BITTERSWEET CRISIS                             第3章−6









6 ホールド






「超大国に第三世界、紛争に和平…どう言ったところで、突き詰めれば結局イメージなんだ
よ、戦う相手は。そしてそのための武器になるのもやっぱりイメージ。メディアがこれだけ発
展して誰もがそれに依存しているんだもの。今の国際政治は経済抜きでは語れない、って言う
のが表の認識だとしたら、裏にあたるのがこのイメージってことになるよね」
 自室で愛用のパソコンに向かう反町と背中合わせに立って、岬は一人饒舌だ。自分に言い聞
かせるように低く語り続ける。反町は実行キーをぽんと叩いてようやく眉を緩め、そんな岬を
肩越しに振り返った。
「でもっておまえ自身も自分のイメージと格闘しなくちゃいけないわけね。無制限1本勝負
〜!」
「ふふ、まあね」
 岬は含み笑いをする。
「でもこっちの勝負は当分つかないと思う。だって、判定してくれるジャッジがいないもの」
「みーんな尻込みして逃げちゃったとか」
 反町は片目をつぶってみせた。
「ま、俺なら一番に逃げるね」
「翼くんに……そのジャッジ役をやってもらおうと思ったこともあったんだ。でも、無理だっ
た、ボク自身が踏み出せなくて。だって、ボクがどうボクであるかってことを他人に委ねるな
んて、いくら翼くんにだって、それじゃボクの答えには永遠になりえないんだから」
「おいおい、急に哲学すんなよ。でなくてもおまえの話って俺には荷が重すぎんだから」
「…聞いてなかったね、さっきからのボクの話」
「聞いてたってば!」
 反町はあわてて手を振って弁明する。
「けど、おまえの難しい講義と、こっちの作業を同時進行させるのは大変なんだって」
「で、どう…?」
 そんな反町の言葉に、岬は側まで歩み寄ってきた。
「パスワードを探すのはおまえの揃えた材料でかなり絞り込めたよ。後は俺の自前の検索エン
ジンでサーチにかけてるとこ」
「対象サンプル数は?」
「39,411。約80秒で結果が出るはず」
「現地に向かっている機を特定できれば後はやることは一つだから。コンピュータ制御の航行
システムの中枢にエラーを起こさせる。それで――こう。一瞬で片がつくさ」
 こう、と言いながら両手の指を1本ずつ、胸の前でクロスさせる。にっこり笑うその顔に、
反町は逆に不安そうになった。
「つ、墜落させるってこと? そんな大惨事起こしたら…」
「人死には出さないさ。墜落なんてしちゃったら、肝心の証拠まで消えるからね。秘密裡に運
ぼうとしてるのを、あえて大げさな『事故』にして世界中に大宣伝させるのさ」
 不時着事故のロケーションも岬の頭の中に用意されているらしい。島野の本棚からいつの間
にか勝手に出して来たのだろう、世界地図帳のページを開いて、岬の指がさっきからある一点
をなぞっていた。フロリダ半島から南西に海を越えたメキシコ領内である。
「人間のほうの安全は後回しなわけね」
「当然でしょ。ボクは翼くんが助かればそれでいいんだもの」
 それでこそ岬太郎だった。ただ、その相手にしているものが、今度ばかりはちょいとデカす
ぎるんだよ…と反町は心の中でぼやく。
「それに少しばかりの抗議の意味も込めてね。ボクはヒューマニストってわけじゃないけど、
一部の専門バカに世界を任せるなんて、絶対許せないんだ。わかる? そういう連中はどんな
場合でも一面からしかものを見ない。気象衛星も大陸間弾道ミサイルも打ち上げ能力は同じだ
し、電気炊飯器のマイコンだって軍事機密になっちゃうんだ。日常生活の中なら妄想だって笑
ってられるけど、その専門バカが予算と権力を持っていて、その『敵』にも同じ専門バカがい
て…という現実がある以上、妄想はもう実現への一歩を踏み出してることになる。実際、現代
の軍事的危機はそういう心理的側面のほうが大きいかもしれないね。でも妄想だって一度芽生
えてしまったらそれを根絶するのは不可能だし、兵器開発にしろ、核兵器バランスにしろ、現
実には袋小路に入っちゃってるんだ」
 岬はふう、と息を吐いて口をつぐんだ。反町も頬杖をついて珍しく神妙な顔で窓の外を見て いる。しばしの沈黙があって、反町がさっと顔を振り向けた。
「おまえさ、オリンピックどうすんの?」
「え?」
 唐突な質問に、岬が絶句する。その時、背後でドアの開く音がした。
「僕もぜひ聞かせてもらいたいね、岬くん」
「よっ、遅れて悪りぃ」
 狭い2人部屋に定員の倍の人数が揃ったわけだ。一気に空気が緊迫する。いや、人口密度と 緊張感は関係ないかもしれないが。
「君の意図には反したかもしれないが、無事にやって来たよ、暗殺者くん」
「大丈夫。成功率の低さは計算済みだったから」
 二人はにこにこと握手を交わした。約1年半ぶりの握手である。
「おお、鉄のカーテン越しの握手! 感動の一瞬です!」
「アホ!」
 マイクを握る真似をする反町の頭を松山がぽかりとなぐった。
「平和に首脳会談やってるヒマはねえんだ。また新手が現われてよ。あっちは大騒動だぜ」
「アホはひどいよぉ、俺、昨夜から働き通しなんだぜー。労働基準法違反なんだから、太郎ち ゃんてば…」
 大げさに頭を押さえて泣き声を作る反町に、三杉が近寄った。
「その成果はどうだい?」
「あ、そうそう…」
 ぱっと真顔に戻って反町は椅子を引き寄せた。そうしてディスプレイ画面を覗き込む。
「お、検索結果が出たみたいね。……ねーねー、岬クン、該当する軍用機は2件、になってる んだけどどっちかな」
「所属は?」
「C-130が第55海兵師団、C-5Bが第3空挺師団」
「じゃ、C-130だ」
 岬はきっぱりと即答した。背後に立っていた三杉が腕を組む。
「そうだね。T議員の『取引先』も、米海軍の御用達企業の幹部だったわけだから」
「えっ、どうしてそれを…!?」
 岬が振り返った。
「会社(うち)の調査機関はアメリカも範囲に入れているからね。僕は僕のルートで調べてい たんだ。黒、とまではいかないが、灰色、くらいのデータがあってね。――でも、なぜここで 突然輸送機の話になるんだい?」
「このC-130がさ、翼くんのいる国に一個部隊送り込もうとしているとしたら、君はどうす る、三杉くん?」
 三杉は黙って片眉を上げた。
「これがペンタゴンの――Tが取引相手にしていた人物の『最後の切り札』だよ。クーデター 軍の背後にはやつらがいる。その支援部隊が既に飛び立ってしまったんだ。これをN国に着か せるわけにはいかない。ついでに、この事実を世界中に知らせる必要もある…」
「国際的なスキャンダルか…」
 三杉の言葉に岬はうなづいた。そして反町を振り返る。
「さ、反町。遠慮なく叩き落しちゃって」
「ハエかよ」
 突っ込むのは松山だ。反町はがっくりと肩を落とす。撃墜するかのような表現でも実際は緊 急着陸させるだけだ。それはわかっているのだが。
「――気が進まないよなあ。こうやって、地球のこっち側でボタン一つで事が起こせるって、 いい気分じゃないよね」
「ま、少なくともそいつが核ミサイルのボタンでないことは感謝するんだな」
 松山のその言葉は救いになったかどうか。
 反町は一度その松山を振り返って目を合わせてから、思い切ったように実行キーを押す。
 部屋には沈黙が流れた。ここでは、何の変化もない一瞬だった。












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