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ちょうど正午に、執事が迎えに来た。
「庭は出入り自由なのに、屋敷内は鍵を掛けられてるってどういうこと?」
2階へと上がり、長い廊下を案内されながら岬は言ってみた。
「答えたくないならいいけどね。どうもここの人たちと話していると気分が悪くなる」
「こちらでございます」
執事の表情にやはり変化はなかった。
「どうぞ、中へ」
そこは広いダイニングルームだった。出窓部分が大きく外にせり出した五角形のような
形の部屋で、その出窓には見事なステンドグラスが嵌め込まれている。トルコ風の絨毯が
敷き詰められた一番奥に白い大理石の暖炉があって、その前で夫人が席についていた。
「食前酒は何を?」
「――僕は未成年です」
「わかったわ。じゃ、キール酒を」
売り言葉に買い言葉。岬はちらっと相手を睨んだ。
「そのあとは82年のペトリュスの赤とローラン・ペリエね」
「…僕はもう少し抜けたのが好きだな。ジビエなら余計に。オー・メドックのあたり、あ
りますか」
横に控えていた召使は軽く会釈して下がった。夫人はくすくす笑いでそれを見送る。
「いい趣味だわ。立場をわきまえないところもね」
「それはどうも」
晩秋、狩猟が解禁になると鳥獣肉店の店頭を野鳥や小動物が飾るようになる。これを使
った料理がジビエである。野生の素材だけに、この季節ならではの味の贅沢ということに
なる。しかし屋敷の周囲の自然環境を見る限り、店に出向いて仕入れるまでもなくここの
敷地内での猟の獲物と言っても不自然ではなさそうだ。岬は料理を口に運びながら、とり
あえずそんな当たり障りのない思いにふけっていた。
「ヤマドリのグリル、シャンピニオン・ソースにございます」
メインの皿を給仕しながら召使が告げる。ワイングラスを置いて、岬は向かいの女主人
を見た。
「ブルゴーニュは出ないんですね。地元なのに?」
「その調子ならわかると思ってたわ」
夫人はかすかに肩をすくめて応じた。フランス・ワインの二大産地の一つ、ブルゴーニ
ュ。岬はこの屋敷の場所を言い当てたのである。
「食事でまで僕を試すだなんて、遊びはいい加減にしてほしいですね」
ソースに沈むキノコの破片をフォークでつつきながら、岬は不愉快さをあらわにした。
そう、これはシャンピニオンではなく、ブルゴーニュ特産の野生キノコ、セップ茸であっ
た。
「あら、あなたのいたずらに対抗したつもりだけど」
「どういう意味です」
夫人は手にしていたグラスをテーブルに置いた。
「そうよ、あなたを試したの。あなたは未知数だったわ。今回我が社に挑んできたことに
どう対処するか、本社の幹部の間でも意見が分かれているのよ」
「だからってキノコでテストですか、笑い話だな」
岬は冷たい目で相手を見据えた。その視線を正面に受けて、E・S社社長夫人は静かな
目をこちらに向ける。それからふっと目をそらすと、自分のグラスの縁を指先でつーっと
なぞった。
「会社はあなたを問答無用で消してしまうことも考えたのよ。夫があなたをここに招くこ
とにしたのは、あなたには選択の余地がないということを知らせるためだったのよ。でも
――」
「でも?」
「私は賭けをしてみようと思うの」
夫人は目を上げた。
「あなたはとても興味深い人だわ。もっとあなたという人をよく知ってからでも遅くはな
いでしょう」
「ふうん、簡単に言うと、利用価値を探りたいってことですか」
岬の言葉に、夫人は少し目を細めた。
「あなたは危険な毒かもしれない。飲み込むことでそのまま私たちの死を招くことにもな
りかねないわね。でも毒にはそれと同じだけの力がある。毒を飲んで、むしろ不死を手に
入れることだって可能だわ。私は、それに賭けてみたいのよ」
夫人はグラスを挙げた。粘りつくような赤い液体越しに、岬の姿を封じ込める。その澱
みの奥にゆらゆらと揺れながら、岬が口を開いた。
「そろそろ食後のコーヒーをいただけますか。デザートのタルトもあるだけ欲しいな。確
かに、ここの料理人はいい腕をしてるみたいだし」
ソルボンヌの天才少年は、そう簡単に手懐けられるものではなかった。
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