4章ー1






第4章
ダンジョンズ&フィードラー












「岬くんの頭の中を覗くのも大変だ…」
 三杉はため息を吐きながら言った。
「膨大で、とりとめがなくて。まあ、無理はないんだけどね」
 出発前夜、東京で反町はそのファイルを三杉に預けて行った。三杉は根気強くその一つ 一つをチェックし、ピエールとも情報を交換しながら岬を追ったのだったが。
「でも、どれかが当たりクジなんだろ?」
 練習の後のシャワーにまだ髪を濡らしたまま、松山は部屋の中を歩き回っていた。岬が 来なくても、岬を名乗っていた反町が消えても、試合だけは必ずやって来る。今は練習に 集中するしかない、と彼らは結論を出したのだ。
「そう願いたいね」
 三杉は次のファイルを開いた。
「岬くんが何を追っていたのか、この中のどれが今回の最終ターゲットなのか、とにかく 一つずつ確認していくしかないんだ。一樹が隠していた岬くんとの共同作業は、この中の どれかに関係しているはずなんだし――」
 その時三杉の手がふと止まったのに松山が気づく。
「どうした、それが当たりなのか?」
「いや、これじゃない。でも…」
 三杉の顔は緊張していた。
「検索ワードで無作為に拾って来てあった情報の中に、まだ圧縮したままの――つまりダ ウンロードしてそのままになっていた未整理の情報の一つなんだが…」
「つまり、岬も一樹もまだ見てないってことか」
「そうなるね。日付けから見ても。開いた形跡はない」
 三杉は画面を凝視し、それからゆっくりと松山を見上げる。
「これは、大変なスクープかもしれない」
 松山は黙って眉を寄せた。
「岬くんは、フランスの軍需部門の国策企業であるE・S社と、国際的武器トレーダーで あるマダム・ブルーの関係を探っていた。彼の研究のテーマは、その中のアラブ・コネク ションと言われるルートに焦点を当てたものだったらしいんだが」
「アラブ…?」
「欧米の各国が兵器輸出の得意先にしているのが、第三世界の特に中東諸国なんだ。軍事 的整備が遅れている一方で、資金はオイルマネーで潤っている。歴史的にも覇権争いを繰 り返して来た地域だけに、冷戦構造が終わって以降は欧米からの武器の流れは完全にこち らが主流になっている。各企業はそれぞれの国の外交手段の一つとしても売り込みをエス カレートさせているんだ」
 その中でも特に強力なコネクションを持つと言われているのがE・S社であり、それを 背後から支えているのがマダム・ブルーとされているのだが…。
「しかし、マダム・ブルーという組織はとにかく実体が謎なんだ。中心人物さえ特定でき ていない。その国籍も、名前も、バックボーンも。岬くんはあえてその謎に挑んで、しか もこんな所まで秘密に近づいていたんだ――」
「それが、このスクープってか」
「そう」
 三杉は画面に眼を戻した。
「人物の特定とまではいかないが、これによると出身はサウジアラビアの王家の血筋、と なっている。たとえばこの古い外電記事…」
 それは十数年前、サウジアラビアとクウェートで起きた、言わば王家の内紛を伝えるも のだった。この2つの独立国も、近辺の首候国も、同じ一族の王家が長い歴史の中で支配 してきた、言わば互いに親戚筋ばかりということになる。
「その事件では逮捕者や追放者が多数出たようだ。宗教の戒律が厳しい国だしね。で、マ ダム・ブルーの代表者というのはこの時追放処分を受けた一人と考えられる――というん だ」
 処分を受けた王族のメンバーたちは、下級公務員を除いて名前は明らかにされていな い。人数すらもである。が、この事件に関与して処分を受けた外国人も数人そこに含まれ ていたらしく、名前がリストに連ねられていた。
「――おい、淳、これって!」
「ああ……」
 二人で絶句する。
「K・ソリマチ、って――なんだよ、これ!」
「偶然、同姓の人がここにいた、って可能性もゼロじゃないが…」
 偶然だとしたらなんとも奇妙な一致と言わざるを得ない。
「一樹って、クウェートで生まれたって言ってたよな、確か」
「そう、お父さんの赴任先で…」
「ええと、新聞社か通信社の記者だっけ、親父さん」
「だと思うよ。でも、ここには大使館員、となっているけど」
 二人は思わず反町のベッドを振り返っていた。ここにはいないその主を探すように。
「あいつら、この情報は見てないんだよな?」
「そのはずだ」
 三杉が動くより先に、松山は壁際のデスクに駆け寄った。ためらうことなく反町のノー トパソコンを開く。
「光、勝手に触らないほうがいいよ」
 まさか壊してしまうこともないだろうが。
「なんだぁ、これは…!?」
 スタンバイのままになっていたパソコンが動き出し、作業中の画面が現われた。エンタ ーキーを押すと、いきなり賑やかに電子音のエスニック風ファンファーレが響く。画面が ぱっと全面に白くなったところへ、逆コマ落としのようにタイトルが組み上げられていっ た。
「『ダンジョンズ&フィードラー』? ゲームか、これ」
 三杉も席を立って近づいた。
 続いてマップ画面に変わる。いわゆるファンタジー物のRPGらしく、小ドラゴンを従 えた旅の吟遊詩人が中世風の町の門前に立ち、最初の指示を待っている。
「はいる・はなす・みる・にげる――よし、入ろうぜ!」
「光…」
 マダム・ブルーのスクープから一転していきなり熱心になった松山に呆れながらも、三 杉は黙って背後に立った。相変わらず松山には甘い三杉だった。
「ちょっと待てよ、この音楽って聞き覚えあると思ったら――昨夜、聞いたんだ! 夜中 に、一樹がなんかやってるなって」
「昨夜…?」
 三杉の表情が変わった。松山も手を止める。
「変だよ」
「だよな…」
 眠る時間も惜しんで岬の追跡に取り組んでいた時に、たとえ気分転換にしてもわざわざ こういうゲームを用意しておくだろうか。
「ちょっと待って」
 三杉は自分のパソコンに戻って、そこに置いていたファイルノートを持って来た。
「悪いけどさっきのマップ画面に戻してくれないか。僕にもちょっと心当たりがあるん だ」
 三杉はページを一枚抜き取ると、マップ画面と見比べ始めた。
「やっぱりだ! 一樹が実演してみせたあの進入経路と一致するぞ。ほら、そっくりだ よ、このエントリーの手順なんか!」
 言われて松山はノートを覗いてみたが、こちらは延々と数字と英文の列が続いていて、 さてゲームの画面とどこに共通点があるのかなどわかるはずがなかった。喜んでいるのは 三杉だけである。
「あー、つまりおまえが言ってた『駅と鉄道』がこのゲームになってるのか?」
「そう、そうだよ。僕は駅に例えたけれど、一樹はゲームのプロットに置き換えたんだ。 しかもそれを本当にゲームの形にしてしまって。見てごらんよ、この町の広場からそれぞ れの建物に向かうあたり、各サーバーへのアクセスをそのまま再現している」
「……」
 あまり口出しはしないほうがよさそうである。とりあえず松山はアシスタントに徹する ことにした。
「まず城門の門番が2人いるだろう。…そう、それだね。一樹が使ったパスワードは、ま ず最初が『ゲートウェイ』、次が『アノニム』だ。その通り入れてみてくれないか」
 「はなす」を選択した上で三杉の指示通りの会話をする。と、いきなり衛兵の一隊が走 り出て攻撃を始めた。
「違うよ、光。『アノニム』のスペルが間違ってる。最後が『-im 』じゃなくて『-ym 』 だ」
「そうか、悪い悪い。もう一回な…」
 クリアしてから会話をやり直す。するとなんと今度はするすると門が上がって行くでは ないか。そのうえ城門の上に花火が2、3発上がったりしたものだから、松山はちょっと 馬鹿にされたような気分になった。
「一樹は岬くんに示したルートをこんな形でバックアップしてたんだ。出発前に僕に見せ た時はまだここまで道ができていなかったようだね。こっちが完成版なんだとしたら、僕 たちにもチャンスがある」
「…で、次は?」
 王宮の広間に入ると、中世風の衣装を着たキャラクターたちが何人も行き来していた。
「ああ、ここでは『話す』は厳禁だよ。この人たちは今現在このサーバーにアクセス中の 現実のユーザーなんだ。オンラインゲームと同じ形だね。目立たないようにこの奥の礼拝 堂に行ってくれ」
「目立たないようにったって、こっちはドラゴンを連れてんだぜ。それにこいつ、腹が減 ってるみたいでさっきからやけに凶暴になってて…」
 なぜそこまでわかるかと言うと、ネットの知識は関係なく、直感でドラゴンに感情移入 しているらしい。三杉は手元のメモを見ながらうなづいた。
「確かに、ここでドラゴンに餌を――つまり新しいデータを与える必要があるようだ」
 礼拝堂では修行僧が待っていた。
『ご用は何ですか』
『聖なる書を見たいのです』
『ご自分でどうぞ。祭壇の上にあります』
「これ、『手に入れる』か?」
「――いや、『読む』だけにしてくれ。データをコピーするとセキュリティに引っ掛かる らしい」
 祭壇の上にカーソルを合わせると、画面が暗くなって中央にスポットライトが当たっ た。
「お、呪文だ」
 松山は目を光らせる。浮かび上がった文字を、三杉は手早くメモに書き取った。
「これはドラゴンに聞かせる呪文だね。でもその前に…」
「岬の居場所を見つけるんだな」
 礼拝堂を辞して回廊の先へと進む。突き当たりは石造りの高い壁だった。
「そこに隠し扉がある。いいかい、タイミングが大事なんだ。カーソルをここに合わせて おいてデリートキーとスペースキーを同時に押す。カーソルがハンドに変わったらすぐに 移動だ」
「よーし!」
 英語の書き取りに比べればわけない作業だった。カーソルが変化すると音楽が和音のア ルペジオに変わる。閃光と共に壁が消え失せた。ダンジョンの入り口である。
「なあ、ハッカーってけっこう面白いのな」
「これはあらかじめマニュアルにしてあった手順を視覚化してゲームに置き換えてあるか らさ」
 三杉は笑った。
「今の場所、実際には何が起きたかわかるかい? 米国系のとある大企業のメインコンピ ュータに接続して、キーファイルを瞬間的に遮断したんだ。その一瞬にまんまと管理シス テムを突破したのさ」
「うへー、強盗じゃねえか」
 専門用語はどうせわからないが、その状況の意味するところは松山にも飲み込めたよう だ。
「一樹のやつ、そんな物騒で途方もねえ腕を持ってたのか」
「そうだね。それを命じたのが岬くんだとしても」
 とりあえず責任転嫁しておいて先を急ぐ。ダンジョンの奥へ。裏口から裏口へ。強盗の 次はコソ泥かもしれない。
「ところでこのドラゴンは何なんだ?」
 ゲームの中のすべてが現実の何かの代わりなのだとしたら。
「まあ言わば一樹の分身だね。主人公の魔力、つまりハッキング・テクニックを具象化し ているんだ」
「どーりで」
 反町もとんでもないドラゴンを飼っていたものである。
「――ここだよ」
 三杉の手が松山の腕を押さえた。多層ダンジョンの暗がりの一角である。
「小部屋があるだろう。僕が岬くんの足跡――つまり一樹との送受信記録を見つけた場所 に当たる。岬くんはたぶんその中だ」
 三杉はちらりと自分のメモに目を落としてから口を結んだ。
「おい、誰かいる! コマンドが出たぞ!」
 調べる。
 入る。
 話す。
 コマンドを順に選択すると、画面に文字列が浮かび上がった。
『――ここまでは君の助けを借りたけど、この先は一人で行ける』
「岬…!?」
『大丈夫。僕は大丈夫だよ』
 画面上に岬の姿が見えているわけではもちろんない。「アノニム」すなわち匿名のユー ザーとして、シルエットの像が出ているだけである。
「淳、これって…?」
「もう一度コマンドを繰り返してごらんよ」
 その顔のない姿を、三杉はじっと見つめていた。
「ここが、岬くんと一樹が落ち合う場所だったんだ! おそらく一樹が見つけて確保した ――E・S社の内部、バグのエアポケットだよ」
 つまり、敵の本陣、その見えない一角にまんまと入り込んで秘密の打ち合わせまでやっ ていたのだ、あの2人は。
「それは、一樹への最後の伝言ってことだろうな。リアルタイムの会話じゃない。――そ こにいるのは岬くんの影なんだ!」
「じゃ、あいつは…」
 松山は一瞬絶句し、そしてもう一度同じキーをたたく。
「岬、答えろ。おまえ、どこに行ったんだ!? 岬!」
『大丈夫。僕は大丈夫だよ』
 影は繰り返した。
『大丈夫、僕は大丈夫だよ』
「――ちきしょう!!」
 松山は両手をデスクに叩きつけた。
「こんなゲームがあるもんか! そうだろ、淳。ゲームならゲームの約束事ってもんがあ るはずじゃねえか! 別の呪文か、新しいアイテムか、解決する手が何かあるはずだ!」
「…そうか、ゲームなら」
 松山の言葉に、沈んでいた三杉の表情が変わった。
「ゲームなら確かにルールがある。――光、その通りだよ! 僕たちは他に呪文を見つけ られるはずなんだ。もう一度、有効な手を探してみよう。…いや、それとも」
 ファイルを手に部屋の中を歩き回っていた三杉がいきなり足を止めた。2人の視線が合 う。
「こんなカムフラージュまで用意してるんだ。一樹は、万全を期して必要なデータを別に 保存しておいたかもしれない」
「東京に?」
「ああ、東京に」
 ドラゴンを連れたフィードラー。バイオリンを忘れてきた旅芸人。東京の、山の上の、 東邦学園学生寮に。










 BACK | MENU | NEXT >>