2
◆
どちらかと言うとお兄さんたちよりはお姉さんたちがいい…と反町は思った。看病され
るなら、である。
「あ、それ? もういいんじゃないかな、飲まなくても…」
日本語で主張しても通らないようだった。昨日からずっと飲まされ続けている薬らしき
飲み物は、動けさえすれば逃げたいくらいの代物だったが、抵抗する前に無理やり口に入
れられてしまうのだ。やはりお兄さんたちは力が強い。アネカのお母さんもやたら力が強
い。
夜が明けたと思った頃にはもう家族は動き出し、小さな子供たちは学校に行く様子だ。
お姉さんのうち2人も仕事らしい。お母さんは市場に行って一日の食料を買い込んでき
た。お兄さんのうち半分くらいは出かけたようだが、時々家に戻ってくるところを見ると
いわゆる勤め仕事ではなさそうだ、と反町は想像した。とにかく出たり入ったり、動きの
多い家だ。
「毎日、こうなのかな…」
そうやって家を出たり戻ったりする家族たちが、例外なく反町の側に来て微笑みかけて
いく。アネカのお母さんに具合を確認しているのだろうか、うなづきながら顔を曇らせた
り、または笑顔になったり、その表情を見ていると不思議なくらい心から気にかけてくれ
ているのがわかる。
「これであの薬さえ飲まされなかったらなあ」
と思っているところへ、またやってきた。今度はアネカのお祖母さんである。
「アリ」
またそれだ。名前を勝手につけちゃって。まだ名前を教えてないから便宜上名づけたの
かと思ったら、どうやらこれはお祖母さんだけが使っている名前なのだった。
薬のコップを口元に当てられて反町が思わず顔をしかめると、お祖母さんは厳しい顔に
なって、
「アリ!」
と叱った。小さい子供をたしなめるような口調だった。そうなると従うしかなくなる。
熱はなかなか引かず、熱っぽさと寒気が交互にやって来て反町を不安定な夢に漂わせ
る。この妙な匂いと味の飲み物はなるほどその夢を確かな眠りに導いてくれるようだっ
た。
反町がまたうつらうつらし始めると、お祖母さんはそれを見て満足そうにうなづいた。
――おやすみ、アリ。
夢の境界で、反町は歌を聞いた。アネカのお祖母さんが、ベッドの脇に座って何か手仕
事をしている。歌は子守唄のようだった。
「子守唄なんて、歌ってもらったことなかったなあ。親父と2人だけだったもんな、小さ
い頃は…」
言葉は違っても、国は違っても、子供はどこでも子供なのだ。
「オバアちゃん、誰か孫とでも勘違いしてんのかな。アリって誰だよ、ほんと――」
反町は夢の中で歌に揺られながら、また深く眠りについた。
「ああ、ばあちゃんはね、もう、ちょっとボケてんのかも」
昼過ぎに帰って来たアネカは苦笑して答えた。
「昔は丈夫で、外国に長いこと出稼ぎに行ったりもしてたんだけど、向こうで何か辛い目
にあったか何かがきっかけで、すっかり元気をなくしてしまったんだ。あんたが来て、ば
あちゃんヤケに張り切って看病してるし、うちの者も逆に喜んでるくらいなんだ」
「でも、アリって名前は…」
「うちにも親戚にもいないよ。俺にもわからないけど。勝手に人違いしてんのかもな」
「でもぉ、俺――」
反町は不満そうに口をとがらせる。
「へえ? 日本人だったんだ」
アネカは目を丸くすると笑い出した。他の家族たちもめいめいに笑い合っている。反町
はきょとんとした。
「全員ハズレだったな。…ああ、ごめんごめん。君が外国人らしいってのはわかってたけ
ど、どこの人かなあってみんなで予想してたんだ」
「そ、そう…?」
家族の目がいっせいに自分に向いている。反町はなんだか申し訳ないような気分になっ
た。期待を裏切った、というわけでは決してないのだが。
「母さんはマレーシアだろうって言ってたんだよね。あとはタイとかベトナムとか。それ
にインドとかオーストラリアとか――」
おいおい、脈絡がなさすぎ…と反町はぼやく。
「義兄さんはバスターミナルで働いてるから外国人も見慣れてて、一番正解に近かったか
な」
「どこ?」
「フィリピン」
それで一番近いとは。反町はがっくりと脱力する。
「いやあ、日本とは全然思わなかった。日本人ってビジネス街にいてスーツ着て、それに
色もずっと白いから」
アネカはまだ笑っている。
「僕も仕事で日本語話せるよ。『アリガトウ』『サヨウナラ』――」
「え、アネカは仕事って何やってんの?」
「ベチャ引きだよ。ベチャって知ってる? 自転車で引いて、客を乗せるんだ」
それなら朝市に行った時に見たかも、と反町は思い浮かべた。幌のついた昔の人力車み
たいなのが自転車に繋がっていて、買い物帰りのおばさんたちが次々に乗って行ってたっ
け。
|