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『目撃証言が得られました』
ジャカルタ警察からの連絡は、暇をもてあましていた松山が受け取った。
『確認のため、こちらにご足労願います』
「そのまま信じちゃいけないよ」
「わかってるって」
コンピュータから離れるわけにいかない三杉が心配するのを笑い飛ばしながら、松山は
張り切ってみせた。
もちろん三杉が心配しているのは松山の身に危険が降りかかることではなく、反対に降
りかける側に回ることであった。罠は同時にチャンスへの足掛かりになる。今のこの時点
ではむしろ相手を刺激せずに慎重に状況を測りたいところだ。
しかし松山をこれ以上デスクワークに縛り付けておくとどうなるかを三杉はよく承知し
ていた。
「まあ逆効果ということもあるしね」
三杉らしからぬ乱暴な楽観論に見送られて、松山はホテルを出た。その直後である。
「こら!」
「あっ、松山くん…」
しまった、という表情で、鉢合わせした松山の顔を振り返った翼だった。こっそり抜け
出したところを背後からつかまった形になる。
「誰かに言ってから出て来たんだろうな」
「うん…、まあね」
翼も基本的には嘘のつけない体質であるが、代わりに状況を自分独自の価値観に変換し
て認識する便利な能力を持っていた。もちろん世間の常識はたいていそれに合致しない。
「目撃者が見つかったの? ほんと?」
この地区の警察署は歩いても十数分だったので、2人は日陰を選びながらゆっくりと歩
いて行くことにする。
「本当かどうかは怪しいけどな。少なくとも両天秤の片方に乗せる気にはなったみたいだ
な」
「……?」
翼は三杉と松山が何を警察へのエサにしているかは知らない。まして、今度の事件の裏
に現地警察の影がちらついていることも。
「あいつは岬の秘密の近くにいるみたいだからな。俺たちの知らないところで」
「だから、狙われた?」
そこまで断言できるかはまだ自信がない。反町にも反町の秘密があるらしいのだが、松
山にはまだそれを具体的に語る言葉はなかった。
「ああ、わざわざ来てくださって、ご苦労でした」
本部からこの地区警察まで出向いて来ていたのか、ハディナタ警部がそこに待ってい
た。態度は鷹揚だが、目がやたらぎょろぎょろと落ち着かない。やって来たのが三杉グル
ープの御曹司だけではなく、誘拐の直接の目撃者だったことに当惑しているのか。
「どうぞ乗ってください。現場の近くまで行きます」
若い警官の運転で出発する。警部は助手席で何やら無線のやりとりをしてから2人を振
り返った。
「申し訳ないが、別件でちょっと寄るところができてしまったので、少しここで待ってい
てください。我々はすぐに戻ります」
地区警察からほんのわずか走ったところでパトカーは停車した。警部と運転役の警官は
車を降りて向こう側の建物に入って行ってしまう。2人はパトカーの中に自分たちだけ取
り残される形になった。
「おいおい、どうなってんだ」
それを見送りながら不平を言う松山に翼はくすっと笑い返した。そして手にしていたミ
ネラルウォーターのペットボトルを差し出す。
「ブラジルでもいつもそうだよ。何でも『待ち』だからさ、それが当たり前って思えるよ
うになったら地元民になったってこと」
なるほど、翼は翼でけっこう風土にうまく馴染んでいるようだ。それと、日本のように
水道の飲み水から自動販売機の缶飲料まで不自由しない国は例外であって、暑い土地では
特に確保するべき飲み水は自分で調達すべし、ということも翼が身に着けた教訓らしかっ
た。
2人は一口ずつ喉を湿らせてから周囲の様子を見渡す。パトカーは道路の木陰にちょう
ど入っていた。窓越しに見上げると、街路樹の梢がざわざわと風に揺れている。地上では
ぴくとも動かない空気も、上のほうではいくらか風が通るらしい。
地区警察からホテルのある方向までのこの一帯はジャカルタの中でも高級住宅地として
開発された新興地区である。今いるこの通りも、地元の富裕階級の邸宅がそれぞれの広い
敷地に緑の木々に囲まれた白亜の壁を連ねていた。
「静かな所だね」
「そうだな」
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