6章ー4






「おーい、ここだよー、アネカ」
 まず先に松山が飛び降り、続いてそろりそろりと反町が幹を伝って降りて来た。アネカ の顔が引きつったのは言うまでもない。
「双子って見たことないの?」
「い、いや、そういうわけじゃ…」
 本物の双子なのかどうかを問題にする以前に、アネカは果てしなく凶悪なものをそこに 本能で感じ取っていた。彼らが実はこの2人だけではないことは、とりあえず伏せておい たほうがよさそうである。
「おまえがさ、路上で大勢相手に暴れてたの、アネカは見てたんだぜ。俺、疑われちまっ たんだからぁ」
 さっさと撤退すべく、二人は並んでベチャに乗せてもらうことになった。反町の足のケ イレンはなんとか回復したものの、どちらにしても自力で歩き回るのはまだ無理だった。
「俺だっておまえと間違われて迷惑したんだ。あいこだろ。ピアスしてないって、あいつ ら気づいて騒いでたっけ」
「えっ、またピアス…?」
 松山とピアスという、およそ似つかわしくない取り合わせはともかく、例の大使館の男 たちが自分のピアスにそこまでこだわっているのがどうにも引っかかる。
 アネカはとりあえず取り締まりの及ばない狭い路地にどんどん入っていく。走り回って いた子供たちがベチャをよけながらこちらをじーっと見つめていた。
「アジノモト!」
「はあぁ?」
 行き過ぎざま道端の子供たちからそう呼び掛けられて、松山はぽかんとしながら振り返 ってしまった。どう反応すべきかとっさにわからなかったのだ。彼らは一様にニコニコと こちらを見送っている。物珍しさもそこには読み取れたが、敵意や悪意はどうもなさそう である。
「あれはね、日本人だ、って言ってるんだよ」
 アネカはそんな松山の反応に気づいて、笑いをこらえていた。
「他に、オシン、ってのもあるけどね」
「すげえな」
 松山の感想はいかにも単純、いや素直だった。
「ヨーロッパなんかで、トヨタとかカミカゼとか言われたことはあったけどな、味の素と 来るとはな」
「ここに来る途中でビルの上に看板があったなー。今は日本じゃ見ない、一昔前のトレー ドマークの。漢字はローマ字にしてあったけどさ。ああ、それに俺、ラジオでCMみたい な歌も聞いたっけ」
 反町は指を振って「♪チャプチャプ・アジノモ〜ト」と歌ってみせた。ずっと眠ってば かりだったのに、睡眠学習でもしていたのだろうか。
「でもズルイぞ、光。なんでおまえだと一目で日本人だってわかるんだろ」
「俺は変装してないからな」
「俺だってしてない!」
「う〜ん、そうだなあ…」
 もめる二人の会話をアネカはなんとなく察したらしい。
「二人ともそっくりなのはそっくりだけど、どこかが違うとしたら国籍くらいだよね」
「国籍は同じなの!」
 アネカにももう一度しっかり念を押す反町であった。
「俺は生まれた時からずーっと日本人!」
「そうなのか?」
「――」
 松山の横やりに抗議しようと向き直った反町は、その顔がいたって真面目モードなのを 見て驚く。
「な、なんだよ、光」
「おまえ、クウェートで生まれたんだよな」
「そうだけど」
 松山が言おうとしていることがまだ理解できずに反町は戸惑う。
「で、3才の時に帰国した。親父さんと二人だけで。でもってその後スペインに行った時 も、向こうで暮らしてる時も二人きりだったって――そういうことか?」
 じっと間近に見つめられて、反町は思わず身を引いてしまっていた。
「なら、あのオフクロさんと妹は?」
「いないよ。だって、親父が再婚したの、東京に戻ってからだもん」
「再婚?」
 今度は松山が目を見開いた。
「じゃ、あのオフクロさんはおまえの義理のオフクロさん? ――あんなにそっくりなの に? 嘘だろ!」
「そっくりは余計だ」
 妙なところに反町はふて腐れた。
「俺の母親はクウェートで死んだんだ。俺、赤んぼの時だけど」
「じゃあ…」
 松山はがっしりと反町の肩をつかまえた。
「おまえの親父さんはいったい何をやらかしたんだ、あんな、あんなとこに名前が残って るようなこと…!」
「だからぁ、ちゃんと説明しろよ、岬クンの事件と親父がどう関わるっての」
 当然の疑問だった。ただし、疑問は双方とも巻き込んでぐるぐるするばかりだったが。
「淳とおまえとで、何調べてたんだよ。ひとの家族のことあれこれと」
「それがよくわからねえから困ってんだ。淳もいろんなデータを当たってたけど、はっき り言って当時の記録自体が少ないんだ。あとはおまえの親父さんに直接聞くしかないって 言うか…」
「親父なら、ここに来るよ」
「へ?」
 思いがけないことをあっさりと言われて、松山はぽかんと反町を見つめる。
「イスラム諸国代表者会議って、もうすぐあるだろ、ジャカルタで。あれの取材があるん だって。俺たちのスケジュールとかぶるかどうか知らないけど」
「成田にオフクロさん来てたじゃねえか、親父さん出迎えに。でもって今度はまたこっち に来るって、それならそれで詳しく聞いとけよ。めったに会えない親子が接近遭遇するっ てのに」
「ん、会えるなら会えるでしょ、とか言ってた。それだけ」
 そんなアバウトな。もともとそれぞれに離れて暮らしていて、互いに干渉し合わない家 風になっているのかも、と反町は言い訳したが。
「よし、じゃあ淳にそう言わないと。それにおまえを見つけたことも」
「うん。――ねえ、アネカ?」
 幌越しに、反町はベチャ引きのお兄さんを振り返った。
「公衆電話? ああ、ちょうどあそこにある」
 アネカが片手で指したのは、道路脇の標識だった。日本とも共通の受話器のシンボルが ある。ベチャはその横で止まった。
 ホテルのレセプションから部屋へ。受話器を持ったまま、松山は片手でがっしりと反町 の腕をつかんでいた。
「もう逃げないってば」
「いい心掛けだ」
 松山は三杉と二言三言だけ言葉を交わし、ベチャに座ったままの反町に受話器を渡し た。
「大事な光を斥候にするなんて、おまえも遠慮がないねー」
『なあに、単に煮詰まってただけさ』
 にっこり笑顔が目に浮かぶようなお言葉だった。反町は思わず青ざめる。
『東邦の島野くんにも連絡を取ったよ。バックアップデータを転送してもらった』
「え〜!?」
 そこまで調査の手が伸びていたとは。隣で松山がにやにやする。
「おまえのゲーム、楽しませてもらったぜ。カラクリを徹底的に調べ上げるためにな」
「ふ、ふ〜ん…」
 電話の向こうと自分の隣の両方から攻められて、もはや、ギブアップしかない状況だっ た。反町が動揺を見せたところで三杉はさっそく本題に入る。
『さて、そのゲームのことだけど、司祭の部屋で試される3つの言葉。あれの裏バージョ ンを教えてくれるかな』
「えー、もうそんなところまで行っちゃってるの? あそこのロックは厳重にしてあった のに…」
 ぼやいたところで、データを押さえたという三杉にもはや隠し立てが通じないことは観 念している。反町は記憶をたどった。
「あれはさ、北アメリカをカバーしてるUexネットを経由する転送処理のコードなん だ。ただしIDコードは不定期に変更されるから、まずシステムソフトのチェックが必要 なんだよね。そのための手順ってのが――」
「ふ〜ん」
 そんな反町を眺めてアネカが驚いている。
「ほんとに日本語しゃべってる。ソリマチってほんとに日本人だったのかぁ。――で、何 の話してるわけ?」
「同じ日本人にもわからねー話さ。ま、要するにどっかの駅で迷子の呼び出し放送をして もらいたいから、駅員をだまして勝手にマイクを握ろうってあたりの相談だろうさ」
 ベチャから下りて横に立つアネカに、松山はまた独自の翻訳を披露する。そして自分の 興味はとっくにそこから離れて、道を走り過ぎていくバイクに移していた。日本製バイク が実に多いのだ。しかももう日本では本体はおろか部品すらないような古い型のまでがこ こでは現役として走り回っている。
『さて、それで話は核心部分に入るんだが――』
 反町が伝えたパスワードを書きとめると、三杉はためらわず切り出した。
『その島野くんに送ってもらったデータで、昨夜から丸一日かけてプログラムの読み直し をしたところだ。岬くんとの協力関係はずいぶん緊密だったんだねえ』
「いやー、それほどでも」
 厄介な研究対象を選んだ岬のために用意されたハッキングプログラム。迷路のごとく入 り組んだネットワークの裏道を、ある時は強行突破さえも辞さずに組み上げた労作であ る。一言で言うなら、頼むほうが頼むほうなら受けるほうも受けるほう…というところだ ろう。三杉の目から見ても、皮肉と賞賛が入り混じるのは仕方のないことだった。
『緊密なのはいいけれど、で、肝心の岬くんはどのダンジョンに引き篭もってるのか、そ してそこにどうやって連絡を取ればいいのか、それをまず解決してもらえないかな』
「そんなの、無理」
 あまりに簡潔な返答であった。
「確かに俺は岬クンのためにダンジョンをたくさん掘ったよ。ドラゴンもよーく飼い慣ら しておいたし、落ち合う場所も用意した。でもフィドラーはあくまで自分の意思で動いて る。あいつが自分からその場所に出向いてきてコンタクトしようって気にならない限り、 こっちからはどうやったってつかまえられないんだ」
 ゲームバージョンで答える反町の言葉は横で聞いている松山にも理解できる。ここで松 山がようやく割り込んで来た。
「あれは面白いゲームだけどな、俺にわかんねーのはゴールが何かってことなんだよな。 フィドラーは城の奥に向かってるんだろうけど、何しに行くんだ? そこに囚われの姫で も待ってんのか?」
「う…!」
 受話器を宙に浮かせて反町は固まった。さすがは最強の部外漢、見事に盲点を突いてく る。
「そ、そう言えば聞いてない、俺。ゴールなしのゲームを作っちゃったかも…」
『知っているのは岬くんだけ、ってわけか』
「なーに、あいつにだってわかってないかもしれないぞ」
 松山は恐ろしい言葉を吐いておいて、受話器を反町の腕ごとぐいっと引っ張った。
「それより淳、こいつの親父さんの謎が一つは解けたぜ。オフクロさんとは、再婚だった んだ。信じられねーけど」
『そうだったのか…』
 三杉もその可能性は反町とのあまりの似方につい否定していたのだが。
「それと、その親父さん、もうすぐジャカルタに来るって。直接話が聞けるじゃねーか」
『えっ、そうなのかい? それは助かるけど…。中米支局からわざわざ飛んで来て取材な んて不思議だね。まさかそこも関係があるのかな』
「俺は知らないったら知らないの! 赤んぼの時のことまで責任持てないってば」
 三杉の言葉に反町はため息をつく。
「自分の親のことだぞ?」
「親父はね、いつだって自分に都合の悪いことは絶対に話さないの!」
『なんだ、君とそっくりじゃないか』
「言うと思った…」
 自覚があるならよろしい。
『それともう一つ、「双つ身の天使」って名前のファイルを知っているかい? これが、 君のゲームの中を歩いてて偶然見つかったんだが』
 発見した時の場所と状況を説明する。設計者である反町には座標上の把握はたやすいも のだった。
『例の誘拐者たちの車のナンバーを翼くんが見ておいてくれてね、おかげで所有者をつき 止められたんだが、そこの電話番号から割り出したIPアドレスがそのファイルの発信元 と一致したんだ。どう思う?』
「ぜひ見てみたい! 岬を釣るエサとして上等かどうか、俺が確かめてやるよ」
『とにかく早く戻って来てくれたまえ。岬くんをキャッチするには君だけが頼りなんだか らね』
「あいつは…」
 反町はちょっと考え込んだ。
「自分の行く先々に地雷があるってこと、ちゃんとわかってたんだ。それを踏まないよう に、そして誰にも踏ませないようにもしてたはずなんだ。翼と、できない約束なんかする はずがないんだから、絶対」
「当たり前だろ」
 その頭を横から手を伸ばしてぐりぐりする松山だった。
「もしダンジョン探検に夢中になりすぎて約束を忘れかけてるっていうなら、俺が大声で 呼んででも思い出させるさ」
『つまり、アマテラスオオミカミは岬くんのほうなんだよね』
 天岩戸ならぬ、ネットのダンジョンの奥にこもる岬――。三杉は松山の言葉で、さっき 自室のドアの外で聞こえていた会話を思い出して一人笑い出す。
『彼が、若島津の踊り見たさに出て来るとも思えないけどね』
「はぁ〜?」
 もちろん、その言葉が反町に理解できるわけはなかった。









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