそのそれぞれを行き来するのは さぞかし大変なことだろう。循環バスなんかが走ってたりして…、とソルボンヌの学生でもあ る岬は想像してくすくすと笑った。
「三杉くんってさ、口が達者だとは思ってたけど、行動がそれを上回るタイプだとは知らなか ったよ」
 松山はぴくっと棒立ちになる。それからじーっと岬を振り返った。
「…おまえら、二人とも、自分のこと棚に上げすぎ。そんなとこまで似るなよ」
 今朝反町からも同じ指摘を受けたばかりの岬は露骨に嫌な顔をした。そして強引に松山の腕 を取ると、ぐいぐいと引っ張って早足で歩き始める。
「いい? 水と油って、最初から勝負の対象にはならないんだよ? 土俵が違うんだから」
「そうでもないぜ、おまえらなら。もっとも本気で勝負されちゃこっちがたまらんが」
「――ほらっ、早く!」
 八つ当たり気味に松山の言葉をさえぎっておいて、岬は強引に先を急いだ。
「この自己嫌悪、なんとかしたいけど――三杉くんの狙いはわかってる。反町の部屋のコンピ ュータだ!」
「便利じゃねえか。それだけ以心伝心できりゃよ。もっともスパークがちょっと派手でまわり は困るがな」
 素直に不機嫌ぶりを見せている岬に、松山はつい茶化してしまったのだったが、思いきり鋭 い視線を浴びせられて肩をすくめた。状況が切羽詰っているのは彼だってわかっている。二人 は田島を置き去りにしたまま寮を目指して駆け出した。
「おーい、こっち、こっち!」
 寮の廊下の窓から乗り出して反町が叫んでいた。腕を振り回して入り口を示す。
「俺の部屋は2階だよ! そっちの階段から上がって、215号室だから!」
「OK、すぐ行くから!」
 そう応じて向かおうとした岬の隣で、松山がいきなり急ブレーキをかけた。
「…松山?」
「悪い、俺、ちょっと寄り道するわ」
 言った時にはもう背を向けて走り出している。岬は肩をすくめた。何を見つけたかは疑いよ うがない。
「どーぞお好きに! もう駆け落ちはごめんだって言っといて」
 返事の代わりに松山は片手をぱっと広げて見せた。
――おおきな・お世話!!
「困った双子だよねえ…」
 ちらっと振り返って岬は嘆息した。いくぶん羨ましそうに。


















「――いいか、俺は今すぐ下界(した)に降りるんだ! 邪魔するんじゃねえ!」
「だからね、僕が邪魔しているわけじゃないんだよ。君も見ての通り、降りようにもその交通
手段が全部燃えてしまってはね」
 ガレージ前では学校職員たちが必死の消火作業に当たっていた。しかしまだ小さな爆発が中
で続いているためうかつに側にも寄れず、彼らもお手上げという様子で遠巻きにしている。
「他人事みたいに言うな! その張本人はてめえだろうが!」
「――岬くんに聞いたよ」
 食ってかかる日向の怒声などどこ吹く風という顔で三杉は服の汚れを払っていたが、そこで
ふっと手を止めてつぶやく。その一言に日向が凍結した。
「翼くんはブラジルで執拗な妨害を受けていたんだってね。自分自身ことなら何とでもしただ
ろうけど、翼くん、あれほど身動きが取れなかったってことはどうも別口の問題がからんでい
たとしか思えないんだが…」
「そ、そーゆーとこ…だな、たぶん」
「とぼけないでくれたまえ!」
 思わぬ鋭さで三杉が声を荒げたので、日向はもちろん、建物の入り口付近で右往左往してい
た山本氏までがびくっと振り返った。
「岬くんは、自分を付け狙っている連中の行動なら見当がつくが、翼くんがそこまで追いつめ
られる理由は思い当たらないそうだ。直接翼くんから話を聞いているのは君だけだ。いったい
翼くんはなんて言ったんだ。なぜそれを隠すんだ」
「隠しちゃいねえよ…」
 日向はぷいと横を向いた。
「うまく言えねえだけなんだ」
「何だって…?」
 三杉は眉を寄せる。日向は視線をそらせたまま、積み上げてある段ボール箱の一つにゆっく
り腰を掛けた。
「でも、翼くんは現に……」
「あいつが言ったことはただ一つ、他に道がないってことだけだった。俺は頭から反対するし
かできなかったさ。他に何ができる、あれだけ離れたとこにいるやつに? 反対する以外にね
えだろ」
「日向…」
 三杉はそんな日向の前に立った。日向もやっと顔を上げる。その目を見た三杉ははっと胸を
突かれた。前日と違って、ギラギラとした感情を秘めた目。怒りは同時に悲しみでもあったの
だ。
「俺が解説してやろう、三杉」
 突然二人の背後で声がした。
「若島津…!?」
 例によって何の気配もなかった。入り口の逆光の中にぬっと立っていた人物は、そのまま二
人に歩み寄ってきた。さらに背後でこわごわ覗き込んでいるのは島野だ。
「つまりは俺たちには理解外ってことだ。その二人はな」
「こら…!」
「――時々理屈では説明できない部分でコミュニケートをする。まあ、おまえには信じがたい
ことだろうが」
「信じたくはないね、確かに…」
 三杉の顔に複雑な微笑が浮かんだ。
「てめえら、勝手に納得するな、誰が野生だ!」
「おや、違うとでも?」
 おなじみ東邦名物のイジメ漫才が始まりかけた時、入り口で島野が叫んだ。
「また来たぞ、ヘリが!」
 手のつけようのないガレージの火勢におろおろするばかりだった山本は、その声で反射的に
空を見た。今度こそ小泉理事のご帰還だろうか。
 とたん、空が裂けるような轟音が響いた。飛来した3機目のヘリが、空からマシンガン掃射
という非常識な真似を始めたのである。
「だ――っ、何だ何だこれはっ!?」
「戦争でも始める気でしょうかね」
「落ち着くんじゃねえ、こんな時に!!」
「落ち着いちゃいませんよ。あわててます」
「ああ、ああ、そりゃ悪かったな、気がつかねえで…!」
 こんな時にも漫才精神を忘れない二人に半ば呆れ、半ば感心しながら、三杉は半壊した西棟
エントランスから外へ走り出た。
 3機目のヘリは着陸態勢に入っていた。まだスキッドが地面に着かないうちにドアが開いて
再び黒い銃身が突き出される。
「三杉っ!!」
 十分マシンガンの射程距離にありながら、三杉は動かなかった。ローター風にあおられて髪
を乱しながら立ちつくす。そこへ駆け寄って飛びついたのは松山だった。
「ばかやろっ! おまえ、何のつもりだよっ、さっきから無茶な真似ばかりしやがって!!」
「ああ、君のが伝染ったかな…」
 なぜか岬と同じことを言う三杉に、松山はがっくりと脱力した。
「でも、追いついてくれたんだね、嬉しいよ。と言うより、君たちの追跡があったからこそ、
こっちも強制着陸に踏み切ったんだけどね」
「おい、大丈夫か!?」
 漫才を中断して日向も走って来た。ヘリがいよいよ着陸したのを横目でみやりながら二人に
手を貸す。
「こっち、こっちに!」
 体育館の陰から島野が手を振った。消火作業をしていた職員たちは今の銃撃音に素直に反応
して建物の中に逃げ込んでしまっている。島野が示したのは、その体育館脇でぐったりとへた
り込んでいる3人の男たちだった。
「ガレージが最初の爆発をしたとたん、飛び出して来たんだが…」
「それはずいぶんごゆっくりでしたね、皆さん」
 松山と二人で歩み寄ってきた三杉に、第一秘書は力なく視線を投げた。
「――とんでもない客を同乗させてしまったものだ…」
「淳をどうにかできるなんて考えるからだぞ。俺がせっかく忠告してやったのに…」
 あくまで親切ごかしな松山に、三杉はただにこにこする。
「それにしてもよ、政治家さんのわりに、物騒な知り合いがいるんだな、おっさん。俺はここ
に来るまでにもずいぶん危ない目にあったんだぜ。それにあのヘリもおっさんの仲間なんだ
ろ?」
 男は答えなかった。うつむいたまま首を数度振り、そして目だけを上げる。
「もう一度訊く、君たちはいったいミサキの何なのだ――!?」
「四つ子だよ。血の繋がっていない、ね」
「――!?」
「だからチームメイトって言っただろ。俺も淳も、それにこいつも、こいつもな」
 側にいる者を順に指さして屈託なく説明する松山にうつろな目を向けた後、秘書氏は再びが
っくりと肩を落とした。
「あ、来ましたよ」
 日向に何と言われようとその気の抜けるような態度を改めようとしない若島津が振り返って 言った。わざととぼけていると言うより単に刺激に対する反応曲線が人より緩やかなだけなの だ――といつか反町が指摘したことがあったが。同じ血液型の三杉も多少なりとその傾向があ るのだろう。やはりゆったりとそちらを見やってから、松山に声をかけた。
「ああ、反町の部屋で合流してるはずだ」
「じゃ……」
 言った時にはもう姿がなかった。
「あとはよろしく、地元の諸君」
 入れ替わりに物騒な兄さんたちがどやどやとこちらに向かってくるところであった。
「汚ねえぞっ、三杉! 松山っ!」
 叫んでも当然返事はあろうはずがない。これは結局自分の突進の掛け声だったわけだ。一瞬 の狂いもなくその後に続いた長髪のGKは、駆けながらぼそりと話しかける。
「…さっき、三杉は何を見ていたんでしょうかね」
「俺が知るか!」
「――なんか俺、だんだん腹が立ってきました」
 日向がギクリと振り返る。この若島津という男、怒りの度合いが大きくなればなるほど武道 家の血がその習性をもたげてくるのか、態度がどんどん平静になっていくのだ。
「大体、あんたも三杉も許せないのは、まるで特権みたいに翼を独占しちまおうとするところ です」
「な、何を…」
 言いかけた日向の言葉は、出会い頭の発砲にかき消される。首を振り向けたそのままのかっ こうで、日向は壁際に引っぱられた。
「いいですか、あんたがあくまで今度の件を自分と翼の間だけのことだと言い張るならそれで いいでしょう。けど、それなら俺にも何か動機をいただきたいですね。俺はただ巻き込まれる のはごめんです――」
 肩をぐっと押さえてしゃがみ込ませたその頭上をまた銃撃が襲う。
「俺はあくまで俺自身の動機でしか動きませんからね」
「野郎はどこだ!!」
 周囲では怒号が飛び交っていた。
「あっちの建物に逃げたぞ!」
「――つまり、あんたを守る、って大義名分でね」
「てめえ、そうやって俺をダシにして何回派手な立ち回りをしやがった!?」
「覚えてませんねえ。――あんまり多すぎて」
 そう答えた時には脇にあった陸上部のハードルをまとめて蹴り飛ばしている。追っ手の先頭 がみごとにその直撃を受けて悲鳴を上げた。わずかの差でそれを避けた後続が、さっと2人に 銃を向ける。それを見て日向が飛び出した。
「てめえら、この東邦で好き勝手はさせねえぜ!」
 両手でつかんで振り回したのはハンマー投げで使用する保護ネットのフレームであった。陸 上部というのはサッカー部と違って凶器のバリエーションも豊富らしい。
「若島津!」
 全力疾走しながら日向が怒鳴った。
「今まで隠してたがな、俺は実は平和主義者だったんだ」
「薄々そうじゃないかと思ってましたよ」
 若島津も静かに怒鳴り返す。
「でももう手遅れですよ。あんたが自分でいくらそう思ってても、周りが放っておきませんか ら」
 そう、それが運命というものかもしれない。だが、日向の頭の隅ではまだ疑惑がくすぶって いた。自分の運の悪さというのを自覚してはいるが、それにしても周囲からの煽りが多すぎは しまいか。何と言っても、年じゅう側に付き従っていかにも健気にフォロー役に徹しているこ の男、この男こそがそもそもの厄の始めではなかっただろうか――。
「日向さぁん!!」
「大丈夫ですか――っ!」
 体育館の先、高等部専用グラウンドに通じる門、通称朱雀門のほうからその時まとめて駆け て来たのはサッカー部2年の面々であった。
「なんだ、おまえら。授業はどうした」
「自分たちはどうなんだよ」
 振り向いた若島津に、駆けつけた川辺がどしんと胸をこづく。
「それに日向さんの危機を一人だけで楽しもうなんて甘いぜ、若島津」
「そうだよ。それにこっちは賭けに負けたウップン晴らしもあんだからな」
「んだんだ…」
 一気に賑やかになった体育館前であった。状況にもかかわらずつい世界がほのぼのとしてし まうのは、この東邦メンバーズの変に家庭的な保護本能のせいだろう。誰に対してかは言うま でもないが。
「おーい、日向さん、一人で行っちまったぞー!」
 西棟から走り出てきた島野が背後を指さす。突然湧いて出た集団に驚いて別方向に向かって 行った男たちを、日向は一人で追ったのだ。
「やや、しまった!」
「見ろ、おまえらのせいだぞ!」
「いいから早く追え!」
 ガレージの火勢はいくぶん弱まってきたようだった。防火シャッターのおかげで西棟自体へ の延焼はなんとか免れそうである。
 波が引くように騒ぎが遠のいて行き、後に残されたのは気の毒な山本氏と、墜落ヘリの3人 の疲労しきった姿だけだった。











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