第7章
双つ身の天使
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◆
「また三杉くんだ」
疲労が五割増しくらいしそうな気分で岬はつぶやいた。昨夜からぶっ通しでモニターに
向かっていて、確かに疲れは溜まっていた。一度執事が来たが食事は断り、ただひたすら
分析作業に集中していたのだ。
『こちらでわかったことは以上。反町氏の経歴調査は面会待ち。――岬くん、返信をよろ
しく』
「あのオバサンに匹敵する執念深さだよ、まったく」
作業の途中で目にせずにいられないそのメッセージは、岬の新たなストレスとなりつつ
あった。
反町との接触場所として利用していたE・S社のシステムの隙間の秘密のエアポケッ
ト。直接やりとりをするメールのようにはいかないが、外部との回線を遮断されている中
で唯一残った通信手段だった。回線を使って送信することはできないが、監視の目に触れ
ることなく壁に落書きをしておけばそれを向こうから覗き見ることだけはできる。そし
て、その逆も。
反町はまだ取り戻せていないらしい。三杉が独断で試みているのだろう、その短い業務
連絡の言葉を、気にしないでいようと思いつつもやはり岬は覗いてしまうのだ。作業の合
い間に。そして訳もなく腹が立ち、その繰り返しとなっていた。
「どうせボクは大バカだよ。そう言いたいなら言えばいいんだ」
くるりとプリンターに向き直った岬は、ロール紙で吐き出されてくるプリントアウトを
わざと乱暴にちぎり取った。
囚われの身となったのは事故だったかもしれない。しかし、そのまま囚われ続けること
を選択したのは彼自身なのだ。
見えない三杉への八つ当たりはまさに自分への八つ当たりだった。岬にはそれがわかっ
ていた。
「ボクをイラつかせて怒らせれば連絡を取るだろうなんて、きっと狙ってやってるんだ」
岬はデスクの間に足を止めて不機嫌な顔でしばらく思考をめぐらせていたが、やがて大
きく息を吐き出してくるっと向きを変えると、また猛然とコンピュータとの格闘を始め
た。イライラするほど、むしゃくしゃするほどエネルギーが湧いてくる。認めたくはない
が、今のところ三杉は作業のエネルギー源になっていた。
「――『イスラム諸国代表者会議』。ジャカルタに照準を合わせてボクをおびき寄せよう
としてたのは、やっぱりここが関係してるんだな」
ふと手を止めて、岬は一つのファイルから気になるキーワードを拾い出した。彼のチー
ムが現在滞在している都市ジャカルタ。その場所が、マダム・ブルーの照準の一つになっ
ている。追跡の価値は十分にありそうだった。
「――双つ身の天使、か」
岬がジャカルタに現われることを見越して用意されたと思われるエサ。いまいましくて
もその点では三杉と見解は一致している。
そしてもう一点、14年前に中東で起きた政変の中で抹殺された名前。それが、思いが
けないキーワードを得て、一つの交点に重なり始めていた。
「舞台は、もともとそこから始まっていたんだ…」
フランスではE・S社を自由に操り、先進諸国の軍需産業の中心でリーダーシップを握
りながら、一方で第三世界への強い影響力を確保して、その双方の対立さえも利用できる
立場。マダム・ブルーの戦略は常にそのバランスの中にあることを、岬は今改めて実感す
る。
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