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「わーっ、こりゃあ、すごいや」
ベチャは案外スピードが出る。スタートしたとたん、反町は座席にひっくり返りそうに
なってあわててしがみついた。
「で、おバアちゃんが出稼ぎに行ってたの、どこなんだ?」
「クウェート」
頭上から、アネカは大声で答えた。
「クウェートで、住み込みのメイドをやってたんだ」
「えっ…?」
意外な答えに、反町は忙しく頭を巡らした。
「インドネシアからクウェートって、そんな遠くへ?」
「珍しくはないよ。クウェートやサウジに出稼ぎに行くのって男も女もけっこういるから
な。うちの親方の親戚なんて、メッカにも行ったハッジなんだぜ」
なるほど、距離は遠くても同じイスラム国。豊かな産油国への労働力の流れは、たとえ
ば東南アジアから日本を目指す人々がいるのと同じ状況なのだろう。反町はアジアの顔の
多面性を改めて思い知らされた気がした。
「でー、これからどこいく気?」
反町はベチャに慣れてくると座席周辺を熱心に観察し始めた。珍しいもの好きはいつも
のことである。
「もう一人のあんたがいた所さ。もっとも今もいるかはわかんないけど」
「うんうん」
反町は手を伸ばして幌屋根を触ってみる。ちょっと乳母車に似ているかもしれない。雨
の時に下ろせるように、幌の半分ほどは巻き上げて留めてあった。座席は詰めて大人2人
座れるくらいの幅がある。座席部分は両側に車輪があるので、ベチャ全体は逆三輪車のか
っこうになっていた。幌の隙間から後ろを覗くと、キャップをかぶったアネカはペダルを
踏みながら困ったような笑顔を見せた。
「母さんに怒鳴られるよ。あんたを外に連れ出したなんてバレたらさ。ほんとに、大丈夫
かなあ…」
「アネカのせいじゃないだろ。俺が自分で出て来たんだ。それに運転手つきの外出だも
ん。ベッドにいるのとほとんど同じだって」
気楽なのはいいが、どう見ても同じとは言えそうにない。これまで同じ天井を見上げる
ばかりだったのが、今は賑やかな騒音と刺激的な光景に囲まれているのだ。身を乗り出し
てきょろきょろしている反町に、アネカはますます心配顔になっていった。
「あ、あれなに?」
「ジュース売り」
「欲しい!」
「はいはい」
観光ガイドをしている場合ではないのだが、病人だと思うとアネカもさすがに弱かっ
た。言われた屋台に寄せて、ベチャにまたがったままジュースを買う。
「すごい、袋入りだぁ!」
なんと絵の具を溶いたようなピンク色の液体が透明なビニール袋に入っていて、ストロ
ーを1本差した口が輪ゴムで留めてある。ジュースと言っても、何らかの果汁だとはとて
も思えない色つきの甘い水。これである。しかもタピオカの白いつぶつぶが少々入ってい
て、もはや正体不明以外の何物でもない。反町が面白がったのなんの。
「また熱射病で倒れないように、水分はしっかり摂るんだぞ」
でもどうせ飲むならもう少し普通の水分がいいと思うんだけど、とアネカは内心つぶや
いていたのだが。
「そっか、俺さ、アネカが見つけて助けてくれたんだよね。あれってどのへんだった?」
「ああ、運んだのは俺だよ。でも見つけたのはばあちゃんなんだ。あの日もばあちゃんに
しては遠出したらしくて、あんたが倒れてるのを見つけて俺を呼び出したんだけど、俺も
あまり知らないあたりだったんだよな」
「ねえ、そこへ連れてってくれないかな」
「ああ、いいよ。ここからなら近い」
アネカはそう答えてふと顔を上げた。道の反対側からアネカに向かって何か大声を出し
ている男がいる。同じベチャ引きだ。アネカは手を振って応える。
「取り締まりだってさ。国際会議とかのたびに警官が増えて、厄介ったらありゃしない。
この先ちょっとヤバいって言ってたから、脇道から行くよ」
「うん」
仲間同士の情報網はなるほど万全らしい。
「うわあ、ここも市場(パサール)!」
細い道からさらに細い道へと入って行く。そのたびに車は減り、バイクや自転車が取っ
て代わっていった。
赤っぽい瓦屋根の軒と軒がくっつくようにして続いている。民家なのか商店なのか区別
がつかないほど人が群れ、縁台のようなものに座りながら数人で話にふけっていたりす
る。その脇では小さい子供がわらわら走り回っている。
「なんか、俺、こういうの見たことある気がする、どこかで…」
そういうのをデジャヴと言うのである。
「そうだ、親父の…!」
日本のことを何も知らずに暮らしていた子供の頃、反町に日本を教えたのは父親がコレ
クションしていた古い邦画のビデオだった。
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