BITTERSWEET CRISIS                             第4章−2








2 テイクオフ





「何をしている! 早く捕らえるんだ!」
「で、でも兄貴、どいつがどいつなんだか判りませんぜ」
 目指す相手を見失って闇雲に駆け回っては銃を乱射していた男たちは、その時一転して4人 もに増殖して現われたターゲットにうろたえて浮き足立った。
「当人に訊きゃいいんだ! でなけりゃ全員まとめてひっくくれ!」
「――おもしれーの」
 その光景を傍観していたのは地元の皆さんである。
「見てわかんねーのかね。俺はわかるぞ。ウチの制服を着てるのが反町だ」
「顔でわかってやろうよ、せめてあいつくらい」
 などと無責任にコメントしあうチームメイトに、島野はため息をつく。一方、少し先のグラ ウンドの階段スタンドに一人立って高い所から吠えている男がいた。誰より先に現場に立ち会 っていた彼らの日向小次郎は、ここにきて無視されている状況に苛立っているのだ。
「馬鹿ヤローッ! てめえら、この期に及んで勝手にふるまうたあいい根性だ! 戻ってきや がれ! 俺と勝負しろ!!」
「なんで勝負なんだか、そこで」
 こちらでやる気のないツッコミを入れているのは長髪のGKだった。
「えっ、あっちのが反町? 俺はあの制服は撹乱のためのカムフラージュかと思ったんだが」
「いい方法があるぞ。日向さんにボールを蹴り込んでもらうんだ。真っ先に逃げるのが反町だ から」
「じゃあ、ムキになって蹴り返してくるのが松山で、あっさりトラップしてみせて嫌味の一つ も言っちまうのが三杉だな。…すると岬は?」
「さ、さあ…」
 日本の高校サッカー界にはいない岬とは接点がまるでない彼らであった。なに、知らないほ うが幸せなこともある。
「…そもそも蹴り込もうとしてもそこで足が止まってしまうのが岬だな」
 日向だからこそ危険を察知する本能もあるはず。若島津はその判別方法は胸にしまっておく ことにしたようだ。
「あ、おい、反町っ!!」
 ところがその日向がいきなり駆け出したものだからこちらの者たちは驚いた。はっとその先 に目をやると、問題の4人が離陸態勢にいたヘリに向かっていく。そこに銃撃を受け、そのう ちの一人が足を取られて転倒したのだ。
「あれが反町だったのか」
「日向さんが言うんだから間違いないな」
 意見が一致したところでチームメイトたちも一丸となって日向に続く。が、そのダンゴ状態 の集団からは一歩離れて駆けていた若島津にすっと並んだ者がいた。レギュラーの中では反町 に次ぐ駿足の島野だった。肩を並べたところでにやりと笑ってみせる。
「フォーメーションはどうするかな、キーパー殿」
「不本意ではあるが…」
 若島津は仏頂面のまま前方をにらんで答えた。
「北国名産、なだれ作戦だ!」
 四つ子たちを追っていた地上部隊の男たちは、背後から沸き起こってきた怒涛のごとき喚声 にびくっとして振り返った。
「な、なんだ、あの連中は!?」
「ええい、構うな、ミサキが先だ! いいからあいつらを追え!」
 が、四つ子たちは逃げていたわけではない。彼らの標的は、援護部隊を運んで来た後続の大 型ヘリだった。離陸態勢に入っているヘリには、最初に不時着炎上したヘリの乗客たちが乗り 込んでいたのだ。いまだ放心状態の秘書氏はともかく、飲み込みの悪い…いや、職務に忠実な 部下たちがミサキを確保して逃走、というシナリオをまだ捨てきれずにいるらしい。
「悪あがきとも言うけどね」
 その一連の騒ぎの張本人とも言うべき岬が、第三者の顔であっさりと評価する。三杉と同乗 していた一人が引きつりながらもなんとか勝者の余裕を見せようとした。
「自分から捕まりに来るとは馬鹿なガキどもだ。このまままとめて連れ去ってしまえ!」
「それは断るよ。連れ去られるのも、そこの秘書さんを連れ帰ってしまうのもね」
 しかし彼らの無理やりな余裕は三杉のこの本物の余裕の前では無力だった。その言葉を合図 に、機内ではちょっとここでは言えないような暴力沙汰に突入する。既に回転翼が回り始めて いたヘリから、乗客乗員は無残にも一人また一人と放り出されてしまった。
「お、おまえら、何をしているんだ。よせ!」
 そこへ追いついてきた地上の追跡班が、惨状に驚きつつも四つ子たちに応戦しようとする。
「そら、そこのから一人ずつとっつかまえろ!」
「やーだー! 兄さん、やめってってばぁ」
 開いたドアから引きずり出されかけた反町が、ヘリのスキッドにしがみついて妙な声を上げ る。もっとも次の瞬間につかまれたのとは反対の足で顔面キックを決めてしまったので、その 兄さんの返事は聞けないままとなったが。
「そら、つかまれ。いつまでそのソリと仲良くしてんだ」
「だってー、さっき転んでひねった足を引っぱるんだもん〜」
「俺に甘えるな!」
 あきれつつ反町に手を貸そうとした松山がふと顔を上げて外の騒ぎに目を見張る。
「ひゃー、東邦の連中、ひでえもんだな。人間とボールを一緒くたにしてやがる」
 脇目もふらずにこちらに一直線に向かおうとしている日向と、それを援護すべく、襲いかか ろうとする男たちを背後から囲んでは押さえ込み叩き落とす役に回っている集団が、下では下 で大騒ぎを引き起こしていた。
「さて、あとはあなただけですが…」
 一方、機内では、乱闘に加わっていなかった秘書氏が座席にしがみついていた。一歩近づき かけた三杉を凝視し、唇を震わせる。
「私は、私は知らんぞ! あっちの軍部で一度動き始めてしまったものは、どうしようと止め られないからな…!」
「どうしようと?」
 三杉の背後で岬がくすっと笑い声を上げた。
「アレ、だったら、そろそろ落っこちちゃった頃だと思うけど? 報道カメラの目の前でその 姿を、そしてその目的を世界中にさらすために」
「な、なにを…いったい……」
 秘書氏は顔を歪めた。そして次の瞬間、思いもかけない勢いで三杉を突き飛ばし、操縦席に 転がり込んだ。無人のその席でばたばたともがいて、そのまま開いたドアから外へ転げ出る。 どしん、と重い音が響いたようだ。ローター音に紛れかけていたが。
「あーあ、見苦しい人だなあ。いろいろ仕掛けをしたのは自分なのに。因果応報、ってやつだ よね」
「おや?」
 三杉が振り向いた。操縦席に目をやり、ちょっと首をかしげる。
「ねえ、岬くん。ヘリの様子がおかしくないかい? 今彼がどこか動かしてしまったとか」
「…おい、浮いてるぞ!」
 反対側のドアから外を見ていた松山が叫んだ。同時に、機体がふらっと揺れて彼らは急いで 足で踏みこたえる。
「大変だ、上がってく!」
 反町も、まだ床に登りきらない体勢でおろおろと地上を見た。スキッドは既に地面から離 れ、彼の足は1メートルほど宙に浮いていた。
「早く降りないと! 松山、そのまま反町を抱えて下ろせる?」
「おう!」
「こらーっ、てめえら!」
 松山が身を乗り出しかけたそこに地上から大声が響いた。
「反町、早く逃げろ! そいつらから早く離れねえと、おまえも身を滅ぼすぞ!」
 ヘリの下でローター風にあおられつつものすごい形相をしているのは日向だった。
「ほ〜ぉ? おもしれぇ言葉を知ってるじゃねえか。すると何か? 反町は俺たちのせいで心 ならずも悪の道に引きずりこまれたクチだって言いたいのか?」
「いや、それほどでも…」
 ここは謙遜するところではない。
「あっ、あいつ…!」
 その日向が振り返って顔色を変えた。東邦チームの手から逃れた一人の男の姿を、ヘリの後 方に見つけたのだ。その手にはマシンガンが構えられている。振り向いた反町が叫んだ。
「みんな、伏せろ――っ!!」
 耳をつんざく衝撃音が彼らを包んだ。一瞬耳がキーンと痛み、はっと気づくとヘリの1イン チ強化ガラスのシールドは粉々に吹き飛ばされていた。
「だ、だいじょーぶか? ねえ、そっちは?」
 最初に声を上げたのは一人だけ機外にいたことになる反町だった。伸び上がってキャピン内 を覗こうとするそこに島野たちが駆けつけて顔色を変えた。
「うわっ、反町!?」
「おまえ、こら、動くな!」
「じ、自分がどうなってるのか、わかってんのか…?」
 ギャラリーがうろたえたのは無理もなかった。スキッドにつかまっている反町は、粉々にな ったシールドの真下だったせいでその破片を思いきり全身に浴びてしまったのだ。髪と言わず 服と言わず、細かなガラス片にまみれて、白いシャツにもうっすらと血がにじんでいるのだ。
が、反町のほうはそれには構わず、なおも身を乗り出して中に呼びかけた。
「…ひかる? 淳? 岬? ――ね、生きてる?」
 すぐ頭の上、さっきまで反町の腕をつかんでいた松山の手がドアのところに見えていた。そ れが、ぴくり、と反応する。
「…野郎――ォ!!」
 と思った次の瞬間、その叫びと同時に起き上がって吠える。怒りに燃えた目でドアの前に立 ち、勢いをつけて飛び降りてきた。
「よかったぁ、光!」
 それを見てほっとしたようにつぶやいた反町を、若島津が近づいて下から手を伸ばし、注意 深く引きはがす。こういう時、人間クレーン車は便利であった。他のメンバーはわっとばかり にその反町に駆け寄る。
「――い、痛い?」
「へ? 別に…」
 こわごわ声をかける小池に、反町はきょとんとした。改めて自分の腕を見下ろして感心して いるようである。
「長袖にしといてよかったぁ…」
「コーゆーのってどうすりゃいいんだ? 応急処置としては」
「下手にカケラを取ろうとすると余計に傷を深くしちまいそうだし…」
「あのさ、ガムテープでさ、ペッタンペッタンくっつけて取るのはどうだ?」
「なんかヘンタイっぽくないか、それって…」
 心配しているのか面白がっているのか、東邦メンバーズは妙に盛り上がっていた。
「いいから早く医務室へ連れてけ!!」
 結局鶴の一声を待つことになるのだね。自分で立ち上がろうとする反町を止めて、数人が恐 る恐る抱えあげ、さるじぞうのごとく運び去る。
「日向さん、あれ…」
 多くを語らず、若島津は頭上を指差した。
 わずか2メートルかそこらの高さに、めっきり風通しのよくなったヘリがホバリングしてい るのだ。松山が降り、反町が降ろされたが、あと2名はどうなったのか。と、そこに、残った うちの一人の声が小さく聞こえてきた。
「三杉くん、三杉くんってば! こんな時にふざけるのはやめてよね! ボクにフェイントは 通じないよ、ほら、起きてってば、早く!!」
 若島津がそれを聞いて日向を振り返った。
「少なくとも岬のほうは無事のようですね」
「おい、とぼけてる場合じゃねえぜ。…三杉になんかあったんじゃねえのか!?」
 その声に、さっきのマシンガンの男と格闘していた松山が振り返った。
「何だって?」
「三杉くんっ! 聞こえてんでしょ、起きて、これ、なんとかしてってば! ボクはヘリなん て動かせないんだから!」
「――僕が心配なのか、ヘリが心配なのかどっちかに決めてほしいな…」
 耳を必死に澄ませていた日向がその声を聞き取った。キャビンの奥から届いた微かな声。し かしそれに安堵することはできなかった。苦しげに、息を切らせながら応じる声に日向の顔が 曇る。若島津も同じく眉を寄せ、そして背後の松山を振り返った。
 ヘリの音に邪魔されて三杉の声は聞こえなかったのだろう。松山はそんな二人の反応ぶりだ けを見て事態を察した。ぎくりと動きを止め、こちらから視線を離さないまま、地面に押さえ つけた男からマシンガンを奪い取る。それを力任せに遠くへ投げ飛ばしておいてようやくふら 〜っと立ち上がった。
「三杉くん!!」
「…そこの…右のが、操縦桿だ。それを引いて……」
 途切れ途切れに聞こえてくる会話は地上の心配とはどうやら別次元に飛んでいるようだっ た。
「え? …これ?」
 途端、目の前でその白い機体が大きく傾いた。
「うわ――っ!!」
 男たちが逃げまどう。ヘリは右45度に傾いたまま地上スレスレに大きく旋回した。が、ス キッドの片方が地面に接触して激しく跳ね上がり、男たちが逃げようとしたその方向へちょう どのしかかるように続けて2度3度バウンドする。若島津が感心したように腕を組んだ。
「わざとやってるんじゃないですかね…」
 確かに岬なら、と思わせる過激さではあった。だが惜しむらくは岬本人にはそういう意図は おろか、操縦技術もなかったのだ。
「み、み、み、三杉くんっ! と、と、止めてっ!!」
 ヘリは完全にコントロール不能の状態にあった。狂ったように方向を変えながら上昇・下降 を繰り返す。
「岬、やめねえか! 淳が、淳が死んじまう…!!」
 松山が血相を変えて呼び掛けた。
「三杉くん! 死んじゃダメだからねっ! ボクが無事に地上に降りるまでは、絶対に!」
 もう三杉の答えは聞こえなかった。この言葉に対しては、どちらにしても答えたくはなかっ たと思われる。
「見ろ、さっきの銃撃でテール・ローターがやられて制御がきかないんだ。他にもどこか損傷 してるかもしれん…」
 わめきながらヘリを追おうとする松山の肩を両手で引き寄せて若島津が低く言った。松山は ぎくっと振り返るが、その目が挑戦的に光る。
「どうなってようが同じだ。今すぐ淳を下ろす! あいつが、手、手遅れになったらどうすん だよ!!」
「おいっ、松山! どこへ行く気だ!」
 ヘリはふらふらとグラウンド脇の傾斜地に沿って下っていく。そちらは東邦山の唯一の開口 部、はるか下に細い川を見晴らす谷になっていた。その谷沿いの急斜面には大きなカーブを切 りながら下界への自動車道が走っている。
 松山は途中までヘリの後を追いかけたかと思うと、いきなり駆け戻ってきた。声を掛ける日 向には見向きもせずに、グラウンド脇に並ぶ用具倉庫群に飛び込む。
「ちっきしょう! ガレージかと思ったら…。東邦にはバイク通学のヤツくらいいねえのか よ!」
 当り散らしても無駄であった。まず第一にこの東邦にはいわゆる通学生はいないのだ。週末 に自宅に帰る者さえそう多くはない。そういう生徒のためには毎月曜の朝のみ最寄りの――と 言っても12kmほど離れているが――中央本線H駅からマイクロバスを手配している。その マイクロバスも他の全ての教師・職員用の乗用車と共にガレージごと焼けてしまったわけだ が。
「ん? 何だぁ、これ…」
 その時、扉の開いていた倉庫の一つの前で松山が足を止めた。興味深げに覗き込んでしばら く考えていたが、やがて勝手にずんずん入って行くと、黄色い大きな物体を引っ張り出してき た。
「ふーん、これがハンググライダーってやつか…。こりゃいいな」
「こら、それは航空部のだぞ! 勝手に触るんじゃねえ!」
 日向が駆け寄りながら怒鳴ったが、松山はそのまま崖っぷちまで引きずって来ると、その下 にもぐり込んでごそごそと準備を始めた。
「――日向さんっ!!」
 若島津が駆けつけた時には遅かった。
 まず飛び出した松山に続いて、負けじと日向ももう一機のハンググライダーで飛び立ってし まった後だったのだ。ふわり、と動きを止めたかのように2つのセールが緑の俯瞰図の中に浮 かんでいる。同じくそこに駆けつけてきた東邦メンバーズが、グラウンドの端、その崖っぷち から見下ろして思わず息を飲んだ。











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