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「――あれっ、どうかした、アネカ?」
再び走り出していたベチャがいきなり脇に寄せて停車したので反町が声を掛ける。
「あ、ああ、ごめん。人違いだったよ。ばあちゃんに見えたもんだから」
「そっか」
そう言えば、おばあちゃんが最初の目的だったような。
「あのね、アネカのおバアちゃんが迷子になっちまったみたいでさ、俺たち捜しに出たん
だよ」
松山にもささやいておく。
「ふーん、おばあちゃんか。ジャカルタのばあちゃんたちって面白い服装してんのな。あ
のスカートとか」
「あれはサロンっての」
さすがに反町のほうが詳しくなっている。スカートのように仕立てたものではなく、長
い布をぐるぐると腰に巻いて留めつけただけという、東南アジアの各地で見られる民族衣
装だった。
「そう言えば、俺、あんなかっこのばあちゃんに話し掛けられたよ。言ってることは全然
わからなかったけど、俺に『アリ』って呼びかけるんだぜ」
「…えっ?」
ふんふんとうなづいていた反町が、いきなりノックアウトされる。
「『アリ』って、それほんと? ――アネカ、アネカ!」
反町はあわててベチャにストップをかけた。
「それもっと早く思い出せよぉ。会ったって、どこ?」
「そんなこと言われたってよ…。あの大使館を見張ってる時だよ。そのばあちゃん、向こ
うから普通に歩いて来たと思ったら俺を見つけて声を掛けたんだ。すごいよな、俺、しっ
かり植え込みに隠れてたんだぜ」
反町とアネカは顔を見合わせる。
「そんな公邸街にばあちゃんが? いくら迷子になったったってありえないよ、絶対」
「でもアネカ…」
「そうそう、これもらったんだっけ」
松山はのんびりと尻ポケットから小瓶を引っぱり出す。反町は目を丸くした。見覚えの
あるビンだったのだ。
「ジャムウだ、俺の!」
「ほんとに、ばあちゃんだ! それで、どうしたんだ?」
アネカも叫ぶ。松山は二人のその勢いに驚いたようだった。
「話してたら人が来たんでな、ほら、俺は一応張り込み中だったし、急いでまた隠れたん
だ。そのばあちゃんはそのまま行っちゃったよ。俺が見張ってた建物の一軒隣に入ってっ
たかな。よく見てなかったけど」
「もー、無責任なんだからー」
とにかくアネカも入れて三者会談に入る。反町も松山もそこの人間と友好関係にあると
は言えない。顔もバレているだろう。となれば孫であるアネカが先頭に立つしかないだろ
う。
「大使館と隣接しているってことは、大使以外の職員の官邸だろうな。敷地も繋がってる
あたり」
松山の証言を元に当たりをつけて、直接アタックすることに決まる。
「ベチャはまずい。あのあたりじゃ逆に目立つだけだ。本来は通行も禁止なんだし」
アネカはベチャを預かってもらうために、寄り道して義兄の仕事先を訪ねた。小さな飲
食店である。日本風に言えば、テイクアウト専用のファーストフード店というところだろ
う。麺類やテンプラのようなものが店先のケースに並んでいる。
「あ、屋台だ」
ベチャの代わりにアネカが借りたのは、物売りの手押し屋台だった。これは反町も松山
もジャカルタに来て以来、路上でよく目にしている。
「カキ・リマって言うんだ。5本足って意味だよ」
「…?」
二人は屋台の下を覗き込んだ。
「車輪が2つと、スタンドの足があるから3本足…。なんで5本足になんの?」
「俺の足2本を足すからさ」
アネカは指を広げてにっこり笑った。
「なーんだ」
「これならどんな高級住宅街でも目立たないよ」
アネカは義兄に頼んで売り物の食品も適当に積んだようだ。
「そこの金持ちはもちろん買わないよ。その代わり、使用人が自分の食事用に買いに出て
来るはずだから話を聞く。な、いいアイディアだろ」
「うまそー」
松山は見慣れない食べ物に対しても健康的に興味を示した。反町の好奇心とやや違うと
ころは、あくまで食欲のなせる技、という点だ。
「昔ばあちゃんが働いてたのは、クウェートの金持ちの家だ。会社をいくつか持ってるく
らいの家だったらしい。だから、こういう政府のお役人とかそういうのとは関係なかった
と思うんだけど…」
臨時の物売りとなった3人は徒歩でゆっくりと目指す通りに向かった。
「それはわかんないよ。あの国は王制だろ? 元首は国王だし首相は皇太子――行政は王
の一族が独占してるんだ。大企業だって、その血縁で占められているはずだよ。おバアち
ゃんがいた家が政府のどこかと関係ある家柄でも不思議はないと思うんだよ」
「雇い主がいくら偉い人だったとしても、ばあちゃんはただの出稼ぎの使用人だよ。家族
でもない。堂々とこんなとこに入り込める立場じゃないって」
アネカはあくまで祖母とこの官庁街との関係などありえないと主張する。
「なあ、一樹。おまえの家はどうだったんだ、クウェートで」
「え?」
隣から松山が妙に真面目な顔で口を挟んだ。
「おまえの親父さんだって日本大使館の職員、つまり外交官だったんじゃねえの? そう
いう金持ちの家柄と関係あったとか?」
「光、まさか…」
「おまえは、クウェートでばあちゃんと会ってる可能性だってあるんだ。違うか?」
反町は松山を見つめたまま絶句した。
アネカの家に拾われて、そうして出会った人たち。何度訂正しても、自分のことを「ア
リ」と呼び続けたお祖母さん――。
「もちろん、今のとこはただのこじつけだ。だけどおまえはほんの子供だった。事情はわ
からないかもしれないけど、問題のクーデター事件の時、おまえの親父さんは何かの形で
その場に立ち合っていたのは間違いねえんだ」
松山は眉を寄せて言葉を切った。
「岬が追っている武器ブローカーの中心人物の秘密が、おまえの親父さんの過去とそこで
つながってるかもしれない。――だとしたら、そのばあちゃんだって」
「あ……」
反町は自分のピアスに手をやった。
誘拐した男たちがこのピアスに動揺を見せた理由は…。そして父親の言葉。
『おまえが赤ん坊の時に、知り合いのエライ人にもらったんだ』
「じゃ、じゃあ、アリって、ほんとに俺のことだったのぉ!?」
お祖母さんがあやすように歌っていた歌のメロディが、反町の耳に影のようにかすめて
いった。
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