5章ー2















「光、どうだい、そっちは」
「まあまあだな」
 ホテルの一室で別々にパソコンに向かっている二人――よく似合っている一人と全然似 合わない一人とでそれぞれに真剣に課題に取り組んでいるところだった。
「ほら、ここ、けっこう人が動いてる」
 松山がやっているのは中世のファンタジー世界を舞台にしたRPG。それはあるハッカ ー少年が自分の企業秘密をゲームの形に移植したものだった。
 画面では王宮の広間を様々な姿のキャラクターたちが動き回っていた。これが実際の世 界ではネットワークを利用中のユーザーであると教えられているから松山も無闇に接触し たりはしない。彼が三杉に示したのは、それらとは別の、人間の姿をしていない存在だっ た。壁に沿った一角でうろうろしながらしきりに首を振っている緑のドラゴンである。
「壁のこのあたり、隠し扉がありそうだね」
「岬の匂いでも嗅ぎつけたかな」
 背後に立った三杉に、松山はぽつりとつぶやいた。本人に他意はないにせよ、その直感 の思い切りのよさは三杉の心臓をしばしば脅かすことになる。もっとも三杉はそれを強心 剤の一種だと言って笑って受け入れているのだが。
「――そうかもしれないね」
 今回も三杉は微かに苦笑を浮かべただけだった。
「ドラゴンはフィードラーの道具ではあるけれど、同時にフィードラーのサーチもしてく れそうだ。消えた彼の痕跡を追ってくれているのかも」
「ふん、一樹らしいよな」
 反町が自分の技を注ぎ込んだハッキングプログラムである。そのハッカーとしてのテク ニックを岬はこのドラゴンを使って自らのものにできるのだ。ネットワークの舞台の表と 裏を縦横に縫っていく、その抜け道の迷路を誰にも知られずに通っていくその技を。
「岬をどこまで信用してたかだ。こうやって追いかけていけるように仕込んでおいたなん てな。しかも、内緒でだぜ、どうせ」
 そう、反町という男はそうそう単純に飼い慣らせるものではない。どういう依頼を受け たとしても最終的には自分の趣味を優先させているはずだ。その点では松山も三杉も見解 は一致している。そもそもこんなゲームにしておくなんて、趣味以外の何だと言うのだろ う。
「そこは覚悟してるよ」
 三杉は画面をじっと眺めた。自分の作業に使っているマップと見比べながらゲームの展 開と照合させる。
「そこ、通れるかやってみてくれるかい」
「よし」
 ドラゴンが示す場所でパスワードを試してみる。反応があった。壁に紋章の形のアイコ ンが出現する。そこにポイントするといきなり別のウィンドウが開いた。
「なんだ? ゲームの途中で普通の表示になったぞ」
「これはどこかのレファレンスサービスに接続してしまったようだね。これもカムフラー ジュの一つかな。まあ、ゲームとは言っても現実のネットワークとリアルタイムで連動し ているんだからこういうことも有り得るよね」
「ふうん。映画のセットの中でドアを間違えてスタジオ部分に飛び込んじまったみたいな もんか」
 相変わらず自分にわかる世界に勝手に翻訳してみせる松山である。
「でも、関連はあるはずだよ。岬くんの動く領域内なのは間違いないんだ。今はどこかに 閉じ込められてるにしても――」
「おっ!」
 松山が声を上げた。三杉も身を乗り出す。画面はまたさっきのゲームに戻って、まった く見覚えのない場面に切り替わっていたのだ。
「アイコン?」
「『双つ身の天使』――奇妙な名前のファイルだな。ああ、確か旧約聖書の中に出て来た 言葉だ」
 さっきと同じように壁に浮かび上がったアイコンは、しかし開こうとしても反応がなか った。
「何か特殊なパスワードがあるようだね。中は何だろう」
「じらされると余計に気になるよな。岬のなのか?」
「ちょっと違うようだよ。ドラゴンが嗅ぎつけたものってことは、岬くんか一樹か、その 両方か、とにかく彼らに必要なものなんじゃないかな。それとも…」
 三杉は考え込む。
「岬くんをおびき寄せるための餌、とか」
「ありそうだ。おびき寄せたいのは俺たちも同じだけどな」
 振り返って顔を合わせ、松山はにやりとする。
「で、おまえのほうはどんな具合だ?」
 ゲームに取り組んでいた松山と違って、三杉は14年前の事件の記録を各所から集めよ うとしているところだった。なかなか思い通りには進んでいないらしい。
「ちょっと不思議なことがあるんだよ」
 三杉は自分のパソコンに戻った。
「島野くんの話でいくと、一樹は3才になる直前にクウェートから帰国していることにな る。一家揃ってね。ところが、記録にあるのは2人だけ、一樹とお父さんの名前だけなん だ。お母さんと妹の記録がない」
「一足先に帰してたとか?」
「うーん」
 三杉は首を振る。
「それだけじゃないんだ。約半年後に今度はスペインに赴任した時だと思われる出国記録 があって――これも、2人だけなんだよ」
「妙だな」
 松山はつぶやいて、そしてあることを思い出す。
「そうだ、外国暮らしの間、遊び相手はコンピュータとビデオだけだったって、あの話。 家ではいつも一人だった、っていうのは――」
「まさか、それって…」
 三杉も目をみはる。
「お母さんと、妹はいなかった――!?」
 反町の秘密は、ここにもありそうだった。












 パリ郊外、穏やかな晩秋の朝霧が木立をゆっくりと巡っている。しかしルノー家の屋敷 の中では今日も静かに嵐が吹き荒れていた。
「ではどうしてもボルドーには戻らないと言うんだね、ピエール」
「とんでもない。こちらでの用事が済みさえすればすぐにでも引き上げますよ、父さん」
 ボルドー近郊にはルノー家の別邸がある。嫡子であるピエールは両親の意向に反してク ラブチームとプロ契約を結んで以来一人でそこに住み、大学受験資格であるBAC(バッ ク)を取得すべく私立高校での学業にも力を入れていた。ただし彼は大学進学を目指して いるわけではない。フランスの政財界をリードするエリートを養成する高等専門大学(グ ランド・ゼコール)への予備期間が2年間設定されており、そのコースへ進むためにもB ACで優秀な成績を修める必要があるのだ。
「なにしろ試験は来月ですからね。僕も急いでいるんですよ」
「その試験よりも、友情をとるというわけか」
 科目ごとに学力評価をするBACには、段階ごとに全国統一試験があり、その第一回目 はクリスマス休暇の前に行なわれることになっている。確かに長くパリに留まるのは、ピ エールにとって大きなリスクとなるはずだった。
「友情、ですか」
 苦笑になる。少なくとも相手の頭にそういう言葉はかけらも存在していないはずだっ た。自分に対しても、他の誰に対しても。
「彼は孤高を貫くつもりかもしれませんが、僕はとびきりのエゴイストですからね、自分 のために彼を救います。勉強はこの先もできますけど、人間の命はそうはいきませんか ら」
 ルノー氏は書斎の椅子に深くもたれていた。親子の会話はこの数日間、ずっと同じ所を ぐるぐる回るばかりだった。
「私にはおまえを止める権利がある。それに義務もだ。おまえが私の息子だからではな い。おまえはおまえの生きている社会の一部だからだ。どんな職業の者もどんな年齢の者 も、その外にはみ出すことは許されないんだ」
「その社会自体に倫理的に問題があっても、現状維持のためには目をつぶるというわけで すね」
「OUI(ウイ)と言うには軽い質問だな」
「ええ、NON(ノン)と言うには重すぎますしね」
 ピエールは立ったまま、穏やかに父親を見ていた。どんな時も冷静にあるいは冷徹にチ ームを支配しおおす彼は、しかしその内面に自らも制御しきれない熱さを隠している。誰 よりも自分に対して傲慢でいられる強さは、おそらくそこを源としているのだ。
 ルノー氏はそんな息子に不機嫌そうな目を向けた。
「私を怒らそうとしても無駄だぞ。出て行け、と怒鳴ってそれですむなら苦労はせん」
「では挨拶はなしでもいいですよ。僕はそろそろ行かなくては」
 ルノー氏は深くため息をつくと目を閉じた。
「ピエール、おまえは確か物理が苦手だったようだが、BACまでに間に合わせられるの か? 私のほうで家庭教師を見つけておいたから、世話になるといい。紹介状は書いてお いた」
「はい?」
 ドアに手を掛けたところでピエールは振り向いたが、父親はもう顔も上げずに机に向か っているだけだった。
「初めまして、エル・シド・ピエールくん」
 その数時間後、ピエールの前に立ったのは、一人のにこやかな紳士だった。
「難しい課題に取り組んでいるそうですね」
 握手の手を伸ばしながら、紳士は穏やかに口を開いた。
「ミサキの滞在先に心当たりがあります。道順はご自分で調べていただかなくてはなりま せんが」
 ピエールは握手も上の空になった。
「私のところのコンピュータシステムに不法に接触した痕跡が見つかりましてね。アクセ ス記録から逆にたどって、ある人物の名前を得ることができました。あなたが、これをお 探しだと伺ったものですから」
 その紳士は、物理の家庭教師ならぬ、フランス内務省法務参事官だった。









 BACK | MENU | NEXT >>